覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 『福祉国家』への事始め=宮武剛」、『毎日新聞』2015年01月14日(水)付。

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くらしの明日
私の社会保障
福祉国家」への事始め
日英の戦後70年
宮武剛 目白大大学院客員教授

 <お前のことばは大言にすぎるというのであろう。そうだ。それは私も知っている。実のところ、私は一応かくいうことによって、読者諸君の好奇心をそそりたいのである。そして諸君の批判を挑発したいのである>
 宛先は当時の吉田茂首相だが野党や労組の抗議文ではない。1950年、首相の諮問機関「社会保障制度審議会」が発した初勧告の序説である。
 <問題は、いかにして彼らに最低の生活を与えるかである。いわゆる人権の尊重も、いわゆるデモクラシーも、この前提がなくては紙の上の空語でしかない>
 新憲法はすでに公布され「国民主権」「戦争放棄」「基本的人権」を高らかに宣言していた。
 しかし、広島、長崎での被曝を含め300万人以上の犠牲者、1000万人以上の罹災者を数えた第二次世界大戦の後遺症は途方もなく重かった。
 物価は高騰し、配給制の米は滞り、法外に高いヤミ米が横行した。配給米のみで耐えた高校教員や裁判官が栄養失調で死亡する悲劇さえあった。
 <国によっては、ゆりかごより墓場まで、すべての生活部面が、この(社会保障)制度によって保障されている(中略)貧と病とは是非とも克服されねばならぬが、国民は明らかにその対策をもち得るのである>
 同審議会の会長は戦前からの言論弾圧を耐え抜いたマルクス経済学者で当時の法政大学総長、大内兵衛だった。深い危機感と烈々たる気概を込め、宰相・吉田茂を挑発したのだ。
 勧告本文は、社会保障の全体像と社会保障生活保護、公衆衛生・医療等の制度別にあるべき姿を初めて描いた。
 そのモデルは、大戦中の42年、若き日はスラム街で貧民救済に取り組んだ経済学者ウィリアム・ベバリッジが提案した英国の福祉国家構想である。
 通称「ベバリッジ報告」は、人類を脅かす「5つの巨悪」(貧困・病気・失業・無知・不潔)に打ち勝つため「公助」(生活保護)や「共助」(社会保険)を整え、教育、都市開発の拡充を体系的に打ち出した。
 ドイツ軍の攻勢にあえぐ最中に一筋の光を与えた報告書は熱狂的な支持を得て、小説「風と共に去りぬ」に匹敵する売れ行きをみせた。
 しかし、長年にわたりベバリッジを引き立てた当時の首相ウィンストン・チャーチル社会主義的な政策に反発し、その提案が実るのは労働党政権に代わる40年台半ば以降になる。
 敗戦国と戦勝国との落差を超えて、この社会保障制度の「事始め」が教えてくれるのは、民主主義こそ、その生みの親で、平和と豊かな社会が育ての親であることだ。
社会保障制度審議会 1949年に発足し、調査・審議のうえ首相と関係大臣に対し意見・建議・勧告の権限を持った。大内を始め大河内一男隅谷三喜男ら著名な学者が会長を務めた。2001年の省庁再編に伴い、その機能は主に経済財政諮問会議に引き継がれた形になった。
    −−「くらしの明日 私の社会保障論 『福祉国家』への事始め=宮武剛」、『毎日新聞』2015年01月14日(水)付。

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