日記:安倍晋三と日本会議の弟子となった下駄糞下痢便の大勝利界隈。池田名誉会長の脱原発提言や日蓮仏法の生命尊厳思想など、「どこ吹く風」

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※私自身は、「創価学会の池田名誉会長……私はあえて『名誉会長』の表記で使います、公共的に何かを発言するという意味では。授業でもしかり……が、“そういったからそうなんだ”」という論調に加重することの危うさは承知ですから(グルイズムの問題ですよ、師弟とグルイズムは紙一重、このへんは宗教学の基本的な文献でも読んでください)、安保承認に証拠出せみたいな議論には全く乗れません(もちろん、安保承認してたら、それは池田名誉会長のみならず仏法そのものを否定することにもなるわけですが、それは横に置きます)。

それでも、本来、排他的・独善的……これはその世の中の重力こそ「異常」という訳ですもんね……と目される宗教的な一点集中から普遍性という突破を目指すのが「世界宗教」というものであれば、ある程度は、教義の軸にそって、身の振り方を模索展望するわけだと思うんですね。

カトリックが軸足を踏み込み、右顧左眄する……右顧左眄すること自体が日本仏教の特質ですけど……日本仏教界でも、「話し合う」という意味としながらも、それでも「啓発」に軸足を置いているのが正味の所です。

しかし、安倍晋三日本会議の弟子となった下駄糞下痢便の大勝利界隈。池田名誉会長の脱原発提言や日蓮仏法の生命尊厳思想など、「どこ吹く風」で、再稼働で大勝利とか、抑止力で大勝利、カジノで売春解禁で大勝利などという安易なものに傾きがちな現状をみるにつけ、「アホ」としか言いようがない。

「アホ」に代わる表現があれば誰かご教示頂ければ幸いではないかと思います。

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被災した福島県富岡町を視察する司教ら=14年12月、「カトリック新聞」提供
 日本のカトリック教会が原発をめぐる思索を深めている。5年前にも即時廃止を呼びかけたが、11月11日に発表した司教団メッセージでは信仰の視点からの検討が厚みを増した。再稼働や原発輸出を進める政府も事実上批判している。
 ■メッセージや書籍で…「即時廃止」強める
 司教団は全国の司教(現在16人)の総意として教会の方向性を決める。2001年には、21世紀を迎えてのメッセージのなかで核エネルギーの問題に触れた。「その有効利用については、人間の限界をわきまえた英知と、細心の上に細心の注意を重ねる努力が必要でしょう」。代替エネルギーの開発を求めてはいるが、原発容認の内容だった。
 しかし東日本大震災で、福島第一原発の事故が起きた。痛切な反省から11年のメッセージは、国内すべての原発の即時廃止を呼びかけた。ただ神学的な根拠としては、神から求められる生き方である「単純質素な生活様式」を選び直すべきだ、とする程度にとどまった。
 その後も議論は続く。刺激となったのは、やはり多くの原発を抱える韓国の教会が発した声だった。
 福島の事故に衝撃を受けた韓国カトリック司教協議会は13年、冊子「核技術と教会の教え」をまとめた。「(核の技術は)生存権と環境権をひどく傷つけ、また、人権に反するものとして、キリスト教の信仰の出発点であり完成である、神の創造の業(わざ)と救いの歴史を否定するものである」と踏み込んでいる。両国の司教たちは意見を交わし、信仰から原発問題を照らしていった。
 ローマ法王庁バチカン)は原発反対の態度を明確に示しているわけではない。しかし各国の教会はそれぞれの問題意識を表明する自由がある。法王フランシスコが昨年出した公的書簡で「エコロジカルな倫理」の大切さなどを唱えていることを踏まえ、今回の日本の司教団メッセージはこう論じた。
 「人間は神の似姿として、共通善にかなった自然との正しいかかわりへと立ち戻らなければならないと、わたしたちは考えます。人間は本来、自分自身との関係、他者との関係、大地(自然環境)との関係、そして神との関係において調和があってこそ、平和で幸福に生きることができるのです」
 このメッセージと並行して、日本カトリック司教協議会は「今こそ原発の廃止を」を今年10月に発刊した。300ページ近い書籍の半分余りは核の歴史や問題点に割いている。残りを「脱原発の思想とキリスト教」に費やしたのが特徴だ。
 この世界でわたしたちは何のために生きるのか、地球から何を望まれているのか――。公的書簡での法王の問いかけだ。それをもとに同書は「人間による核エネルギー利用は、神が与えた自然における人間の位置づけからは逸脱している」と断じている。
 編纂(へんさん)委員会代表で、上智大学神学部長の光延一郎神父は「宗教の役割は倫理的な視点から問題提起すること。11年に原発の即時廃止が打ち出されましたが、根拠をきちんと文書で示すべきでは、との思いが司教方にはありました」と話す。
 福島の教会内には原発関連の仕事をする信者と家族もいる。光延神父は「考えを押し付けるつもりはなく、議論や学習のきっかけにしてもらいたい」。それでも「いのち」に関わる問題だけに世界の教会や法王庁に働きかけ、原発廃止の大きな流れにつないでいきたいという。
 ■「判断困難」「脱依存」、割れる対応 仏教界
 仏教界はどうか。曹洞宗は11年に宗派として、原発停止は望ましいとしながらも、雇用問題など解決すべきことが多いため是非の判断は「非常に難しいのではないでしょうか」とする見解を出した。一方で、全国各地の代表者から成る宗議会は翌年、原発に頼らない社会に向けた取り組みを求める決議文を採択、微妙な揺れを見せた。
 態度を明らかにしない宗派も多いなか、臨済宗妙心寺派は宣言「原子力発電に依存しない社会の実現」を発表。真宗大谷派東本願寺)も同様の見解を出し、公開研修会をいまも定期的に開いている。
 浄土真宗本願寺派西本願寺)の大谷光真・前門主原発の問題点を繰り返し指摘している。教団として「脱原発」を打ち出してはいないが、付属の総合研究所は映画上映会など「原発学習」の場を継続的に設けている。香川真二研究員は「シロかクロかと答えを出すのが正しいとは限らない。意見の異なる者同士がどのような世界を目指すべきなのか、参加者一人ひとりに考え続けてもらうことこそ、いま大切だと思うのです」と話す。
 (磯村健太郎
     −−「原発『神が与えた人間の位置、逸脱』 日本のカトリック教会」『朝日新聞』2016年12月19日(月)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12712771.html

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