覚え書:「インタビュー:アフガン復興を支える NGO「ペシャワール会」現地代表・中村哲さん」、『朝日新聞』2016年01月30日(土)付。

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インタビュー:アフガン復興を支える NGO「ペシャワール会」現地代表・中村哲さん
2016年1月30日


(写真キャプション)中村哲医師。福岡県太宰府市九州国立博物館で開かれた現地活動写真展で=久松弘樹撮影

 米軍などが「対テロ戦」を掲げ、タリバーンが支配するアフガニスタン空爆してから15年。タリバーン政権は倒れたものの、いまだ混乱は収まらず、治安も悪化したままだ。この国の復興を、どう支えていけばいいのか。NGO「ペシャワール会」の現地代表として民生支援を続ける医師の中村哲さんに聞いた。

 ――1980年代から90年代は医療支援でしたが、今は灌漑(かんがい)事業が中心です。お医者さんがなぜ用水路を引くのですか?

 「農業の復興が国造りの最も重要な基盤だからです。2000年からアフガニスタンは記録的な干ばつに襲われ、水不足で作物が育たず、何百万という農民が村を捨てました。栄養失調になった子が泥水をすすり、下痢でいとも簡単に死ぬ。診療待ちの間に母親の腕の中で次々に冷たくなるのです」

 「医者は病気は治せても、飢えや渇きは治せない。清潔な水を求めて1600本の井戸を掘り、一時は好転しました。しかし地下水位は下がるし、農業用水としては絶対量が足らない。そこで大河から水を引き、砂漠化した農地を復活させようと考えたのです。合言葉は『100の診療所より1本の用水路』でした」

 「道路も通信網も、学校も女性の権利拡大も、大切な支援でしょう。でもその前に、まずは食うことです。彼らの唯一にして最大の望みは『故郷で家族と毎日3度のメシを食べる』です。国民の8割が農民です。農業が復活すれば外国軍や武装勢力に兵士として雇われる必要もなく、平和が戻る。『衣食足りて礼節を知る』です」

 ――自身で重機を操作したこともあるとか。

 「03年から7年かけて27キロの用水路を掘り、取水堰(せき)の改修も重ねました。お手本は、福岡県朝倉市にある226年前に農民が造った斜め堰です。3千ヘクタールが農地になり、15万人が地元に戻りました。成功例を見て、次々に陳情が来た。20年までに1万6500ヘクタールを潤し、65万人が生活できるようにする計画ですが、ほぼメドが立ちました。政権の重鎮らが水利の大切さにやっと気づき、国策として推進しなければと言い始めました。現地の人たちの技術力を底上げする必要を感じています」

 ――工事はだれが?

 「毎日数百人の地元民が250〜350アフガニ(約450〜630円)の賃金で作業し、職の確保にもなります。元傭兵(ようへい)もゴロゴロいます。『湾岸戦争も戦った』と言うから『米軍相手か』と聞くと『米軍に雇われてた』とかね。思想は関係ない。家族が飢えれば父親は命をかけて出稼ぎします」

 「最近は、JICA(国際協力機構)の協力も得て事業を進めていますが、基本は日本での募金だけが頼り。これまで30億円に迫る浄財を得て、数十万人が故郷に戻れました。欧米の支援はその何万倍にもなるのに、混乱が収まる気配はない。これが現実なのです」

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 ――現地の治安は?

 「私たちが活動しているアフガン東部は、旧ソ連が侵攻したアフガン戦争や、国民の1割にあたる200万人が死んだとされる内戦のころより悪い。この30年で最悪です。かつて危険地帯は点でしたが、今は面に広がった。地元の人ですら、怖くて移動できないと言います。ただ、我々が灌漑し、農地が戻った地域は安全です」

 ――反政府勢力タリバーンが勢いを盛り返しているようです。

 「タリバーンは海外からは悪の権化のように言われますが、地元の受け止めはかなり違う。内戦の頃、各地に割拠していた軍閥は暴力で地域を支配し、賄賂は取り放題。それを宗教的に厳格なタリバーンが押さえ、住民は当時、大歓迎しました。この国の伝統である地域の長老による自治を大幅に認めた土着性の高い政権でした。そうでなければ、たった1万5千人の兵士で全土を治められない。治安も良く、医療支援が最も円滑に進んだのもタリバーン時代です」

 「欧米などの後押しでできた現政権は、タリバーンに駆逐された軍閥の有力者がたくさんいるから、歓迎されにくい。昼は政府が統治し、夜はタリバーンが支配する地域も多く、誰が味方か敵かさっぱり分からない。さらに(過激派組織)イスラム国(IS)と呼応する武装勢力が勢力を伸ばし、事態を複雑にしています」

 ――アフガンは世界のケシ生産の9割を占めるといわれます。

 「我々の灌漑農地に作付け制限はありませんが、ケシ畑はありません。小麦の100倍の値段で売れますが、ケシがもたらす弊害を知っているから、農民も植えないで済むならそれに越したことはないと思っている。先日、国連の麻薬対策の専門家が『ケシ栽培を止めるのにどんなキャンペーンをしたんだ』と聞くから、『何もしていない。みんなが食えるようにしただけだ』と答えたら、信じられないという顔をしていました」

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 ――戦争と混乱の中でよく約30年も支援を続けられましたね。

