覚え書:「芥川賞・直木賞に決まって 小野正嗣さん・西加奈子さん寄稿」、『朝日新聞』2015年01月21日(水)付。

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芥川賞直木賞に決まって 小野正嗣さん・西加奈子さん寄稿
2015年1月21日 

 第152回芥川賞小野正嗣「九年前の祈り」、直木賞西加奈子サラバ!」に決まった。創作の原点を寄稿してもらった。

 ■土地の「物語」に耳澄ます 芥川賞「九年前の祈り」 小野正嗣さん

 ひとつの土地をモデルにした小説を書いてきた。リアス式海岸が複雑な地形を作る大分県南部にある佐伯市蒲江(かまえ)。小さな入り江の一つに面した集落が僕の故郷だ。

 地縁的、血縁的な関係が濃く、神話や伝承と言えば大袈裟(おおげさ)だが、土地と人物にまつわる逸話や噂(うわさ)、それを面白く語る人たちに囲まれて育った。

 緑の獣のように眠る山と、漁船と筏(いかだ)が浮かぶ濃紺の湾の間で、過疎化による深い静寂を背景に、知性よりも情動に訴えてくる懐かしい方言が何かをしきりにささやいている。でも波音と潮風にまぎれてよく聞こえない。

 この海辺の土地が語る「物語」が聞こえるようになったのは、はるか遠いフランスのオルレアンにある一つの場所と出会ったからだ。

 足かけ8年に及ぶ留学中のほぼ5年間、詩人・批評家のクロード・ムシャール氏の家に居候した。僕の両親と同世代であるクロードと妻のエレーヌが暮らすその家には、古代ローマの土器片が見つかる地下貯蔵庫と美しい花を咲かすマグノリアの木が印象的な大きな中庭があった。

 大学教授として指導する各国の留学生を招いては、自ら焼いた菓子をふるまい、一緒に詩を翻訳するクロード(僕とは峠三吉吉増剛造をフランス語訳した)。

 フランスのユダヤ人迫害、とりわけ親から引き離され、絶滅収容所に強制移送されて命を奪われた子供たちの記憶の保存・継承を目的とする記念館を設立したエレーヌ。

 二人は若いときから一貫して苦境にある人たちに手を差しのべてきた。

 ピレネーを徒歩で越えたコートジボワール人のイブラヒム、クメール・ルージュの虐殺の生存者であるカンボジア難民のキム、イラクとの戦争の最前線に捨て身の少年兵として送り込まれかけたイラン人のペドラムとファルザン。そして僕が暮らしていた部屋にはいま、スーダンダルフールから命からがら逃れてきたカレイドがいる。

 苦境にある他者の声に耳を澄ませ、一人一人が抱えた固有の「物語」を尊重し、可能な限りその存在を受けとめ寄り添うこと。

 クロードとエレーヌのマグノリアの庭で過ごした時間が、僕に書くこととは何かを教えてくれた。

       ◇

 おの・まさつぐ 1970年大分県生まれ。朝日新人文学賞三島由紀夫賞。立教大准教授。

 

 ■束ねられた人生の「奇跡」 直木賞サラバ!」 西加奈子さん

 2003年の秋、小学館のIさんという編集者と出会った。

 ある方に紹介していただき、私が原稿を送りつけた。Iさんはすぐに電話をくれ、「お会いしたい」と言ってくださった。プロの文芸編集者だし、私は彼に原稿の問題点や改良点などをアドバイスしてもらえるのだと思っていた。でも、お会いしたIさんは、「西さんの作品を、本にしたいです」とおっしゃった。信じられなかった。詐欺だ、と思った。

 実際Iさんは、プロの文芸編集者らしからぬ青年っぽさと謙虚さがあり、それは人をだますためのカモフラージュなのではないかと思った。でもIさんは本当の編集者だった。そして、本当に本を出してくれた。初めて自分の本を見たときのことは忘れられない。奇跡だと思った。それは本当に奇跡だったと思う。

 それから私は、小学館以外の出版社の方々とたくさんお仕事をすることになり、共著を含めて、23冊の本を出していただいた。本を出すごとに幸せは増したが、「奇跡だ」と思ったあの感じは、少しずつ薄らいでいったように思う。つまり私は作家であることに徐々に慣れ、奇跡を日常に変化させつつあった。

 数年前、デビュー10年目の年に、10年の節目になるような作品を書きたいと思った。自分が10年で得たものをすべて書きたい、そう思った。そのとき浮かんだのはIさんだった。Iさんが世に送り出してくれた西加奈子と言う作家が、10年で何を得、何を失ったのかを、すべて読んでほしいと思った。

 「サラバ!」を、つまり「すべて」書いているとき、私は何度も「奇跡だ」と思った。私が10年間作家を続けて来られたことが奇跡だし、Iさんが私に出逢ってくださったことが奇跡だし、私が私としてずっと生きてきたことが奇跡だと思った。薄れていた「奇跡」が、束になってかかってきたようだった。

 私は今も奇跡のさなかにいる。それを決して忘れたくないと思う。

       ◇

 にし・かなこ 1977年イラン・テヘラン生まれ。エジプトや大阪で育つ。織田作之助賞、河合隼雄物語賞。 
    −−「芥川賞直木賞に決まって 小野正嗣さん・西加奈子さん寄稿」、『朝日新聞』2015年01月21日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11561369.html





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