覚え書:「今週の本棚:内田麻理香・評 『暴力の解剖学−神経犯罪学への招待』=エイドリアン・レイン著」、『毎日新聞』2015年04月05日(日)付。

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今週の本棚:内田麻理香・評 『暴力の解剖学−神経犯罪学への招待』=エイドリアン・レイン著
毎日新聞 2015年04月05日 東京朝刊

 (紀伊國屋書店・3780円)

 ◇生物学的・社会的要因の相互作用

 旧約聖書の中で、人類最初の殺人は、アダムとイブの息子のカインの手によるとされている。弟のアベルを殺したカインは、神に罰せられ、呪われし者の刻印を押された。殺人者としてのカインのしるしが、もし自分の身に刻まれていたらと考えると空恐ろしい。遺伝子や脳を調べてみたら、将来殺人を犯す可能性がある要因が見つかるかもしれない。それどころか、目に見える身体的特徴だけで判断できるかもしれない。本書は、犯罪とそのような生物学的要因の関係を、30年以上にわたって研究したレインの労作である。

 取り扱いに注意を要する本だ。優生学の失敗から、犯罪と生物学的要因を結びつけた研究は長らくタブーであったという。しかし、犯罪や暴力を分析するためには、環境などの社会的な要因だけでは足りない。遺伝子、脳機能、自律神経系などの生物学的要因も、暴力的傾向と関わっているという研究結果が次々と出されている。脳画像から、ある部位の機能不全と暴力的傾向が関連づけられるだけでない。遺伝子単位でも「犯罪の種」を見つけることができる。また、安静時の心拍数の低さと、反社会的行動の関係も見てとれる。薬指が長い人ほど攻撃的な性質を持つという。次々と出される「カインのしるし」を知ることは衝撃的だ。しかし、この生物学的要因だけを取り出して、一人歩きさせてはならない。それこそ、優生学や骨相学の過ちの二の舞になる。

 著者は、犯罪学に生物学的要因を取り入れることの重要性を主張する。しかし同時に、この生物学的要因が、これまで調べられてきた社会的要因との相互作用により暴力が生み出されると、注意深く、繰り返し述べる。双方の要因が相互に作用するという「バイオソーシャル」の視点を忘れてはならない。心拍数が低い人は、恐怖心を感じにくい傾向があるという。この要因が犯罪に走らせる場合もあるが、一方、戦場で多くの人を救う勇敢な兵士にもなるし、冷静に爆弾を解体する専門家にもなりうる。

 人が親から受け継いだ反社会的行動を示す遺伝子も、環境によって発現するか否かわからない。しかし、その「使われた」遺伝子は子にも遺伝するという。暴力をふるう保護者に育てられた子が犯罪に走るのは、環境のためか、それとも遺伝子のなせる業か。双方が複雑に入り組んでいるため、簡単には判別することができない。それは脳に関しても同じだ。生まれついてのものか、環境で変化したものなのか。

 著者の筆は、第9章以降でさらに拍車をかけて冴(さ)えていく。生物学的要因が関係するとなれば、おのずと人権や倫理などの問題が生じる。カインのしるしが見つかった者に、犯罪歴がなくても治療として介入することができるのか。輝かしい未来があったはずの女性を強姦(ごうかん)して残虐に殺害した犯人を、目を覆うばかりの悲惨な境遇に育ち、脳機能にも不全があったという理由で赦(ゆる)すことができるだろうか。200年前の精神障害のある患者は、反社会的行動を犯すとして囚(とら)われ、非人間的な扱いを受けた。しかし、今は疾病として治療される。犯罪者だけでなく、暴力の兆候を持つ人に対しても同様に疾病として扱い、公衆衛生という視座で「治療」するべきだろうか。

 より多くの人を幸せにするためにはどうしたら良いか、著者でさえ手探りの中にいる。その問いを投げかけられた私たちも、加害者にも被害者にもなり得る立場として、ひとりひとり考えねばならない。(高橋洋訳)
    −−「今週の本棚:内田麻理香・評 『暴力の解剖学−神経犯罪学への招待』=エイドリアン・レイン著」、『毎日新聞』2015年04月05日(日)付。

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暴力の解剖学: 神経犯罪学への招待
エイドリアン レイン
紀伊國屋書店
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