覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『シリーズ 東アジア海域に漕ぎだす 全六巻』=小島毅・監修」、『毎日新聞』2015年01月18日(日)付。

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今週の本棚:三浦雅士・評 『シリーズ 東アジア海域に漕ぎだす 全六巻』=小島毅・監修
毎日新聞 2015年01月18日 東京朝刊
 
 (東京大学出版会・3024−3240円)

 ◇地球大の視点から日中関係を見つめ直す

 「東アジア海域に漕(こ)ぎだす」とはずいぶん詩的なシリーズ名だが、まことに時宜を得た企画である。

 第一巻「海から見た歴史」羽田正編、第二巻「文化都市 寧波」早坂俊廣編、第三巻「くらしがつなぐ寧波と日本」高津孝編、第四巻「東アジアのなかの五山文化」島尾新編、第五巻「訓読から見なおす東アジア」中村春作編、第六巻「海がはぐくむ日本文化」静永健編。

 俗耳に入りやすい形容をあえてすれば、寧波は東洋のベニス、かりに西洋ルネサンスがベニスに象徴されるとすれば、これは東洋ルネサンスを寧波に探るという企画である。寧波は南宋の首都として栄えた杭州の玄関であり、アヘン戦争以前は現在の上海の立場にあった。重要なのはしかし、かつてマルコ・ポーロ杭州を見てその栄華に驚嘆したように、寧波や杭州の繁栄はイタリア・ルネサンスにはるかに先行していたということ。ベニスのほうが西洋の寧波なのだ。内藤湖南宮崎市定が宋代を東洋的近世と見なした顰(ひそ)みに倣えば、宋代の寧波にルネサンスを見て、それへの呼応として日本のたとえば室町文化を把握すること、そういう試みだと思えばいい。「われわれはルネッサンスという一大事例に眼を奪われて、日本や中国に花開いた都市文化のことを忘れてはいけない」と、伊原弘は第六巻で述べている。シリーズの核心である。

 第一巻と第六巻が鳥瞰(ちょうかん)図を示すとすれば、第二巻と第三巻は寧波を接写して日本とのかかわりを探求する。日本の茶の起源は寧波にある、寧波の石工たちは来日して仕事をしていたなど、興味深い話が次々に出てくる。第四巻と第五巻は日本を接写する。京都五山鎌倉五山は、たとえていえばオックスフォード大学の分校が京都、鎌倉にできたようなもの、来日外国人教授が引っ張りだこなのは当然だが、背後に中国における王朝交代劇もあって、教授たちはみな政治活動をもこなしていた。小説になりそうな話が盛り沢山(だくさん)だが、最終配本の第五巻にはとりわけ驚くべき事柄が多い。訓読は朝鮮にもベトナムにもあった、日本は朝鮮の訓読を参照した、訓読はしかし結果的に日本にのみ残り、現代日本語の基底を形成することになったなど、考えさせられること夥(おびただ)しい。

 歴史、思想から芸術まで、数十人による学際的共同研究が実った。時宜を得たというのはしかし、シリーズを貫く考え方が、二〇〇五年に死去した経済史家フランクの提唱する世界史観の転換に期せずして呼応していると思えるからである。フランクは、ウォーラーステインアミン、アリギと並んで、資本主義はそのシステム上、必然的に第三世界を生み出さずにおかないという理論を展開したことで知られるが、晩年にいたって大きく方向を転換した。立論にあたってつねに参照してきたマルクス主義こそ、じつはもっとも西洋中心主義的で間違っていたという見方に立つようになったのである。西洋の産業革命など、長く経済先進地域であったアジア、とりわけ中国という巨人の肩の上にのった小人の芸にすぎなかった。『リオリエント』で展開している議論だが、確かにマルクスの「アジア的生産様式」概念など西洋中心主義そのものである。

 フランクの見方の当否はおいて、それに全面的に賛意を呈したのが、ベストセラー『世界史』の著者マクニール。そしてそのマクニールが『世界史』そのほかを書くうえで参照した重要な本として挙げているのが斯波義信の『宋代商業史研究』である。都市は商業の別名。一般読者には斯波の『中国都市史』のほうが入りやすいだろうが、シリーズ「東アジア海域に漕ぎだす」が、斯波の視点の延長上に構想されたこと、少なくともそれが十分に参照されたことは疑いない。要は、フランクもマクニールも、これまでの西洋流の世界史はあまりにアジアを小さく見積もってきたと考えているということだ。そして世界史から地球史へと視野を拡大するにあたっては宋代研究が鍵になるというのである。

 英訳『宋代商業史研究』の訳者序でエルヴィンは日本や中国の研究を参照するにも言語障壁があることを嘆いている(言語障壁は日本人だけを苦しめているわけではない)。だが、海も言葉も貨幣も、人を隔てることによって逆に結びつけるのだ。障壁が魅力を生む。いまや英米における宋代研究はあたかも二十一世紀はアジアの世紀だとでもいうように盛んになってきている。シリーズ「東アジア海域に漕ぎだす」はこの変化を象徴しているのである。

 話題になったアブー=ルゴドの『ヨーロッパ覇権以前』も、ポメランツの『大分岐』や『グローバル経済の誕生』も、フランクと同見解ではないにせよ、世界史におけるアジアの重要性を深く認識させるものだ。東アジア海域に漕ぎだしているのは日本の研究者だけではない。

 全六巻、読みやすく、教えられることが多い。だが、何よりも喜ばしいのは初々しいことである。シリーズ名が示唆するのは、これが到達点ではなく出発点であるということだ。読者をさらなる旅へ誘うこともまた書物の大きな役割だと思わせる。
    −−「今週の本棚:三浦雅士・評 『シリーズ 東アジア海域に漕ぎだす 全六巻』=小島毅・監修」、『毎日新聞』2015年01月18日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150118ddm015070002000c.html








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