覚え書:「今こそ岡潔:数学の本質「論理ではなく情緒」」、『朝日新聞』2016年05月23日(月)付。

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今こそ岡潔:数学の本質「論理ではなく情緒」
2016年5月23日
 世間と交渉を断ち、生命を燃やし尽くすまで数学に没頭した。

 捏造(ねつぞう)、改ざん、盗用。研究不正の問題が度々取り沙汰される。他人の文章を切り貼りする「コピペ」で、リポートが量産される。

 生涯で公表した論文はわずか10編。本質的な結果以外発表しないという姿勢を貫いた世界的な数学者、岡潔ならこログイン前の続きの状況をどう見ただろう。

 岡は京都帝大卒業後、大学教員、仏留学とエリートの道を歩んだ。しかし、30代後半で、少年時代を過ごした和歌山に戻り、世間との交渉を断った。教職も辞して農耕を営みながら研究に没頭するなかで、ほぼ独力で作り上げたのは、20世紀初めに、揺籃(ようらん)期にあった「多変数複素関数論」という学問分野だった。

 論じるのはx、y、z……と増えていく2変数以上の多変数の世界。さらに、その変数は虚数を含む。何やら頭の中で座標をイメージするのも難しそうだが、そのような関数は数学だけでなく物理や工学の研究でも必要とされる。

 同分野が専門で名大大学院教授の大沢健夫さん(64)も、研究の困難さを「図にかけない、目に見えない世界を相手に考え続けること」と語る。

 岡の研究が源流となっている「複素解析空間論」は、いまや宇宙論など高次元空間の理解が必要なすべての学問の基礎という。「数学のノーベル賞」とされるフィールズ賞の日本の3受賞者の研究も岡の研究の流れをくんでいる。

 岡は研究に対する思想が独特だった。数学の本体は「計算」や「論理」ではなく、「情緒」の働きだというのだ。岡自身が「峻険(しゅんけん)なる山岳地帯」と難しさを表現した多変数複素関数論の構築も、取り組むにあたりインスピレーションを得たのは芸術だった。マティスの展覧会に行き、年代順に並べられた作品やその作品に先立つ素描をたくさん見て「数学もこんなふうにやればよいのだ」と思ったという。文学も好み、漱石や芥川、芭蕉などの作品を愛読した。数学教育については「計算の機械を作っているのではない」と情緒を培うことの大切さを強調した。

 のちに岡は、数学誌「数学セミナー」のインタビューでこうも語っている。6、7年間考え続けても、完全に行き詰まることが3回あり、その後に必ず数学上の大きな発見があったという。「本当に行きづまるためにはね、そっちを一旦指さしたら微動もしないという意志がいる(中略)行きやすい所を選って行ったら、行きづまるということはあり得ない」

 岡の長男の熙哉(ひろや)さん(80)は、一緒に歩いていても思いつけば地面に棒や石で数式を書いていた父親の姿を振り返る。「昔よりも雑音の多い世の中だから、何かに没頭するのは難しいかもしれませんが、おやじならいまでも研究をやり遂げたと思います。アスファルトは数式が書けなくて困るだろうけれど」

 岡がこれほどまでに強い意志を持てたのはなぜなのか。数学者・数学史家の高瀬正仁さん(65)は、考古学者・中谷治宇二郎との友情を理由にあげる。

 仏留学時代に出会った2人は「音叉(おんさ)が共鳴し合う」ように学問の理想を語り合った。しかし、まもなく中谷が病に倒れ死去。岡は「このあと私は本気で数学と取り組み始めた」と随筆につづっている。

 中谷が残した手紙には、学問の深遠さに対してのみ謙虚さを保とうとした岡の研究姿勢に重なるこんな言葉が書かれている。

 「人を相手に学者になるのは易いが学問を相手に学者になるのは大変な事です」

 (水戸部六美)

 <足あと> おか・きよし 1901年大阪生まれ。数学者。25年に京都帝国大学を卒業。32年に広島文理科大助教授に就任した。38年に和歌山に移り住んだ後、49年には奈良女子大学教授に就任。60年に文化勲章を受章した。『春宵(しゅんしょう)十話』など数多くの随筆も執筆。78年に死去した。

 <もっと学ぶ> 『人間の記録第54巻 岡潔 日本のこころ』(日本図書センター)は岡の随筆の選集。『人間の建設』(新潮文庫)は岡と批評家の小林秀雄という"知の巨人"同士の対談集。ほかにも文庫など著作の復刊が相次いでいる。岡の原論文とその日本語訳は奈良女子大学がインターネットで公開している(http://www.lib.nara-wu.ac.jp/oka/別ウインドウで開きます)。

 <かく語りき> 「コピーは紙とインキで作れるが、オリジナルは生命の燃焼によってしか作れない」(随筆集『春宵十話』から)

 ◆過去の作家や芸術家らを学び直す意味を考えます。次回は30日、『怪談』作者の小泉八雲の予定です。
    −−「今こそ岡潔:数学の本質「論理ではなく情緒」」、『朝日新聞』2016年05月23日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12371452.html





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