覚え書:「特集ワイド アウシュビッツのガイド、中谷剛さんに聞く ヘイトとガス室は一本の線 「今の日本は黄信号」」、『毎日新聞』2017年10月06日(金)付夕刊。


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特集ワイド

アウシュビッツのガイド、中谷剛さんに聞く ヘイトとガス室は一本の線 「今の日本は黄信号」

毎日新聞2017年10月6日 東京夕刊


説明する中谷剛さん。写真は、ビルケナウに停車した列車から降り立つ人々。1車両あたり約70人がトランクとともに詰め込まれ、数百キロ以上も離れたところから、運ばれた=ポーランドオシフィエンチムで2017年9月17日午後3時8分、鈴木美穂撮影

アウシュビッツ第1収容所の正門には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の文字が掲げられている。収容者らは毎日この門をくぐり、十数時間の労働に出かけた=ポーランドオシフィエンチムで2017年9月17日午後2時53分、鈴木美穂撮影

 ナチス・ドイツアウシュビッツ強制収容所の跡地にあるポーランド国立博物館オシフィエンチム)で、唯一の日本人公式ガイドを務める中谷剛(なかたにたけし)さん(51)を訪ねた。ぜひ聞いてみたかったからだ。戦後72年。戦争の記憶が薄れ、排外主義が台頭する中、「負の歴史」を繰り返してしまう懸念があるのか、と。【鈴木美穂】

 9月17日午後。アウシュビッツ強制収容所跡に降り立つと、朝から降り続く雨で視界はかすみ、赤レンガの建物群は、陰気な空気を漂わせていた。

 日本語での見学ツアーの参加者は記者を含め25人。博物館として公開されている、アウシュビッツ第1収容所(20ヘクタール)と、3キロ先のビルケナウ(140ヘクタール)の両収容所跡を3時間かけて歩いて回る。

 中谷さんは大学卒業後、ベッドメーカーに就職。転機は1991年だった。学生時代に旅したポーランドで出会った若者と再会するため、仕事を辞めて再訪した。永住権を取り、働いていたワルシャワの日本料理店で、同僚のポーランド人から「アウシュビッツに収容されていた」と打ち明けられ、壮絶な実体験に衝撃を受けた。「歴史に関わろう」と一念発起し、ガイドを目指した。日本人初の公式ガイドとなって20年。昨年は年間430組を案内した。

 アウシュビッツは、ナチス・ドイツ第二次世界大戦中の40年、占領下のポーランド政治犯を収容するため開設、後にユダヤ人らを大量虐殺する「絶滅収容所」となった。130万人以上が連行され、ユダヤ人がその9割を占めた。

 「ここは、博物館であると同時に犠牲者を追悼する場でもある。どうか忘れないで」と中谷さん。

 「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれた収容棟の正門前ではこう語った。「収容者は毎日、この門を通って十数時間の労働に出ました。逃亡を防ぐ有刺鉄線が敷地を囲み、電流が通っていました。少ない食事で重労働を強いられ、餓死する人も少なくなかった」

 正門をくぐると、赤れんがの収容棟が整然と並んでいた。ポプラの緑が目に染みる。大学のキャンパスを歩いているかのようだ。心中を察したのだろうか。中谷さんが口を開く。「水たまりに気をつけて。水はけの悪い道がなぜこのままか。収容者がローラーを引き、地ならしした道だからです」

収容所生んだ民主主義
 展示室は収容棟などとして使われていた建物だ。敷地内には、ユダヤ人らが虐殺されたガス室や焼却炉跡、犠牲者の骨粉を捨てた池が残されている。欧州各地に住んでいたユダヤ人は当時、「東部に移住させる」と言われ、連行された。ナチス親衛隊(SS)が没収した犠牲者の革靴やかばんに加え、命を奪った害虫駆除薬「チクロンB」の空き缶などが虐殺の痕跡を残している。

