覚え書:「千の証言:戦後70年/1 兵士たちの体験(その1) 「最低3人殺す」迷いなかった」、『毎日新聞』2015年01月20日(火)付。

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千の証言:戦後70年/1 兵士たちの体験(その1) 「最低3人殺す」迷いなかった
毎日新聞 2015年01月20日 東京朝刊

 今年の夏、第二次世界大戦で日本が無条件降伏して70年となる。戦争は満州事変から14年間も続いたが、外見上、その爪痕はほとんど残っていない。そんな今こそ、戦争を生き延びた人びとの肉声に耳を傾け、数えきれぬ命を奪った惨禍の実相を知りたい。戦争の体験者や家族、遺族の証言を集める毎日新聞社とTBSテレビの共同プロジェクト「千の証言」には昨年8月の開始以来、これまでに800通を超える証言が寄せられた。これらの投稿を今月から月に1度、特集面で紹介していく。初回は、「兵士たちの体験」を特集する(投稿は原文を尊重しています)。【山田奈緒

(写真キャプション)ヤシの実を削って作ったたばこ入れを持つ久保田縁さん。果物ナイフで刻んだ「セレベス島」の文字が今でも残る=大阪府河内長野市で、小松雄介撮影

 ◇1945年、オランダ領セレベス島 腕の中、息絶えた戦友

 戦後、ふと「なぜ戦友や恋人が死に、自分は生きているのか」と考えることがあった。「自分は死に損ねだ」とも。だが、74歳で亡くなった母は晩年「私の一生でお前が生きて帰ってきてくれたことが一番うれしかった」と何度も口にした。

 母の言葉に救われたと語るのは、大阪府河内長野市の元陸軍整備兵、久保田縁(しげる)さん(91)だ。カラオケ友達の後押しで戦争の記憶をたどった。

 大阪市内の機械会社で働いていた1944年4月、徴兵検査に合格して陸軍に入隊。同年8月に、飛行機などのエンジニアである整備兵としてオランダ領東インド(現インドネシア)を目指し、門司港を出た。輸送船が乏しく、一度沈められ修理したボロ船にも乗った。仲間の船が目の前で沈められたこともあった。経由地では土木工事をして過ごし、目的地セレベス島(現スラウェシ島)=地図<1>=の港町マカッサルに着いたのは半年後だった。

 現地の日本軍は弱り切っていた。銃弾は十分に与えられず、戦力の乏しさを感じた。飛行機も、エンジニアとしての仕事もなかった。飛行場で「いずれここが日の丸の飛行機でいっぱいになる」と信じ、力仕事に汗を流したが、敗色は濃くなっていく。

 米軍爆撃機の攻撃が相次ぎ、何人の戦友が命を落としたか。足や手がもげそうにぶらぶらしている者。軍医の元へ運ぼうと抱えた自分の腕の中で息絶えた者。「おっかあ」という言葉を残して死ぬ者。目の前で血が流れ続ける日々に精神を病む者。

 「命がなんぼあっても足りん場所やった」と言う。飛び込んだ防空壕(ごう)が埋まってしまったこともあったし、かぶった鉄かぶとに爆弾の破片が突き刺さってけがをしたこともあった。

 大規模な爆撃後に上陸するのが米軍の常で、地上戦を覚悟した。上官に「死ぬ前に最低3人の米兵を殺せ」と言われた時、「仲間のかたき。必ずやってやる」と迷いはなかった。しかし、地上戦にはならず終戦を迎えた。

 大阪・阿倍野の自宅に帰ったのはそれから1年後。まちは空襲で一変していたが、母は家におり、はたきで部屋を掃除していた。

 「ただいま」。母は体が固まり、しばらく押し黙った。やせこけ、日に焼け、目をぎょろつかせる姿に、息子だと気付かなかったのかもしれない。あまりに驚いたのかもしれない。沈黙の後に抱きついてきて、泣いた。

 父は食糧を求めて神戸に行き、帰ってこなかった。空襲に遭ったらしい。恋人も消息不明だった。灯火管制の暗いまちで、手もつなげず一緒に歩いた甘酸っぱい思い出がある。出征時に「生きて帰ってきて」と泣いてくれた相手だった。

 戦後はタクシー運転手などをして、妻子を養った。家族に戦争の話をしたことはほとんどない。「千の証言」への投稿は、テレビの告知を見た近所のカラオケ仲間、佐脇富子さん(75)の勧め。投稿するつもりはまったくなかったが、年の離れた佐脇さんに「戦争のことを知りたい」とせがまれ、初恋や戦場でのことを思い出しながら語った。凄惨(せいさん)な光景は話せない、と思うこともあった。

 メモしながら聞いた佐脇さんは、久保田さんが上官の命令通り「殺してやる」と意気込んだことに驚いたという。他の仲間も手伝って昨年夏、原稿用紙8枚分のささやかな手記ができ、佐脇さんやカラオケ仲間10人ほどが読んだ。

 「楽しい話と違う。墓場まで持っていくつもりだった」と久保田さんは言う。戦争の時代があったことを示すものは、今もかすかに残る額の傷と、ヤシの実で作った刻みたばこの入れ物だけ。今もたばこ入れを時折、手で磨く。「生きてるっていうんはありがたい」。そんな思いを込めながら。


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 「千の証言」特集面は月1回のペースで掲載します。 グラフィック・平山義孝
    −−「千の証言:戦後70年/1 兵士たちの体験(その1) 「最低3人殺す」迷いなかった」、『毎日新聞』2015年01月20日(火)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150120ddm010040014000c.html





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