日記:木村健康先生とリベラリズムの思想=宇沢弘文


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木村健康先生とリベラリズムの思想

 私が旧制一高に入学したのは、1945年4月のことである。そのときには、東京はすでに何度か大空襲を受け、交通機関も大きな被害を受けていた。一高は全寮制だったので、入学は入寮を意味していたが、実際に入寮したのはばらばらで、4月から6月にかけてだった。
 敗戦はすでに確定的だった。入学直前に、一高校長をされていた安部能成先生が、新入学生全員を嚶鳴堂に集めてなされた訓示は今でも鮮明な記憶として残っている。「日本の敗戦はpossibleではなく、probableだ」。当時、校長の訓示には必ず憲兵が立ち会っていたので、安部先生は、敗戦がすでに確定的であることを、このように、しかも英語で言われたのだと私たちは理解した。
 戦争中、一高はリベラリズムの温床とみなされ、軍が文部省に対してきびしく一高の廃校を要求していた。とくに問題となったのは、生徒自治の原則にもとづく全寮制だった。そこで、木村健康先生が名案を出され、各寮に、教授が1人ずつ寮監として泊まり込んで、生徒を監督するという名目をつくることになった。私たちは、辛うじて廃校処分を免れることができた。しかし、軍はそれにあきたらず、リベラリストとして令名の高かった木村健康先生を憲兵隊に連行して、何日間も勾留して、理不尽な取り調べをした。木村先生が釈放されて一高に帰ってこられたとき、私たち何人かは誘い合ってお迎えにいった。そのときの見るも無惨な木村先生のやつれ果てたお姿がいまでも、私の脳裏につよく刻み込まれている。
 その木村先生から、私たちはジョン・スチュアート・ミルの『自由論』を教わったのである。ミルの『自由論』は、それまでの自由放任(laissez faire)の経済的自由主義の考え方を超えて、人間的尊厳を守り、魂の自立を求め、市民的権利を最大限に保証するというリベラリズムの理念を高らかに謳った書物である。おそらく、人類の生み出した思想のなかで、もっとも崇高で、高潔なものの1つであるといってよい。私たちは、このジョン・スチュアート・ミルの『自由論』を読みながら、木村健康先生の苦悩にみちた生き方を重ね合わせて、つよい感動を覚えたものである。つい昨日の出来事のように、鮮明な記憶として残っている。
    −−宇沢弘文宇沢弘文の経済学 社会的共通資本の論理』日本経済新聞出版社、2015年、12−13頁。

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