日記:課題としての「中間勢力(中間団体)」の再生

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 原発の危険性について無知であったわけではない。一九八〇年代には作家、広瀬隆の『危険な話』が大ベストセラーとなり、各地で反原発闘争があった。しかし、それはいつのまに消えていった。もちろん、まったく消えたのではない。たとえば、私は五、六年前から物理学者、槌田敦の本を読み返し、二酸化炭素による地球温暖化という通説は、原子力発電を正当化するためのプロパガンダにすぎないと考えかつ書いてもいた。が、そんなものは何もしたことにはならない。結局私は、災害が現実に起こるまで、原発の危険について真剣に考えたことがなかったのである。
 しかし、考えてみると、原発に関して無関心・無気力となったのは、必ずしも個々人のせいではない。一九八〇年代以降、反原発運動が急激に消えてしまったのは、原発推進者側がメディア、大学、地方自治体、労働組合などを抑え込んでいったからである。それは個々人の原発に抵抗する気力を萎えさせた。これは原発に限定される問題ではない。反原発運動を消滅させたものは、もっと根本的に日本社会の変容なのである。
 日本には八〇年代にいたるまでさまざまな「中間勢力」が残っていた。中間勢力(中間団体)とは一八世紀フランスで、モンテスキューが貴族や教会を指して呼んだ概念である。それらは前近代的(封建的)な勢力ではあるが、絶対王政専制化することを防ぐ役割をしている、というのである。日本の場合、中間勢力とは、労働組合、大学、部落解放同盟創価学会などだったといってよい。それらが八〇年代から九〇年代にかけて、急激に抑え込まれたのである。それらは時代遅れで腐敗した非能率的な集団として糾弾された。そのような非難は、ある意味でもっともなところがあり、抵抗することが難しかった。
 たとえば、国鉄の民営化がなされた。それが狙ったのは、実際は労働組合運動の解体であった。それは日教組部落解放同盟の抑え込みに及んだ。さらに、二〇〇〇年代に入って国立大学も民営化された。国立大学はそれまで文部省から相対的に独立した「自治」をもっていた。大学の内部にも学部の自治があった。それはさまざまな意味で「封建的」であり、したがって非難されたのである。国立大学の「民営化」とは、それを集権的体制の下におくことであり、その意味で「国営化」することであった。つまり、それは大学を、一方で資本主義的市場原理、他方で文部科学省支配下においたのである。実際、災害のあとメディアに登場した原子力研究者の言動を見ると、大学がいかに資本=国家に従属してしまったかがわかる。
 さまざまな中間勢力を制圧することによって、資本の「専制」が実現された。それが「新自由主義」にほかならない。それを推進した者と原発を推進した者は同一であり、中曾根康弘元首相に代表される人たちだといってよい。だが、彼らは傀儡にすぎない。本当の主体は資本=国家である。その専制の下で、資本=国家に対抗する運動はすべて封じ込められた。そこでは、反原発の言説は締め出され、原発の危険な実態は隠された。その中で、今回の事件が起こったのである。電力会社、政府、官僚、メディアはこの危機に際して当初高をくくっていた。たとえ原発事故が起こっても、それに対して日本人が立ち上がることはないと考えていた。すでに骨抜きにしてあるからだ。
 日本のメディアは、海外で震災における日本人の協調性や我慢強さを讃える論調があったことを強調している。そのような報道は虚偽ではない。が、原発災害に関しては違う。外国人はこんな状態にあっても抗議することなく耐えている人間をとうてい理解できない。放射性物質で汚染した水を無断で海に垂れ流す電力会社と日本政府、そしてそれを黙認する国民を理解できない。しかし、日本人のそのような態度は伝統的なものではまったくない。上述したように、それは近年に構築されたものである。
 では、どうすればよいのか。原発をすべて廃棄すること、それを市民の闘争によって実現することである。このことに、今日の日本の問題のすべてが集約される。「脱原発」とは、原発を推進してきた資本=国家の諸勢力、その中に組み込まれてきた地方自治体、メディア、大学、労働組合その他の脱構築を意味する。そのために必要なのは、むろん昔の中間勢力の「復興」ではなく、資本=国家に対抗する新たなアソシエーションの形成である。だが、それは原発を廃棄する闘争を通してしか形成されない。
 資本=国家の専制体制が解体されないかぎり、日本の「新生」はありえない。それらが無傷で残っている間、日本の「復興」がろくなことにならないのは目に見えている。原発を推進して来た者らがなすべきことは「復興」などではなく、このような事態をもたらした犯罪的行為に対して償うことである。われわれは原発を廃棄するということのほかに何も提案する必要はない。原発の廃棄を通してのみ、つぎになすべきこと、なしうることが見えてくるのである。
    −−柄谷行人原発震災と日本」、内藤克人編『大震災のなかで  私たちは何をすべきか』岩波新書、2011年、24−27頁。

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