覚え書:「日曜に想う だれかを後回しにする政治思想 編集委員・大野博人」、『朝日新聞』2017年08月27日(日)付。


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日曜に想う だれかを後回しにする政治思想 編集委員・大野博人
2017年8月27日
 
「草を食(は)む影」 絵・皆川明
 新しい政治団体日本ファーストの会」の名称が物議を醸した。「排他的だ」と批判の的になっている。

 「ファースト」という言葉と、そこに込められたメッセージはあちこちの国の政治の言語空間に侵入している。

 たとえばトランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」、フランス大統領選挙で決選にまで残った右翼のルペン候補は「フランス人優先」をスローガンに掲げた。ポピュリスト政治家が前面に押し出そうとするイメージだ。

 だれかを優先するというのは、ほかのだれかを後回しにするという意味だ。

 だれを後回しにするのだろうか。

 国の名前と結びつくと、他国や外国人を後回しにすると聞こえる。だが、それでおさまってはいない。

 トランプ大統領の場合もルペン氏の場合も、自国を優先するような主張をしながら、同じ社会に暮らす人たちの多くを遠ざける意図を込めていた。移民であったり、イスラム教徒であったり、リベラルな考え方の人たちだったり、メディアであったり。

 のけ者になり後回しにされるのは、同胞の中の特定のグループや個人にほかならない。

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 大統領や首相になったたいていの政治家が最初の演説で言及することがある。自分は「すべての国民」のために働く、という誓いだ。

 フランスのマクロン新大統領は当選が決まった5月7日の夜、パリ・ルーブル宮の中庭で演説をした。その中で、彼の考え方に共感しない人たちに、「(自分の当選を)白紙委任とは思っていない」「あなたたちの不同意も尊重する」と呼びかけた。さらに「ルペン候補に投票した人たちについて」と言葉を続け、わき起こったヤジを静めながら「彼らの怒りや苦悩、信条も尊重する。ただ、彼らが過激な主張の政治家に投票する理由が今後なくなるように全力を尽くす」と宣言した。

 昨年、英国で欧州連合離脱を決めた国民投票を受けて就任したメイ首相は「私は、すべての市民の統一を信じる。だれであろうと、どこの出身であろうと私たちの一人一人の統一を」と述べた。

 選挙は、人々の利害や考え方の違いをめぐって争われる。社会の分断があらわになり、候補者も分断線を見定めて支持を固めようとする。民主的な選挙には避けられない過程でもある。

 だが、そのあとは話が別だ。政権の座に就いた者が責任を負うのは、多数派ではなく「すべての国民」に対して。だから、社会の分断を放置せず、再び統合する姿勢を宣言する。自分を選挙で批判した「こんな人たち」も、為政者として守るべき国民や市民であることを確認しなければならない。

 あのトランプ大統領でさえ就任演説で「全ての米国民への忠誠の誓い」をうたったのはその姿勢を装うためだろう。

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 「ナショナル・アイデンティティー」という概念を使ってつかめた気になる「日本人らしさ」や「フランス人の本質」などというものは幻影にすぎない――。フランスの人口動態学者エルベ・ルブラーズ氏が近著「アイデンティティーの不快感」でそう書いていた。

 グローバル化の進展などで、国家や国民という枠組みがぼやけて後退しているので、穴を埋めるようにさかんに持ち出されだした言葉だという。

 あいまいなだけに、いい加減で恣意(しい)的に意味を込めやすい。だから、人々を統合するより、だれかをほんとうの国民ではない、とのけ者にする口実に使われる。結局「水が土台を崩すみたいに、国家と国民を浸食していく」。

 本を読みながら、自国や自国民の「優先」を強調する政党名や政治スローガンの流行がはらむ危うさを思った。

 グローバル化少子高齢化という難題に打つ手がない国家と連帯感を失っていく国民。そんな実態を覆い隠して人を誘うイメージをふりまく。

 それは本当に「すべての国民」を指しているだろうか。
    −−「日曜に想う だれかを後回しにする政治思想 編集委員・大野博人」、『朝日新聞』2017年08月27日(日)付。

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(日曜に想う)だれかを後回しにする政治思想 編集委員・大野博人:朝日新聞デジタル



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