覚え書:「ニュースの扉:ガレッジセール・ゴリさんと訪れる沖縄 苦々しくもまぶしいアメリカ」、『朝日新聞』2015年01月19日(月)付。

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ニュースの扉:ガレッジセール・ゴリさんと訪れる沖縄 苦々しくもまぶしいアメリ
2015年1月19日

(写真キャプション)米軍嘉手納基地の滑走路(左)と県道を挟んで住宅が立ち並ぶ=沖縄県嘉手納町

 結成から20年を迎える沖縄出身のお笑いコンビ「ガレッジセール」。ゴリさん(42)は昨年から今年にかけて沖縄と東京、大阪、名古屋で、沖縄の文化をテーマにした舞台を企画、プロデュースして回っている。東京で活躍するにつれ、もっと沖縄を知り、人々を楽しませたいと思った。基地問題や本土との経済格差についても自分なりに考え続けてきたという。

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 昨年12月17日、沖縄・石垣島石垣市民会館大ホールには立ち見を含め千人以上が押し寄せた。「シーミー」という、先祖の墓の前で家族が集う沖縄の伝統行事を題材に、ガレッジセールや同じく沖縄出身のスリムクラブ、地元で活動するタレントなどオール沖縄キャストで臨んだ第1回「おきなわ新喜劇」の県内最終公演だった。

 前座のコントで米国とのハーフの地元タレントが砂遊びをする場面では、相方が「アメリカァ〜が不発弾処理してる!」と叫んで会場がドッと沸く。本編では高齢女性役がウチナーグチ(沖縄の言葉)でまくしたてたシーンで拍手喝采を受けた。県内5カ所での舞台は盛況で、計5千人近くを動員した。

 「東京に住む沖縄出身の芸人として、地元への恩返しを込めて、ここで新喜劇を上演したかった」。翌日、記者とともに本島に移動したゴリさんはそう話し、嘉手納町にある「道の駅かでな」に案内してくれた。

 4階の展望場からは米軍嘉手納基地の滑走路と、隣接する県道、住宅地が一望できる。離着陸を繰り返す軍用機。轟音(ごうおん)が途切れた時、ゴリさんは「僕の祖父の代まで、自宅は現在の基地の敷地内にあったそうです」と言った。基地ができる際に立ち退き、父の代で移った那覇市でゴリさんは生まれ育った。「移住させられたことや、これまでに米軍基地に関連した事故が起きていることを考えると苦々しい思いになる。一方で、アメリカという国がなければ、僕は今の僕ではなかった」

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 日本大学芸術学部に入学して沖縄を離れるまで、7月4日の米国の独立記念日が待ち遠しかった。嘉手納基地が開放され、米兵たちが県民を歓待してくれた。忘れられないゲームもあった。水着のアメリカ人女性が水槽の上の板に座って「カモン!」と叫ぶ。横の的に向かってボールを投げて当たると、板のバランスが崩れて女性が水の中に落ちる。米兵が笑顔でハイタッチを求め、有頂天になった。「あんなにドキドキした経験はない。土地を奪われた側の沖縄県民である僕が喜んでいたんだから、変と言えば変ですよね」

 国道58号を車で移動すると、着陸する戦闘機がすぐ頭上を通過していった。「たしか、昔はこの辺りにあった」と話したのは、子どもの頃に通い詰めた米国人が集う那覇ローラースケートランド。ディスコミュージックがかかり、ダンスを米兵に教えてもらった。そんな経験が生き、芸人になってからブレイクダンス対決や、「ゴリエ」に扮して激しく踊るネタで脚光を浴びた。「音楽、服、スタイル、アメリカ文化の全てがまぶしく、青春そのものだった」

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 ゴリさんは1972年5月22日生まれ。沖縄が本土復帰した1週間後に生まれた「復帰っ子」で、徐々に米国に親しみを持つ人が増えた世代とされる。

 昨年11月の県知事選では、普天間飛行場の移設先として辺野古が現実的だと方向転換した仲井真弘多(なかいまひろかず)前知事が、国外か県外を訴えた翁長雄志(おながたけし)知事に敗れた。翌月の衆院選では、県内の4小選挙区全てで自民の前職が落選した。ゴリさんは「基地や本土との経済格差など沖縄を取り巻く問題は複雑で、単にどちらがどうだとかは言えない。全ての問題が解決するまでには、今後も長い道のりがあると感じている」と話した。(文・後藤洋平、写真・山本和生)

 ■ゴリの目 基地問題、自分の答え出ていない

 これまで沖縄の基地問題などについて公の場で口にすることはなかった。正直言って怖い。僕は政治に詳しくないし、自分の中で、どうすべきかという答えは出ていない。

 米軍基地は僕が生まれる前からあり、それが当たり前だった。一方で、普天間の立地状況や、これまでに起きた事件事故については幼い頃から教えられてきた。

 僕には小学5年の息子と3年の娘がいる。家族とともに、沖縄の米軍基地周辺に住めるだろうかと自問すると、答えに窮する。一方で、基地が無くなれば沖縄はどうなるのだろうか、とも考える。沖縄は侵略と支配を繰り返された島。経済的にも基地関連の仕事に就く友人は多いのが実情だ。

 沖縄県民の多くはテレビカメラを向けられて「基地に賛成か、反対か」と問われると、反射的に「反対」と言う。そうしなければ「沖縄を売った」と言われるからだ。でも、少なくとも僕の周りの人間は普段、そんな話を友人や家族としていないと思う。

 コンビ結成直後の若い頃、相方と「全国で売れるため、仕事では沖縄色を封印して標準語で話そう」と決めていた。沖縄を深く知ろうと思ったのも、恥ずかしながら、芸人として世間で名が知られてからだった。40歳を超え、人生の折り返しを意識した今、自分にできることが、沖縄の人々に笑いを提供することだった。ここでの新喜劇を今後10年は続け、いずれは常設で開きたい。20年後には、また沖縄に戻り、住みながら仕事をしたいと思っている。

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 本名・照屋年之(てるやとしゆき)。那覇市出身。1995年、同郷の川田広樹とお笑いコンビ「ガレッジセール」を結成し、活動を続ける。

 ◆キーワード

 <沖縄の米軍基地> 日本にある米軍専用施設の面積のうち、沖縄県内が74%を占める。これは沖縄本島の面積の約2割にあたる。

 住宅街と隣接する普天間飛行場宜野湾市)は、辺野古(名護市)への移設で1996年に日米が合意したが、反対の声は大きく、昨年1月の名護市長選などでも、県外や国外に移設すべきだとする陣営が勝った。

 ◇「おきなわ新喜劇」は18日に東京公演を終え、21日に名古屋アートピアホール、22日に大阪・なんばグランド花月で公演。
    −−「ニュースの扉:ガレッジセール・ゴリさんと訪れる沖縄 苦々しくもまぶしいアメリカ」、『朝日新聞』2015年01月19日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11558258.html


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