覚え書:「耕論:災害とコミュニケーション 神里達博さん、藤代裕之さん、片山善博さん」、『朝日新聞』2016年04月22日(金)付。

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耕論:災害とコミュニケーション 神里達博さん、藤代裕之さん、片山善博さん
2016年04月22日

 熊本県震度7地震が襲ってから1週間。16日には「本震」が起こり、犠牲者が増えた。支援物資はなかなか避難所に届かず、ネットにはデマも。コミュニケーションのあり方を考える。

 

 ■専門家と社会、認識共有を 神里達博さん(千葉大学教授)

 ある地震が前震か本震かは、一連の地震がすべて終息してからでなければ科学的にはわかりません。しかし、多くの場合、最初に最大規模の地震が起きて、その後徐々に減衰していきます。ですから今回の熊本地震では最初に14日夜、震度7地震が起きた直後に、気象庁の担当者は「今後震度6弱程度の余震が1週間続く」と言ったわけです。

 それならこれ以上の地震は起きないだろうと自宅に戻った人がいて、16日未明のマグニチュード(M)7・3の「本震」によって、犠牲者が出たという事実を見ると、「いつ、どこで、どんな規模の地震が起きるか」を予知することは現在の科学ではできないということを改めて声を大にして言わなければと思います。

 政府の地震調査研究推進本部が、この地域の断層の一つはM7・5の地震を起こしうるというリスク評価を公表していたので、私自身は14日のM6・5で終わりではないかもしれないと考えました。ですから、気象庁の担当者が最初の段階で「この地域は最大M7・5という地震も予測されている」ということにも触れていれば少しは違った結果になったかも知れません。

 日本では、専門家が危険だと言っていたのに結果的に安全だったオオカミ少年的ケースに対して、社会の評価がかなり厳しいように思えます。本来、専門家が安全だといって、実際は危険だった時の方が問題なのですが、オオカミ少年的な結果を恐れて、専門家はリスクについて語るのをはばかる傾向があるのではないでしょうか。

 地震というのは単純な自然現象ではなく、そこにどのような社会が築かれているかによって被害が異なる社会現象でもあるのです。極論をいえば、みんながテントで暮らしている社会では、家屋崩壊といった被害想定は必要ありません。地震に関する「シロかクロか」ではないグレーな事象については、専門家と社会が相互にコミュニケーションを深めて「どの程度の地震ならどれくらいの備えがあれば耐えられるか」という相場観を共有することが必要です。

 科学的には断定できなくても、歴史の知恵として活用できる知識はあります。例えば慶長(1596〜1615年)のころには大地震が続発しましたが、たった5日間にM7級と見られる大地震が、愛媛、大分、京阪神と、中央構造線の隣接地域で3回も起きたという記録があります。当時もそうですが、現在も東日本大震災のM9が起きて日本列島の各地に様々なひずみがたまり、それが解放されるといった、地震の活動期に入っていることはほぼ間違いありません。過去の地震に関する知識も、地震被害を少なくするためには有用です。(聞き手・山口栄二)

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 かみさとたつひろ 67年生まれ。阪大特任准教授などを経て15年から現職。専門は科学史、科学論。著書に「文明探偵の冒険」。

 

 ■ネット情報過剰、選別せよ 藤代裕之さん(法政大学准教授)

 東日本大震災では、被災地のニーズとボランティアをネットでつなぐ取り組みに携わりました。当時と今回の熊本地震で全く違うのが、ソーシャルメディアの広がりです。

 東日本大震災の被災地は電気も通信インフラも壊滅的な被害を受け、三陸沿岸ではソーシャルメディアの利用者も少なかった。

 この5年で誰もがソーシャルメディアを使い、情報発信できる時代になった。670万人だったツイッターの国内利用者は今や3500万人です。もうひとつの変化は、ネット上の情報を伝えるまとめサイトバイラル(口コミ)メディアの拡大です。

 そんなメディア環境の激変の中で発生したのが今回の地震です。ネットを見ていて感じるのは、情報が多すぎる、ということです。

 前震、本震、そして余震も収まらず、不安の中で、現地から地震関連の様々な情報発信が行われています。それらがネットで拡散し、あるいはメディアが取り上げることで増幅されて、“情報爆発”が起きてしまっている。

