覚え書:「論壇時評 右派の改憲 今なぜ『反体制』なのか 歴史社会学者・小熊英二」、『朝日新聞』2017年06月29日(木)付。

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論壇時評 右派の改憲 今なぜ「反体制」なのか 歴史社会学者・小熊英二
2017年6月29日

写真・図版
小熊英二さん=竹花徹朗撮影

 「戦後」とは何だろう。

論壇委員が選ぶ今月の3点(2017年6月・詳報)
 日本以外の国では、「戦後」とは、敗戦直後の10年ほどを指す言葉だ。日本でも、敗戦から約10年の1956年に「もはや『戦後』ではない」という言葉が広まった。ところが「戦後×年」といった言葉は、今でも使われている。

 それはなぜか。私の持論を述べよう。「戦後×年」とは、「『日本国』建国×年」の代用なのだ。

 現在の国家には、第2次大戦後に建国されたものが多い。中華人民共和国インド共和国ドイツ連邦共和国イタリア共和国などは、大戦後に「建国」された体制だ。これらの国々では、体制変更から数えて「建国×年」を記念する。

 日本でも大戦後、「大日本帝国」が滅んで「日本国」が建国されたと言えるほどの体制変更があった。だが、その体制変更から数えて「『日本国』建国×年」と呼ぶことを政府はしなかった。

 しかし「建国」に相当するほどの体制変更があったことは疑えない。それなのにその時代区分を表す言葉がない。そのため自然発生的に、「建国×年」に代えて「戦後×年」と言うようになった。だから戦争から何年たっても、「日本国」が続く限り「戦後」と呼ばれるのだ。

 では、どうなったら「戦後」が終わるのか。それは「日本国」が終わる時だ。

 戦後憲法体制は、国民主権基本的人権の尊重・平和主義を三大原則としている。それを変えるほどの体制変更があれば、体制としての「日本国」は終わり、「戦後」も終わる。例えば天皇主権、言論・出版の制限、平和主義の放棄などを改憲によって国家原則にすれば、「日本国」と「戦後」は終わるだろう。

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 それでは、敗戦後の「保守」「革新」の対立は何だったのか。それは、新しく建国された「日本国」を認めるか、認めないかをめぐる対立だった。

 こうした対立は、日本だけではない。吉田徹は、欧米諸国における与野党対立の歴史を整理している〈1〉。第2次大戦後に大きな体制変更を経験した独仏伊などでは、体制をめぐるイデオロギー対立が生まれた。共産党をはじめ、体制を否定する「反体制政党」が力を持つことも多かった。体制が安定し、反体制政党も穏健化して、体制の枠内での政権交代が定着したのは70年代以降だった。

 吉田は、この図式は日本にもあてはまるという。「資本主義や講和条約、あるいは憲法改正をめぐる日本の与野党の対立関係」も「体制をめぐるイデオロギー対立」だったと考えればその通りだ。

 だが日本が複雑なのは、戦後体制を認めない「反体制」の主要勢力が、共産党ではなかったことだ。確かに共産党も、当初は戦後体制を認めず、1946年には日本国憲法の導入に反対した。だがそれ以上に強力な「反体制」勢力は、戦後体制を認めない右派だった。

 例えば1978年にA級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社宮司松平永芳はこう述べた〈2〉。「現行憲法の否定はわれわれの願うところだが、その前には極東軍事裁判がある。この根源をたたいてしまおうという意図のもとに、“A級戦犯”一四柱を新たに祭神とした」

 これは明確に戦後秩序への「反体制」の表明だ。こうした意図での合祀によって、靖国神社に参拝することは、戦後に築かれた国内体制と国際秩序への挑戦とみなされるようになってしまった。

 とはいえ日本でも、70年代までに「反体制」の機運は収まった。共産党の穏健化もあるが、より大きかったのは、60年代以降の自民党改憲を棚上げしたことだ。自民党が安定した支持を国内外で得ることができたのは、「反体制」の側面を封印したことによってである。

 一つの体制が落ち着くには、多少の年月がかかる。他国もそうだったように、日本でも戦争から20年も経つと、左右両極の「反体制」は政党政治の主流から消えた。冷戦終結後にはこの傾向がより定着し、体制の枠内での政党間競争と政権交代が日本でも定着するかに見えた。

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 しかし今になって、時計の針を逆戻りさせるような「体制をめぐるイデオロギー対立」が復活している。かつて「戦後レジームからの脱却」を唱えた首相が、改憲を提言したことによってだ。

 だが今の日本には、もっと喫緊の課題が山積だ。今月の雑誌を読むだけでも、700万に及ぶ「買い物難民」、先進国最低レベルの住宅保障政策、過労死に象徴される「働き方」の改革、外国人労働者の人権、幼児教育の無償化などが目に入る〈3〉〈4〉〈5〉〈6〉〈7〉。

 他の先進国では、体制をめぐる対立が解消した70年代以降、こうした社会問題への対策が行われた。政党間対立もそうした争点の方に移行し、そのなかで若年層の政治参加も進んだ。

 ところが日本では、いまだに旧来の対立が尾を引いている。最大の原因は、右からの「反体制」が根強いことだ。

 しかし各種の世論調査が示すように、国民の大多数は改憲の必要など感じていない。政治が社会から取り残されているというべきだ。若年層の政治的無関心の一因も、ここにあるだろう。

 体制変更は、体制内の法律改正では対処できない問題を解決するには必要かもしれない。だが、それ以外の体制変更は時間と政治的資源の浪費だ。そのような「改憲」には反対である。建国72年を迎える「日本国」の未来のために、もっとやるべきことが他にあるはずだ。

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 〈1〉吉田徹「民主主義と不可分な野党の存在 『1強』打破に向けて政治を怠るな」(Journalism6月号)

 〈2〉西法太郎「『A級戦犯靖国合祀(ごうし)』松平永芳の孤独」(新潮45・2014年8月号)

 〈3〉特集「買い物難民をどう救うか」(都市問題6月号)

 〈4〉特集「住宅保障 貧困の拡大をくいとめるために」(世界7月号)

 〈5〉特集「働き方改革」(POSSE35号)

 〈6〉対談 北島あづさ・甄凱(ケンカイ)「知られざる労働事件ファイル9 岐阜の繊維産業における外国人技能実習生の権利擁護と組織化の実践」(同)

 〈7〉田村憲久木原誠二小泉進次郎「『こども保険』が必要だ」(文芸春秋7月号)

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 おぐま・えいじ 1962年生まれ。慶応大学教授。著作での受賞作に、新書大賞になった『社会を変えるには』、小林秀雄賞の『生きて帰ってきた男』など。
    −−「論壇時評 右派の改憲 今なぜ『反体制』なのか 歴史社会学者・小熊英二」、『朝日新聞』2017年06月29日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S13009592.html


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