日記:身体を介した豊かな時間

        • -

身体性と時間の回復に向けて
 このようななか、二〇一一年三月一一日に東日本大震災が起こった。
 日本も世界中も、自然は一瞬にして無数の命を奪いうるということを改めて目の当たりにした。国民全員が打ちひしがれ、それでも気持ちを奮い立たせて、震災の残した傷痕をなんとか癒そうと試みた。私たちは一瞬、コントラフェストゥムから抜け出たような気がした。
 しかし現実には、単純に過去の外傷体験からの回復というだけに終わらなかった。その一つは、今なお放射能問題が継続している原発事故である。被災地の人びとも、支援を志す人びとも、無味無臭の放射能の不気味さから解放されることはなく、復興の力を少なからず削がれている。それ以上に問題なのは、原発事故の実態を政府も電力会社も隠し続け、マスコミでさえ情報が混乱したという事実である。人びとは何を信じるべきか途方にくれ、情報源としてはまさにSNS頼りの生活となったが、所詮SNS情報は玉石混淆であり、不安を解消してくれるに足るものではなかった。
 未だ災害が続き、政府やマスコミへの不信が取り除けない現状において、私たちはますますコントラ・フェスゥムの深みに落ち込みそうである。震災や原発について語られることが減り、それだけいっそう世の中は現実味を失いつつある。これからも、価値観は多様化し、情報化はより推し進められるだろう。震災の課題もまだまだ解決にはほど遠い。
 しかしながら、誰もがただ絶望の淵に立たされているというわけではない。被災地では、今なお多くのボランティアが活動を続けている。震災は、私たちの心にとてつもない無力感を植えつけはしたが、一方で人と人とのつながりの重要性を再確認させた。私たちには、多くのヒントが与えられているはずである。
 現代を生きる私たちに求められているのは、やはり「身体と時間の回復」なのではないだろうか。
 近年の私たちは、身体を疎かにしてしまった。もし人びとの交流において、直接出会い、語り合い、触れ合う、というように、身体をこれまで以上に介在させるようになれば、ともに過ごす時間は充実したものになるだろう。自分の身体を労わり、身体を休め、身体が喜ぶ運動を心がければ、時間もまた生気を取り戻すにちがいない。そのような時間の積み重ねこそが、自分にとっての真の歴史となる。
 私たちは本来、この瞬間瞬間に、身体を介した豊かな時間を過ごすことができるはずである。今こそ、あらためてその豊かさを見直すべきときではないだろうか。
    ーー野間俊一『身体の時間 〈今〉を生きるための精神病理学筑摩書房、2012年、238−240頁。

        • -

Resize9396