研究ノート:内村鑑三とロシア




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 ケーベルを介して「ロシア」が日本に入ってきていたことと関連して、内村鑑三とロシア思想家の関係を簡単に紹介しておきたい。内村とロシアとの関係は、一九〇三(明治三六)年に日露戦争を前にして内村が非戦論をとなえたことから、ロシアで同じ声をあげたレフ・トルストイとの思想的関連ばかりが強調されてきた。しかし宗教思想家としての内村については、ドストエフスキーやその若い友人の宗教哲学者ヴラヂミール・ソロヴィヨーフとの関連にも目をむける必要がある。内村のキリスト再臨の信仰や、神のはからいとしての世界史の見方は、その内奥にはキリスト教神秘主義を含んでおり、それはドストエフスキーやソロヴィヨーフが生々しいヴィジョンとして抱いていたものである。
 内村自身、一九一八(大正七)年の説教「ツルーベツコイ公の十字架」で、ロシアの思想家への共感を語り、ロシアの思想家にはヨーロッパ人の理性とは違う「アジア人の情性」がある、「ロシア人の思想が日本人に了解せられやすきはすなわちこのゆえである。キリスト再臨につき最も深き印象を余に与えた者も、同じくロシア人たるウラジミール・ソロヴィエフ〔ママ〕であった」と告白している。
 また内村の一九二二年の日記には、チュービンゲン大学のハイム博士と会ったが、博士が「キリスト再臨信者であるのに、余は深く驚いた。博士は、同信の士としてドストエフスキー、メレシコフスキーらの大家を挙げた。実に愉快の至りである」と書いている。
 北大図書館蔵の内村文庫の一冊にアルセーニエフ著『神秘主義東方教会』の英訳がある。内村はこの英訳が出版された一九二六年にすぐに取り寄せて読んでいる。アルセーニエフがドストエフスキーについて書いている箇所には例外なく太いアンダーラインが引かれて、例えば『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の「兄弟たちよ、人間の悪意を恐れてはならぬ」ということばには、「無政府主義者に対しても」という書き込みがなされている。内村鑑三は「アジア人の情性」を持つロシアの思想家に触発されていたのである。
 ニコライについては内村は核心をついたことを言っている。
 「予がニコライ師に対して殊に敬服に耐へないのは、師が日本伝道を開始せられて以来、彼の新教派の宣教師の如く文明を利用することなく、赤裸々に最も露骨に基督を伝へた事である」(「美しき偉人の死」、『正教時報』大正二年二月一〇日号)
 内村はニコライの葬儀に参列した。その後しばらくしてかれは駿河台を訪ね、「ニコライ師が五十年間の生活をせられた室内を参観」し、その質素な遺品を見て「深き感動」を受けたという。
    −−中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』岩波新書、1996年、160−161頁。

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内村鑑三(1861−1930)とロシアの思想家といえばやはりトルストイ(Lev Nikolajevich Tolstoj,1828−1910)という脊髄反射をしてしまいそうになりますが、決してそれだけではなかったという箇所を非常にコンパクトにまとまった一文がありましたので紹介しておきます。

プロテスタンティズム、カトリシズムにくらべると、やはり、(ロシア)正教関係というのは、日本ではなかなか広まっていないといいますか、理解がまったくすすんでない分野の一つなのですが(といっても前二者に関しても正確な理解が定着しているのかと問うた場合、!!!と疑問が大きく出てしまいますが)、その最初の巨人であるニコライ師(Nicholas of Japan,1836−1912)の足跡をたどった新書の中に一節がありましたものですから、冒頭に掲げさせていただきました。

しかし、ホント、内村鑑三の再臨思想というものは、西洋の着物を来たキリスト教遠藤周作(1923−1996)という観点だけでは理解しがいものがありますから、そのヘンの思想的交流・影響関係をきちんと整理してみるとおもしろい発見が沢山ありそうですね。

……ってことで、このへんで。

すいません、なかなか忙しいものでして・・・。






⇒ ココログ版 研究ノート:内村鑑三とロシア: Essais d'herméneutique


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