日記:天皇制が形成されていく過程 鶴見俊輔×竹内好×色川大吉

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天皇制が形成されていく過程
 −−日本では、和魂洋才派が勝って文明一元化になっているのですが、中国の改革運動では、それは敗れていくわけですか。
竹内 ふつうそういうふうに言われているし、比較論で言えば、わたしもだいたいそう思います。つまり開明派官僚が、反動派あるいはガンコ派によってたえず屈服させられる。これは中国だけではなく朝鮮もそうです。そういう型のくりかえしになっている。日本の場合は、ひじょうに単純化して言えば、政治指導層のあいだの対立において、ガンコ派が開明派に負けて、そのため進歩が導き出されたことになる。わたしはそれをさらに飛躍させて、この比較は、同時に、中国のほうが困難が大きかっただけに改革が抜本的になった反面をふくんでいると言ったわけです。むろん、ひじょうに単純化した一つの図式としてですが。
 −−幕末の佐久間象山などは「東洋の道徳、西洋の技術」とか和魂洋才で、二元的に使い分けているようですが、福沢諭吉が文明という場合はどうなのでしょうか。和魂と洋才はどう統合されていくのでしょうか。
色川 福沢自身は現実にかたちとしてある西洋文明と文明の精神を区別しているでしょう。ですから彼は『文明論之概略』のなかで、文明をもって文明を批判するというか、欧米の植民地支配を文明の精神で批判しているわけで、象山の言う和魂を文明の精神のなかへ吸収しているのですね。しかし、そういう文明の精神がほんとうに藤田氏のいうステーツマンとしての明治国家の建設者たちのなかにあったのかどうか。竹内さんがおっしゃったことと同じになりますが、もし彼らがそれをもっていたのならば、なぜ天皇イデオロギーがあのように早く生まれてきたのか。文明の精神をもっている当の大久保や伊藤によって、なぜ天皇制による全的支配という考え方が出てくるのかが、やはり疑問ですね。
 −−それについて鶴見さんは、「明治天皇伝説」のなかで、天皇制をつくった者が、自分自身をそのなかにとり込んでゆくというプロセスを書いておられますね。
鶴見 維新の過程というのは、その推進者にとって、人間相互が血で血を洗うという行為が、精神の無意識の部分にまで食い込むような、そうとうきついものだったと思うんです。そういうところをかいくぐってきた人たちは、幼い天皇を前にして、ほんとうに神だと思ったわけはないでしょうけれども、このままではおたがいの闘争がどこまで発展するかわからないとなれば、みんな茶の作法みたいなしかたで、同じように生きのびてゆくために、天皇制のルールをつくりあげたんではないか。明治天皇のほうもそれによくこたえて、えこひいきをなるべく避け、たとえば副島種臣のような正義感を自分の側に置いて愛着を示すけれども、しかし政治の中枢には置かないというふうに、たいへん巧みにことを運んでいったのだと思うんです。明治天皇幸徳秋水のとき(大逆事件)は失敗したけれども、それまではひどい失態もなく成長したのじゃないかという気がします。
    −−「明治維新の精神と構想 竹内好 色川大吉」、『鶴見俊輔座談 近代とは何だろうか』晶文社、1996年、91−93頁。

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