日記:内村鑑三における「近代の超克」

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 近代人
 彼に多少の智識はある(主に狭き専門的智識である)、多少の理想はある、彼は芸術を愛し、現世を尊ぶ、彼は所謂「尊むべき紳士」である、然し彼の中心は自己である、近代人は自己中心の人である、自己の発達、自己の修養、自己の実現と、自己、自己、自己、何事も自己である、故に近代人は実は初代人である、原始の人である、猿猴が始めて人と成りし者である、自我だけが発達して今日に至つた者である、故に基督者ではない、自我を十字架に釘けて己れに死んだ者ではない。 (「近代人」一九一四年一月一〇日。全集二〇)

 内村の文章のなかで、「近代人」に対する批判は、この一九一四年のころから目立ち始めます。しかし、内実からみると、前々から行われていて、たとえば『代表的日本人』で取り上げた近代以前の日本人五人は、まさに、その人物を通した「近代人」批判とみることができます。
 「人の成功は自分に克つにあり、失敗は自分を愛するにある」と言った西郷隆盛、「大きな使命を忘れて自分の利欲の犠牲にしない」ことと「貧しい人々への思いやり」を説いた上杉鷹山、村人の信望を失っていた名主に「自分可愛さが強すぎるからである。利己心はけだもののものだ。利己的な人間はけだものの仲間である。村人に感化をおよぼそうとするなら、自分自身と自分のもの一切を村人に与えるしかない」と諌めた二宮尊徳、利己心の強い人を、獄につながれ「その四方の壁は、名誉、利益、高慢、欲望への執着」からなっている状況に譬えた中江藤樹、「独力でもってあらゆる権力」に抗しながら鎌倉でも身延(山梨県)でも簡素な暮らしに徹した日蓮、これらの人々のなかに、内村の「近代人」批判がすでに込められていました。
 内村にとって「近代人」とは、朝から晩まで「自己、自己、自己、何事も自己」というように自己中心性に終始する人間でした。近代に入り自我意識が募ると、そのなかには独立した個我とともに、自己本位の利己をも育てたとみることができます。
 その独立した個我意識からみると、内村ほど「独立」を強調した日本人は珍しいでしょう。それは、札幌独立教会とか「東京独立雑誌」の命名にも反映されていますし、フリードリヒ・シラーの『ウィリアム・テル』に出てくる言葉「勇者は独り立つ時最も強し」は、内村のお気に入りのフレーズでした。内村においては、その独立した個我は、しばしば「単独」者として表現されることが多く、理想の至福を「単独の幸福」に見いだしました。
 しかし、内村には、その独立した個我を支えるものとしてカミがありましたから、カミが忘れ去られた「近代人」には、もう一面の利己が露骨に顕在化し、自己中心性ばかりが目立つようになります。したがって、内村はそのような「近代人」を、「近代文明」の産んだ「駄々ツ児」と呼んでいます。
    −−鈴木範久『道をひらく 内村鑑三のことば』NHK出版、2014年、147−148頁。

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