 中には「動物園からライオンが逃げた」といった意図的なデマなど、不正確な情報も含まれます。それらを転送することで、本当に必要な情報を見えにくくしている。

 ネットで情報が何度も転送され、繰り返し流れるうち、リアルタイムの現地の状況とのタイムラグも生じます。すると、物資が足りない、という現地からの情報発信があっても、救援物資が届く頃にはすでに不足は解消しており、届いた荷物が滞留する、というミスマッチが起きる。

 東日本大震災の記憶がまだ生々しく、何とか被災地の力になりたい、という善意と不安が、情報を過剰に増幅させている面もあるでしょう。ネットの利用者には、安易な情報拡散は控える、というリテラシーが求められます。

 この情報爆発の中で必要なのは、緊急度の高い大事な情報を、確認作業をした上で優先順位をつけていく「情報のトリアージ(選別)」です。

 それは、マスメディアや行政の役割でしょう。

 メディアは、ネットを流れる情報が正しいのか、間違っているのか、対応の必要があるのか、ないのか――そのプロセスも含めて可視化することが重要なのです。

 私も参加した東日本大震災時の研究でも、ネットの情報を検証した記事が、不確実な情報の拡散を防止することが明らかになっています。トリアージにより、間違った情報は淘汰(とうた)され、必要な声が届いている、必要な支援が向かっている、とわかれば、人々の安心材料にもなります。

 今後、新たな災害があれば、情報爆発の規模もさらに拡大します。早急に「情報のトリアージ」の整備が必要です。(聞き手・平和博)

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 ふじしろひろゆき 73年生まれ。元徳島新聞記者。ジャーナリスト。編著に「ソーシャルメディア論 つながりを再設計する」。

 

 ■現場のニーズ、沿う支援か 片山善博さん(慶応大学教授〈元総務相、前鳥取県知事〉)

 現場、つまり市町村と中枢部の意思疎通がとれているのかが気になります。

 災害が起こるのは地域。どこで被害が出て、道がどう通じていて、寸断されたらどうする、どこに自主避難所があるのかといった現場の情報は市町村にしか分かりません。

 市町村は非力だといわれます。確かに、行政改革の負の側面で職員を減らしているので対応力は落ちているでしょう。だからこそ、県や近隣から人を送るなど、市町村の要望に応じた支援が必要です。

 心配しているのは、現場の情報に対応する仕組みができていないのではないかという点です。政府もほかの自治体も、数十万食を送るとか、うちは全国に先駆けて何々隊を送ったとか、その善意からの支援が現場の求めに応じたものになっていればいいのですが。(先回りして早めに物資などを送る)「プッシュ型」支援は、災害に際して、政治家が批判をされたくないという強迫観念、できれば得点を稼ごうとしている側面がないでしょうか。

 かつてのソ連の計画経済のような方式ではうまくいきません。現場からのニーズ、要望を受け止め、それに基づいて支えなければなりません。情報はいわば血液です。

 私が知事になって2年目に経験した震度6強の鳥取県西部地震の際は、地震発生直後に災害対策本部を立ち上げてずっと居続け、2カ月ほど知事室には戻りませんでした。県幹部に加え、自衛隊や当時の建設省の出先の方も来てくれ、一緒に対処しました。

 「役所ごとの縦割り」に陥らないためには、出先機関も一緒に現場の情報を聞き、問題を把握するのが一番良いんです。テレビ会議は一度もありませんでしたが、彼らが、それぞれの本庁に連絡してくれました。

 実は、メディアの方も最初から最後までずっと出入り自由でした。「ガラス張りの災害対策本部」と言った人がいましたが、間にはガラスすらなかったのです。記者会見を開かなくても、素早く必要な情報を伝えていただけました。

 日本初になった個人の住宅の再建支援に取り組むことを決めたのも、実際に町役場の職員から涙ながらの訴えを受け、被災した方たちとお話をしたからです。個人の資産に公費で支援することはハードルが高かったのですが、すぐに霞が関に出向き、「財政上のルールでできない」「憲法に違反する」という国を説得して、一律300万円の支給を決め、記者会見して発表しました。会見はそれぐらいでした。

 まず、何よりも現場からの情報を重視する。県や国は市町村の代わりに何かをするのではなく、市町村を下支えることに徹するのが肝要です。(聞き手・池田伸壹)

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 かたやまよしひろ 51年生まれ。旧自治省を経て鳥取県知事、総務相などを歴任。著書に「市民社会地方自治」「日本を診る」など。
    −−「耕論:災害とコミュニケーション 神里達博さん、藤代裕之さん、片山善博さん」、『朝日新聞』2016年04月22日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12322156.html





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