覚え書:「政治断簡 「歴史に責任」軽んじた末に 編集委員・国分高史」、『朝日新聞』2017年09月04日(月)付。

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政治断簡 「歴史に責任」軽んじた末に 編集委員・国分高史
2017年9月4日

 昭和20年8月15日の玉音放送を控え、陸軍省前では大量の公文書が燃やされていた。

 映画「日本のいちばん長い日」(1967年、岡本喜八監督)には、いく筋もの黒煙が立ち上るシーンが何度も印象的に描かれている。

 当時、内務省地方局戦時業務課の事務官だった故・奥野誠亮元法相は、ポツダム宣言受諾に向け各省の官房長を集めた会議の模様を、2015年8月の読売新聞で次のように証言している。

 「戦犯問題が起きるから、戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ。会議では私が『証拠にされるような公文書は全部焼かせてしまおう』と言った。犯罪人を出さないためにね」

 文書焼却は霞が関だけでなく、地方にも及んだ。


 戦後にもう一度、公文書が大量に処分されたことがある。01年4月の情報公開法施行を控えた時のことだ。

 NPO法人「情報公開クリアリングハウス」が、文書処分のため各省が業者とかわした契約書をもとに廃棄書類の総重量を算出したところ、廃棄量が例外なく増えていた。

 00年度、農水省は前年度の約21倍の約233トンを廃棄。環境省警察庁財務省などでも前年度に比べ2倍前後の文書が処分されていた。理事長の三木由希子さんは「本来保存されるべき文書も廃棄された可能性が高い。日本の行政組織は違法でなければ何でもやることを示す典型例だ」と見る。


 先の通常国会では、政府の公文書管理のずさんさが改めて浮かび上がった。森友学園への国有地売却の経緯や陸上自衛隊南スーダンへのPKO派遣部隊からの報告が、ごく短期間のうちに廃棄・削除されていた。

 11年の公文書管理法施行で各省の統一的な文書管理ルールができた。問題になった文書はいずれも保存期間が「1年未満」とされていた。
 
 国有地取引の記録もPKO日報もすぐに捨てていいとは思えない。どうやら私たちが想像する以上に大量の文書が、いまでも法の網の目をくぐる形で捨てられ続けているのが実態のようだ。

 加計学園の重医学部新設も含め、たとえ政権にやましい点はないとしても、記録がなければ潔白も証明できない。

 前出の三木さんは「記録がなければ結局はその人を信じるかどうかという属人的、感情的な対立になってしまう。公共政策の議論がそうした対立に左右されるのはおかしなことだ」と指摘する。

 公文書管理法制定の旗を振った福田康夫元首相は、日々の仕事を適切に記録することを「日本の歴史に責任を持つこと」という。7月の東京都議選自民惨敗は、この責任を軽んじた安倍政権に有権者が下した審判である。

 首相は、改造内閣で公文書も担当する梶山弘志・地方創生相に「公文書管理の質を高めるため不断の取り組みを」と指示した。しっかり進めるべきは当然だが、それで一連の問題に幕を引こうというのでは、失われた信頼は取り戻せない。
    −−「政治断簡 「歴史に責任」軽んじた末に 編集委員・国分高史」、『朝日新聞』2017年09月04日(月)付。

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