覚え書:「草舟断念、謎深き人類の旅 3万年前の航海、再現」、『朝日新聞』2016年09月01日(木)付。
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草舟断念、謎深き人類の旅 3万年前の航海、再現
2016年9月1日
草舟で外洋へこぎ出すメンバーたち=7月17日、沖縄・与那国島、吉本美奈子撮影
写真・図版
3万年以上前に台湾付近から琉球列島(沖縄)へ、どうやって人類は渡ったのか。この謎に迫るため、国立科学博物館などのチームが7月、手こぎの草舟で再現の航海実験をした。だが、速い海の流れを前に自力航海は途中で断念。謎に迫るため、メンバーらは次の挑戦を練っている。
■最適な海況の日、選んだ可能性
8月27日、東京都内の国立科学博物館。航海実験代表で同博物館の海部陽介・人類史研究グループ長は、航海の参加者や支援者らが集まった報告会でこう語った。「海水の流れが速く、航海に最適ではなかった」
航海実験では、与那国島に自生する水生植物ヒメガマで作った草舟2隻が、7月17日午前7時ごろ、島の南側から出航した。目指す西表島は東南東に直線で約75キロ。通常、南から北へ海の流れがあり、南東へ向かって東へ進む計画だった。
だが、草舟は間もなく速い海水で北へ流される。後に判明した現場海域の流れは通常の2倍程度の時速3〜4キロで、逆行する草舟の平均時速は3・5キロ。思うようには進めなかった。
同日午後3時、与那国島から北東26キロの場所で、修正は不可能と判断。草舟を西表島近くの沖まで曳航(えいこう)した後、翌18日昼前、西表島西側の浜に到着した。
「海況が良ければ着くことはできたと思う。そのためには長い期間の中で、条件が合う日まで待つ必要がある」。海部さんは、3万年前の人たちが、最適な海況の日を選んで出航したのでは、と指摘する。
与那国島と西表島の間の流れの速度は通常、実験当日の半分程度かそれ以下で変動している。だが、目視で流速はわからなかった。「海水の流れをどう察知できるのか、課題として残った」と海部さんは言う。
草舟自体の課題も見えてきた。浸水するとやがてスピードは落ちる。曳航後に航海を再開したとき、速度はかなり遅くなった。1隻を作るために大量のヒメガマが必要で、寿命は短い。そのため「3万年前の人が航海に使った可能性はあり得るが、日常的に使った舟とは考えにくい」という。
■再来年にも台湾から沖縄へ
航海は大きな困難を伴うことがわかった。だが、日本人のルーツをたどる際、南方から沖縄への移動の解明は避けて通れない。
日本国内で発掘されている旧石器時代の人骨は、静岡県浜松市の断片的な1体分を除き、すべて沖縄県内。2009年から発掘されてきた石垣市白保の遺跡は十数体が確認されており、DNA解析で台湾や東南アジアの遺伝子型と共通することが判明している。
これらの研究から、沖縄へは3万年以上前に南方から渡ってきたとされている。旧石器時代は氷期だったため当時の日本周辺は海面が50〜60メートル低かった。だが、琉球列島は島々で、大陸続きだった台湾との距離は現在と大差はなかった。何らかの手段で航海してきたと考えられている。
チームはより難しい台湾〜与那国島の航海実験を計画している。当初は来年にも行う予定だったが、今回の実験結果を受け、海況の予測や舟など、準備に時間をかけ、再来年を目指す。
最短距離で約100キロの台湾〜与那国島の間には、速い海流の黒潮が流れているため、台湾の南部から出航する必要があり、距離はさらに長くなる。台湾から与那国島が見える場所の海岸から出発できるよう、出航地を慎重に検討する。
舟は別のタイプの古代舟で挑戦する予定だ。台湾の先住民アミ族は、近年まで竹いかだを作り沿岸での漁に利用しており、台湾に自生している竹で作った舟を試す計画だ。(神田明美)
−−「草舟断念、謎深き人類の旅 3万年前の航海、再現」、『朝日新聞』2016年09月01日(木)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12537244.html