 あるガラスケースは部屋ほどの大きさがあり、犠牲者の髪で埋め尽くされていた。目にした時、「どれだけの量があるのか」と聞かずにはいられなかった。中谷さんが語調を強める。「8トンですが、何人分かは計算していません。衝撃的ですが、それ以上の人が殺された。もっとも数が問題ではありません。たとえ1人でも、『髪や目の色が違う』『ユダヤ人だから』と殺されたのが問題なのです」

 ユダヤ人は人間らしい扱いを一切されず、列車で到着すると、引き込み線脇の荷降ろし場でSSの医師らに「選別」された。労働できるか否か、を顔色を見て決める医師の指先が生死を分けた。連行されたユダヤ人の75〜80%がすぐさまガス室に送られたという。

 収容所ではドイツ人の精神的負担を軽減するため、ガス室への連行や死体焼却はユダヤ人らに担わせた。証拠隠滅のため、こうした役割の収容者も定期的に殺した。

 一枚の写真に言葉を失った。ガス室に送られる直前の人たちを収容者が隠し撮りした白黒写真。野外で裸にされた女性らがガス室へと誘導されている。天地が傾き、ピントがずれていることが撮影者の緊迫感をも伝える。戦後、ナチス・ドイツ戦争犯罪を立証する一枚となった。「事実を伝えなければとの思いがあったのではないか。フィルムは歯磨き粉のチューブに隠し、抵抗組織を通してポーランドの古都クラクフに送った。彼らの命を懸けた知恵と工夫によって、今知ることができるのです」

 歴史を冷静に伝えることを信条にする中谷さんだが「ぜひ認識してもらいたい」と熱弁を振るう場面があった。「収容所をつくった政治家は民主主義の下で、国民から選ばれました。だから国民が訴えれば閉鎖できたでしょう」と。

 加えて、国際社会の役割にも言及する。「多くのユダヤ人が列車で欧州各地からこの地に連行された。世界は当然知っていたのに見て見ぬふりをした。過ちを一国だけで防ぐのは昔も今も難しい。でも、国際社会が連携して働き掛けていたら、ナチス・ドイツの行動を止められたかもしれない」

 解説は「本質」に近づいていく。「ナチス・ドイツはなぜ収容所をつくることができたと思いますか」。次のような解釈が広く知られている。

 第一次世界大戦に敗れ、多額の賠償金にあえぐドイツに、世界大恐慌が追い打ちをかけた。社会荒廃が進む中で、裕福な人が多いと思われていたユダヤ人への妬み、積年の偏見が噴き出した。そこにナチス・ドイツが受け入れられる土壌が生まれた−−。

 中谷さんはさらに踏み込む。「当時の政治家は国民のこうした『反ユダヤ』感情を利用し、社会不安の要因をユダヤ人のせいにした。しかもこうした政治家ほど人気を集めた。常識から離れた『人間の優越性を髪や目の色で決める』という政策にブレーキがかけられなかったのは、なぜか。国民の支持があったからです。異を唱えた学者は主流派から外され、国民も『都合の悪い真実』に耳を貸さなくなった。衆愚政治の結果、アウシュビッツの悲劇は起きた。民主主義の恐ろしさ、その教訓は今にも通じています」

 参加者からの反応が少ないことが気になっていたのだろうか。見学が終盤に差し掛かった時、中谷さんは私たちを「挑発」するかのような言葉を発した。

 「皆さんがアウシュビッツに関心を持つということは、今の社会にも多かれ少なかれ(排他的な空気が)見え隠れしているからでしょう。でも考えてください。今、私の話を『聞かなくては』という雰囲気ですよね。私はこの場でもう権力を持っている。危ない道に入っています。いぶかしげな目を向けるならいいが、皆が身を乗り出して私の話を聞いている。これこそが誤った道を歩んだ権力者と国民の姿というものなのです」

