覚え書:「ささやかな英雄性、共感呼ぶ カズオ・イシグロさん、ノーベル文学賞 寄稿、翻訳家・柴田元幸」、『朝日新聞』2017年10月09日(金)付。

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ささやかな英雄性、共感呼ぶ カズオ・イシグロさん、ノーベル文学賞 寄稿、翻訳家・柴田元幸
2017年10月9日

ノーベル文学賞受賞が決まり、記者会見するカズオ・イシグロさん=5日、ロンドン、石合力撮影
 英国の作家カズオ・イシグロは、一九八二年の第一長篇(ちょうへん)刊行以来、記憶という実はきわめて曖昧(あいまい)なものを通して、人が自分の過去と、さらには自分自身と向きあうことの困難と英雄性を主たるテーマに、読み応えある物語を端正な文章で綴(つづ)った作品を着実に発表してきた。新作の発表が世界各国の読者に待ち望まれている数少ない作家の一人であり、今回のノーベル賞受賞は、まず妥当と言ってよいと思う。

 第一長篇『遠い山なみの光』刊行の翌八三年、英国の文芸誌『グランタ』若手英国作家特集号で、長崎生まれのイシグロは、インドのボンベイ(現ムンバイ)生まれのサルマン・ラシュディらとともに若手二十人のなかに選ばれ、英文学がもはやアングロサクソン系だけのものではなくなったことを実感させた。

 『遠い山なみの光』は戦後の長崎と現代のイギリスを舞台とした作品で、やや生硬とも言えそうな几帳面(きちょうめん)な英語で書かれている。当時作者の背景を知らなかった一読者としては、この作家は日本の受験英語をきちんと身につけた人物ではないかと勝手に憶測(おくそく)したものである。ずっとあとになって、日本語で書かれた小説が英訳されたかのような効果をめざした、と作家本人が語るのを聞いて、なるほどと合点がいった。

 ■自分の過去と対峙

 八六年発表の『浮世の画家』も、自分の戦時中のふるまいを徐々に直視していく日本人画家を主人公としており、イシグロは日本を描く作家だというイメージが定着しかけた。

 だがイシグロの場合、いわゆるマイノリティ作家が、自分が一番よく知っている世界だからとの理由で自分の生まれ育った共同体を描くという、よくあるケースとは違っていた。五歳で日本を離れたイシグロにとって、日本とは、幼少時の淡い記憶はあるものの、谷崎潤一郎の小説や小津安二郎成瀬巳喜男の映画で知った未知の世界であり、二冊の自作で行なったのも、知らない国の想像/創造にほかならなかった。

 それとともに、記憶を通して過去と向きあい自分自身と対峙(たいじ)する、というイシグロの基本的テーマもこの第二作から本格化した。

 日本を描く日系作家というイメージを払拭(ふっしょく)するかのように、八九年刊『日の名残(なご)り』では、執事というきわめて英国的な職業に携わる人物に焦点をあてて、自分がかつて悪に奉仕したことを自覚しつつある人間の不器用な自省を共感をこめて描き、権威あるブッカー賞も受賞して、作家としての地位を揺るぎないものにした。

 九五年刊『充(み)たされざる者』は、おそらく最大の問題作である。迷路のような都市に迷い込んだピアニストをめぐる、時間も空間も歪(ゆが)んだ幻想性と、いつもの端正な文章とのミスマッチが独特の雰囲気をかもし出す大作であり、いわば上級篇イシグロ作品として評価する向きも多い。

 ■共同体の記憶にも

 前々作の現実感と前作の幻想性が混ぜあわされたかのように不思議な上海が現出する『わたしたちが孤児だったころ』を経て、二〇〇五年刊『わたしを離さないで』はクローン人間というSF的設定を導入しつつも、個人にはどうにもならない現実の限界が正面から描かれ、静かななかにも劇的な展開が導入されて、『日の名残り』と並ぶ人気作となっている。

 いつになくユーモラスな側面も見せ、作家本人に会うたびに感じられる静かな剽軽(ひょうきん)さをしのばせる音楽小説集『夜想曲集』をはさみ、一五年に最新作『忘れられた巨人』を刊行。個人の記憶のみならず、共同体全体の記憶の問題にも踏み込んで、なかばおとぎばなしのような中世の英国を描きながらも、現代社会を考える上での契機ともなる一作である。

 『日の名残り』を踏まえて、イシグロは、人はみな執事のようなものではないか、という趣旨の発言をしている。組織や世界を牽引(けんいん)していくいわゆるヒーローではなく、組織やより上位の個人に仕える人間のささやかな英雄性にこの人は目を向けてきた。多くの読者の共感を得てきた一因もそこにあるのだと思う。

 受賞インタビューでも日本からの影響を認めているイシグロだが、その日本では、土屋政雄という名訳者に恵まれたことを最後に指摘しておこう。
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ささやかな英雄性、共感呼ぶ カズオ・イシグロさん、ノーベル文学賞 寄稿、翻訳家・柴田元幸:朝日新聞デジタル