日記:非政治的政治性という不断の挑戦

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帰宅して調べ物で柳宗悦の『美の法門』再読。民藝の思想的根拠ですが、柳の後半生は、いわば小文字の政治を取り戻すための闘いだったのではないかと推察。正反含め大文字の政治の怒声と、そして実は同根の無関心という対極を退ける非政治的政治性という不断の挑戦。人間が共同・協同するヒントがあるかもと思ったりです。

二者択一の決断を迫ることは分断主義を必然する。そしてどうでもいいやという無関心という撤退。この両者は一見すると別々のように見えながらも、生活と遊離した大文字の政治というコインの裏と表ではないか、と。

現実にはどちらかといえば変革への烽火にシンパシーを抱きつつも、信仰告白でことたりないから、無名の小さな生活の変革実践を大切にすることの再発見が必要になる。

(隷属した奴隷という意味ではない意義での)蟻のように人は生きている。その生活の中での違和感を大切にしつつ、保持すべきことがら、そして改めるべきことがらを見分け、丁寧に生きていくこと。そうした声ちゅうもんが、「お前は、反革命か!」ってドヤされるのではない包摂と連帯を見いだしたい。

私自身は極めて政治的な発言が多いけれども、いわゆる無関心と同義ではない、棄権はしないけど立場を明らかにしないが如き政治への関わりへの消極さを、政治それ自体に無関心であるなどと理解したくはない。そもそも対象への完全な無関心なら、その対象から距離を置くという発想すら生じないから。

いや、私自身も、原発に依存しない社会であるべきだと思いますし、現在進行形で進む辺野古の問題もいかがなものかとは思う一人ですけど、無関心ではないけど声を上げない(=それがイコール政治参画の棄権でもない)ということを責めるというのはなあ、その優柔不断さがおれのいかんところかもしれんが


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