覚え書:「書評:書物の夢、印刷の旅 ラウラ・レプリ 著」、『東京新聞』2015年01月18日(日)付。

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書物の夢、印刷の旅 ラウラ・レプリ 著

2015年1月18日
 
◆爛熟する都市文化へ誘う
[評者]森彰英=ジャーナリスト
 時代は十六世紀のヴェネツィア、長い名前の人たちが続々と登場する。最後まで読み通せるのかという危惧は、二人の男が街を歩き出す冒頭のシーンで解消した。ヴェネツィア共和国書記官とスペイン教皇大使として赴任している枢機卿の執事(以下すべて人名は略す)。彼らは枢機卿の著作『宮廷人』をこの都市で出版すべしという命令を帯びている。二人の動きが映画の移動撮影のように捉えられ、街の活気が伝わる。特に書籍市場の情景はエキサイティングだ。当時この都市でイタリアにおける書籍の半数以上が出版され、定価はなく客との交渉で価格が決定されていた。こうして二人が印刷業者のところに到着した時には五百年余り前の世界に入り込んでいた。
 本を作るための話し合い、編集や校正、印刷などの工程のほとんどが、いま評者が体験している世界と同じで、そこで仕事をする人たちはすべて今身近にいるかのように見える。いやもっと有能で熱っぽい。さらに『宮廷人』の出版をめぐりヴェネツィアの文化人や貴婦人などが続々と登場して、一冊の本から世界は止めどなく広がる。
 著者はイタリア文学の研究者で、本書がその研究の蓄積から生まれた背景は巻末の膨大な参考文献で明らかだが、文中どこにも文献の直接引用はないし、創作された会話や読者の感情を刺激する描写も見当たらない。客観的な叙述にもかかわらず、なぜ読者はその時代にいるような視覚的、感覚的な刺激を受けるのか。その秘密は著者が研究者のほかに新聞、放送、編集の現場を体験し、人間の本質に迫るスタンスを身に着けているからではないか。
 この歴史的ノンフィクションの後半、爛熟(らんじゅく)する都市文化の中で本の出版に関わった人々のその後を追跡する手法は現在の週刊誌のスタイルだ。「書物は、たとえそれが過去のことを語っていても、現在の生に何かを付け加える」という著者のメッセージがそこに生きているような気がした。
柱本元彦訳、青土社・3024円)
 Laura Lepri イタリアの著名な編集者。文学賞の審査員も務める。
◆もう1冊
 B・ブラセル著『本の歴史』(荒俣宏監修、木村恵一訳・創元社)。手書きの本から活版印刷術発明後の出版まで書物の歴史をたどる。
    −−「書評:書物の夢、印刷の旅 ラウラ・レプリ 著」、『東京新聞』2015年01月18日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2015011802000171.html










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