 危険な社会を生み出す萌芽(ほうが)は日常生活に常に隠れているということなのか。

私たちの選択が次世代左右
 見学後、中谷さんの考えを詳しく知ろうとインタビューに応じてもらった。語り口は変わらず、穏やかだ。「ホロコーストの始まりは市井の人々が口にした『反ユダヤ』感情、ヘイトスピーチでした。それが時間をかけ、ガス室での虐殺につながった。ヘイトスピーチガス室は『一本の線』で結ばれている。歴史を学ぶことは、私たちの国が今どこに位置しているかを知る『道具』となるのです」

 ならば、日本の「現在地」が気にかかる。中谷さんは「黄色信号ではないか」と危機感を募らせている。日本でのヘイトスピーチを伝えるニュースに心底驚いたからだ。「参加者の中にはナチスのシンボルであるかぎ十字を身につけ、ヒトラーへの忠誠を表すあいさつを使う人もいた。悪意がないだけに、無知は怖い」

 原因は「日本の教育に責任がある」と見ている。「近代史、とりわけ20世紀の戦争についての知識が欠如していることが問題。歴史と現在は地続きで切り離せません。歴史に学び、教訓として未来に生かすことが必要なのです」

 政治家からはナチスに学べ、というような発言が飛び出した。「僕は政治家の発言を許容する社会が気持ちが悪い」と言い切った。

 日本ではナチス・ドイツへの抵抗感が乏しいだけでなく、「歴史修正主義」の動きも見え隠れする。やはり負の歴史は繰り返すのかと不安を吐露すると、中谷さんはこの日一番の笑みを浮かべ、「人間って捨てたもんじゃないですよ」と語り、こう続けた。

 「一人でも多くの人が歴史の現場に足を運び、自らが正しいと思う歴史を選ぶことが大切です。私たちの選択は次世代の20年、30年先をも左右する。政治指導者の歴史観をうのみにするのでなく、自分自身で将来を引き受ける覚悟が重要なのです。そう生きる人が増えていけば、おのずと社会はバランスが取れていくと思います」

 人間の手による惨劇を今に伝える中谷さんは、「人間の可能性」を限りなく信じていた。
    −−「特集ワイド アウシュビッツのガイド、中谷剛さんに聞く ヘイトとガス室は一本の線 「今の日本は黄信号」」、『毎日新聞』2017年10月06日(金)付夕刊。

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特集ワイド:アウシュビッツのガイド、中谷剛さんに聞く ヘイトとガス室は一本の線 「今の日本は黄信号」 - 毎日新聞


覚え書:「ラテンアメリカ五〇〇年—歴史のトルソー [著]清水透 [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞』2018年02月18日(日)付。



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ラテンアメリカ五〇〇年—歴史のトルソー [著]清水透
[評者]柄谷行人(哲学者)
[掲載]2018年02月18日

