覚え書:「今週の本棚:張競・評 『描かれた倭寇−「倭寇図巻」と「抗倭図巻」』=東京大学史料編纂所・編」、『毎日新聞』2015年01月18日(日)付。

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今週の本棚:張競・評 『描かれた倭寇−「倭寇図巻」と「抗倭図巻」』=東京大学史料編纂所・編
毎日新聞 2015年01月18日 東京朝刊
 
 (吉川弘文館・2700円)

 ◇推理小説読むような専門研究の展開

 謎に包まれた絵巻はふとしたきっかけで歴史の濃霧から姿をあらわしてきた。

 「倭寇(わこう)図巻」は東京大学史料編纂(へんさん)所が所蔵し、長いあいだ倭寇を描いた唯一の絵画史料とされていた。だが、近年、中国国家博物館に「倭寇図巻」とよく似た「抗倭図巻」が所蔵されていることが判明し、「倭寇図巻」は孤立した作品ではないことが明らかになった。三年ほど前から東京大学史料編纂所は中国国家博物館と共同研究を始め、新しい事実が次々と発見された。二つの作品間の響き合いのみならず、画像の裏に隠された政治的意図や、美術を享受する歴史文化的背景の違い、それに由来する作品の特徴も浮かび上がってきた。本書は研究成果の一部を一般向けに紹介したものである。

 書物を披(ひら)いてまず彩色図版による全体像に圧倒された。「倭寇図巻」の芸術性はほとんど語られたことはないが、美術作品としてもなかなかの出来栄えだ。どの場面も精緻に描かれており、多種多様な人間の動きは真に迫る。名作の人物造形に劣らぬほど、精彩に富んだ場面もある。細部については拡大図が付けられており、人物の表情や衣裳(いしょう)、山水や樹木、さらには色彩の濃淡にいたるまでくっきりと再現されている。

 高精細デジタルカメラを用いた近赤外線撮影は史料研究の現場に革命的な変化をもたらした。これまで判読不明の文字が姿を現し、作品をめぐる謎はいくつも解き明かされた。

 「倭寇図巻」と「抗倭図巻」の類似と相違について、構成、場面、モチーフや表現様式に分けて検討が行われ、両者のあいだに驚くべき図柄の共通性があることがわかった。明末には名作の贋作(がんさく)づくりが流行しており、名画の模本は必ずしもすべて商業目的とは限らない。もともと模本は敬意の表れで、美術品の複製に対し、罪悪感は希薄だ。模本にも独自の美的価値が認められ、断片化した創作的意匠を競い合う痕跡もあった。また、絵画制作の依頼者は贈答用に予(あらかじ)め複数の模本を作らせることもある。そうした独特の美術享受の慣習を考えると、「倭寇図巻」と「抗倭図巻」にはオリジナルな作品があってもおかしくない。さらに、二つの作品以外にも類似する模写があるのかもしれない。

 実際、清代中期の文人張鑑が書いた「文徴明画平倭図記」という文章によると、「明文徴明画胡梅林平倭図巻」がかつて存在していたという。倭寇図の追跡はここからいよいよ佳境に入り、ほとんど推理小説のような展開となる。

 張鑑は画家の鑑別を任されたが、本人は依頼目的をそっち退(の)けに、もっぱら図中人物の特定に情熱を燃やした。その結果、重要な歴史的人物がかかわっていることが炙(あぶ)り出され、絵に描かれたことは史実と呼応していることが明らかになった。張鑑の絵解きは「抗倭図巻」と驚くほど一致し、読みながら鳥肌が立った。かりに張鑑の見立てが正しく、しかも彼が見た絵が「抗倭図巻」と同じ系統のものであるならば、「抗倭図巻」にも祖型となる作品があるはずだ。そして、「倭寇図巻」はさらにその外側に位置していることも推定できよう。最後に挙げられた民間絵画「太平抗倭図」はまったく性格の異なる作品で、倭寇図の裾野の広さを示している。

 共同研究の結果は通常、論文集という形で刊行され、専門家以外の目に触れることは滅多にない。だが、学術研究は本来よく工夫すれば、一般向けにも発信できる。学界の風通しをよくし、知の普及にも役立つであろう。その点において、本書は一つの成功例を示した。
    −−「今週の本棚:張競・評 『描かれた倭寇−「倭寇図巻」と「抗倭図巻」』=東京大学史料編纂所・編」、『毎日新聞』2015年01月18日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150118ddm015070017000c.html


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