 「日本が、日本人が展開しているという信頼が大きいのは間違いありません。アフガンで日露戦争ヒロシマナガサキを知らない人はいません。3度も大英帝国の侵攻をはねのけ、ソ連にも屈さなかったアフガンだから、明治時代にアジアの小国だった日本が大国ロシアに勝った歴史に共鳴し、尊敬してくれる。戦後は、原爆を落とされた廃虚から驚異的な速度で経済大国になりながら、一度も他国に軍事介入をしたことがない姿を称賛する。言ってみれば、憲法9条を具現化してきた国のあり方が信頼の源になっているのです」

 「NGO(非政府組織)にしてもJICAにしても、日本の支援には政治的野心がない。見返りを求めないし、市場開拓の先駆けにもしない。そういう見方が、アフガン社会の隅々に定着しているのです。だから診療所にしろ用水路掘りにしろ、協力してくれる。軍事力が背後にある欧米人が手がけたら、トラブル続きでうまくいかないでしょう」

 ――「平和国家・日本」というブランドの強さですか。

 「その信頼感に助けられて、何度も命拾いをしてきました。診療所を展開していたころも、『日本人が開設する』ことが決め手になり、地元が協力してくれました」

 ――日本では安保法制が転換されました。影響はありますか。

 「アフガン国民は日本の首相の名前も、安保に関する論議も知りません。知っているのは、空爆などでアフガン国民を苦しめ続ける米国に、日本が追随していることだけです。だから、90年代までの圧倒的な親日の雰囲気はなくなりかけている。嫌われるところまではいってないかな。欧米人が街中を歩けば狙撃される可能性があるけれど、日本人はまだ安心。漫画でハートが破れた絵が出てきますが、あれに近いかもしれない。愛するニッポンよ、お前も我々を苦しめる側に回るのか、と」

 ――新法制で自衛隊の駆けつけ警護や後方支援が認められます。

 「日本人が嫌われるところまで行っていない理由の一つは、自衛隊が『軍服姿』を見せていないことが大きい。軍服は軍事力の最も分かりやすい表現ですから。米軍とともに兵士がアフガンに駐留した韓国への嫌悪感は強いですよ」

 「それに、自衛隊にNGOの警護はできません。アフガンでは現地の作業員に『武器を持って集まれ』と号令すれば、すぐに1個中隊ができる。兵農未分離のアフガン社会では、全員が潜在的な準武装勢力です。アフガン人ですら敵と味方が分からないのに、外国の部隊がどうやって敵を見分けるのですか? 机上の空論です」

 「軍隊に守られながら道路工事をしていたトルコやインドの会社は、狙撃されて殉職者を出しました。私たちも残念ながら日本人職員が1人、武装勢力に拉致され凶弾に倒れました。それでも、これまで通り、政治的野心を持たず、見返りを求めず、強大な軍事力に頼らない民生支援に徹する。これが最良の結果を生むと、30年の経験から断言します」

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 なかむらてつ 1946年、福岡県生まれ。九州大学医学部卒。84年からパキスタンで医療支援を始め、その後、アフガンで活動。03年にマグサイサイ賞

 ■平和構築、国連が存在感を 東京大学准教授・東大作さん

 アフガニスタンの治安は最悪の状況です。国連などの情報を総合すると、昨年、アフガン市民の死傷者数が2001年以降で最も多くなったのは確実な情勢です。5年前、政府の支配地域は面積で3割、人口で7割と言われていましたが、さらに減ったでしょう。残りは反政府勢力が支配し、その最大勢力がタリバーンです。

 振り返れば02年ころ、タリバーンが最も弱まった時期に、彼らも政党として取り込む形で国造りをすればよかった。でも、弱体化したタリバーンを取り込む選択肢は当時は考えにくく、イラク戦争などで国際社会の目がアフガンから離れている間に勢力を盛り返しました。最大勢力の彼らを除いた和平交渉は、もはやあり得ません。

 しかし10年以降、タリバーンとの本格交渉が始まる機運が何度か生まれては、和平交渉の責任者が殺されるなどしてしぼむの繰り返しです。アフガンの混乱が続くことが得になる勢力がいるのでしょう。昨年にはアフガン政府、タリバーンパキスタン、米国、中国がそろって非公式な和平対話を始めた直後に、タリバーンの指導者が実は死亡していたことがリークされ、頓挫しました。

 そんな危険な状況下で、何十万人もの住民を地元に戻す事業を成功させている中村哲さんらの活動は、国家がするレベルの支援で、見事の一言です。ただ、そうした生活面、下からの支援だけでは永続的な平和を構築するのは難しい。加えて、和平合意を結び、停戦を実現し、住民から信頼される政府をつくる、そんなプロセスが同時に成立しないと平和構築はうまくいきません。

 そのためには、公正で信頼に足る仲介者が不可欠です。私の現地調査では、大国より国連組織の方が現地の人々の信頼を得ている。「政治的野心」がない公正な第三者として少なくとも比較優位がある。私がアフガンの国連組織で働いた時も、それを実感しました。

 実力部隊でも、大国の利害が反映されがちな多国籍軍より、国連の平和維持活動(PKO)部隊の方が、国際社会全体の意思とみなされ、現地の拒否感はかなり少ない。国連のブルーヘルメットにはそうした意味があるのです。

 日本は今後も、国連を中心にした平和構築を支援していく方向が望ましいのではないでしょうか。(聞き手はいずれも畑川剛毅)

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 ひがしだいさく 1969年生まれ。専門は平和構築。NHKディレクター、国連アフガン支援ミッションなどを経て現職。
    −−「インタビュー:アフガン復興を支える NGO「ペシャワール会」現地代表・中村哲さん」、『朝日新聞』2016年01月30日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12184935.html


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