■錯綜した世界を分類して考察

 私がラテンアメリカの世界に関心をもったのは、文学を通してである。そこには、マルケス(コロンビア)、ボルヘス(アルゼンチン)、そしてオクタビオ・パス(メキシコ)という、まるで異質な世界があった。しかも、それらは同一の基盤にある。なぜ、いかにして、そうなのか。私はその後、中南米の各地に行く機会があったし本も数多く読んだが、実はよくわからないままでいた。本書は、長年私が感じてきた疑問に答えてくれるものであった。
 著者は1973年にメキシコに留学し、植民地時代のイエズス会を中心とするキリスト教伝道と先住民社会の関係の研究を始めた。しかし、従来の研究に不満を覚えて、79年から、毎年あるいは1年おきに、メキシコの南部、チアパス州にある、人口7万人程度のインディオの村(まだマヤ系の言語を話す)を訪れた。この40年に及ぶ「定点観測」を通して、近年の急速な変化が見えると同時に、以前の古層も見えてくる。また、それは中米だけでなく、ラテンアメリカ全体の考察に及ぶ。
 著者はラテンアメリカを三つの「場」に分類する。第一に、メキシコやアンデス地域の諸国、つまりスペイン・ポルトガルなどが到来する前に、先住民が農耕文明をもち、アステカやインカのような帝国を築いていた地域である。ここでは植民地勢力が先住民社会を支配し差別するとともに、逆に、後者に吸収されるにいたった。第二に、アルゼンチン、ウルグアイ、チリなどの、先住民が多く存在しなかった地域である。スペイン系以外のヨーロッパからの移民も多い。第三に、カリブ海の諸国。先住民が真っ先に一掃されたため、アフリカから大量の黒人奴隷が連れてこられた。
 さらに、著者は、植民地化の下での先住民の抵抗を三つに分けて考察する。第一に武力、第二に逃亡、第三に共生である。この中で最も目立つのは武力だが、著者が重視するのは、逃亡と共生だ。たとえば、スリナムには、黒人の逃亡奴隷社会が今も残っている。また、アマゾンの遊動狩猟採集民の多くは、先住民が逃亡した姿である。共生とは、キリスト教を一見受け入れたかたちで、もとの宗教を保持するようなタイプであり、通常は抵抗と見なされていない。
 以上は長年の観察から凝縮された分類であって、ラテンアメリカの錯綜(さくそう)した世界を見るのに役立つだろう。他に、興味深い事実を挙げておくと、イエズス会が、ある意味で国家から独立しており、現地の情報をヨーロッパに広く伝えたこと、また、アメリカ大陸の独立運動を起こしたのは、植民地生まれの白人(クリオジョ)だということ、などである。
    ◇
 しみず・とおる 43年生まれ。歴史学者。慶応大名誉教授(ラテンアメリカ社会史、オーラルヒストリー)。共著に『ラテンアメリカ 出会いのかたち』『コーラを聖なる水に変えた人々』など。
    −−「ラテンアメリカ五〇〇年—歴史のトルソー [著]清水透 [評者]柄谷行人(哲学者)」、『朝日新聞』2018年02月18日(日)付。

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錯綜した世界を分類して考察|好書好日





覚え書:「硬きこと水のごとし [著]閻連科 [評者]円城塔  (作家)」、『朝日新聞』2018年02月18日(日)付。

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硬きこと水のごとし [著]閻連科
[評者]円城塔  (作家)
[掲載]2018年02月18日

文革をありのまま伝える覚悟

 発禁処分や過激とされる表現がとりあげられることの多い閻連科だが、作家というものは基本的にどんな文章でも書ける。『年月日』のような神話的雰囲気を帯びた話や、『父を想(おも)う』のようなしみじみとしたエッセイだって当然書ける。
 だからもちろん、当局に確実に目をつけられるような小説を書き続けているのは、わざとなのであり、そうしなければならない必要に迫られてである。
 閻連科の作品の多くは、地方における文化大革命の影響とその担い手たちを扱う。現代中国の若者たちからしても遠くなってしまったその時代の姿をごろりと放りだす。
 文章や行間には常に笑いがあふれているが、どこか、本当のことを語っているのに笑い話としか受け取ってもらえない者のかなしみのようなものが漂うことも確かである。
 マジック・リアリズム的書き手とされることもあるのだが、魔術的な手法でなければ伝えられない現実というよりも、どう語っても嘘にしか聞こえない現実を伝えようとしているという方が適切なのではないか。
 本作の舞台は、まだ文革の嵐が届かない地方の貧村。その地で革命の理念に目覚めたひと組の男女が、守旧派と戦いながら実権を握っていくことになるのだが、おたがいの顔を知り尽くした村での話であるから、闘争だって、親を連れてきての泣き落としになったりし、当の(それぞれ配偶者のいる)男女二人も、地下に長いトンネルを掘って逢瀬(おうせ)を重ねたりする。
 のちの作品にくらべるとおとなしくみえる本作だが、これがおとなしいと思えるのは、閻連科がその後、『愉楽』や『炸裂志(さくれつし)』で切り開いた道を知っているからである。
 過去をありのままに伝えようとすることは本来、それだけで過激な行為となりうる。
 我が身を振り返り、それだけの文学的覚悟があるかを問いかけてみる。ない。
    ◇
 えん・れんか 58年生まれ。中国の作家。原書は01年刊行。著書に『丁庄の夢』など。14年フランツ・カフカ賞受賞。
    −−「硬きこと水のごとし [著]閻連科 [評者]円城塔  (作家)」、『朝日新聞』2018年02月18日(日)付。

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文革をありのまま伝える覚悟|好書好日









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覚え書:「告白—あるPKO隊員の死・23年目の真実 [著]旗手啓介 [評者]市田隆(本社編集委員)」、『朝日新聞』2018年02月18日(日)付。

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告白—あるPKO隊員の死・23年目の真実 [著]旗手啓介
[評者]市田隆(本社編集委員)
[掲載]2018年02月18日

■矛盾に満ちた過酷な現場に迫る

 カンボジアのPKO(国連平和維持活動)に日本文民警察隊として派遣された岡山県警高田晴行警部補(当時)が1993年に武装勢力の銃撃で死亡した事件を中心に、NHKの番組スタッフがこのPKOの真相を追及。2016年放送のドキュメンタリー取材をもとに書き下ろした。
 当時の国論を二分したPKO派遣問題で注目された自衛隊の陰で、全国から選抜された日本の警察官75人の文民警察隊はひっそりと現地入りし、内戦後のカンボジア各地に配置された。現地の治安が日を追うごとに悪化する中で、高田さんの殺害事件は起きた。
 番組スタッフは、この23年後に元隊長から記録の提供を受けたことをきっかけに検証取材を開始。現地での体験について沈黙を守っていた元隊員たちが、「歴史に埋もれさせてはならない」と重い口を開いた。元隊員たちの証言や手記、ビデオの映像記録を広く集めた結果、命の危険にさらされた当時の過酷な状況が明らかになり、個々の事実が言葉を失うほどの説得力をもって読者に迫ってくる。
 取材の積み重ねは、PKOの前提だった停戦合意が事実上破綻(はたん)し、再び内戦状態に突入していたことも浮き彫りにしている。当時、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)、日本政府ともそれを認めず、派遣要員の撤収はないとの立場に終始した。PKOの矛盾に満ちた舞台裏を明らかにした価値は大きい。
 高田さん殺害はポル・ポト派の犯行の疑いが強いが「いまなお『犯人』は特定されていない」し、事件後の究明・検証もなかった。本書の「これまでのメディアの無為を恥じた」との言葉は私にも重く響いた。
 日本の悲願だった人的な国際貢献という旗印のもとに現場隊員が苦しみ、犠牲者まで出した。今後、安保法制が新たな旗印になる場合、この事実を無視して先に進むことはできないだろう。それを世に知らしめた、意義ある一冊だ。
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 はたて・けいすけ 79年生まれ。NHKディレクター。報道局社会番組部などを経て15年から大阪局報道部。
    −−「告白—あるPKO隊員の死・23年目の真実 [著]旗手啓介 [評者]市田隆(本社編集委員)」、『朝日新聞』2018年02月18日(日)付。

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覚え書:「折々のことば:895 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年10月06日(金)付。

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折々のことば:895 鷲田清一
2017年10月6日

 重荷はみんな自分が背負いこんでしまう旧(ふる)い日本の女の生き方を、先生はよくわかっていない

 (ある年配の女性)

     ◇

 こういう意味の「辛辣(しんらつ)な言葉」を、感想として読者から送られた歴史学者安丸良夫は、女性のそういう葛藤をこそ描いたつもりだったのでひどくこたえたと、『出口なお』(朝日選書版)のあとがきに記す。悔しさは当の読者ではなく自分にこそ向かったはずだが、自著の最後でこういう破れを認めるのはなかなかできることではない。
    −−「折々のことば:895 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年10月06日(金)付。

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