日記:権利侵害があまりに一般化していると、それを権利侵害と認識することが難しい
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子どもの権利を考えるうえで重要なことは、「権利侵害があまりに一般化していると、それを権利侵害と認識することが難しい」ということだ。
例えば、アメリカ全土で黒人奴隷が禁止されたのは1865年のことだ。それ以前には、「白人には、黒人奴隷を使う権利がある」と考える人も多く、「奴隷制度の禁止は白人の財産権の侵害」だと裁判所が判断したことすらあった。あるいは、割増賃金を払わない時間外労働は労働基準法違反であるにもかかわらず、「サービス残業」が当たり前になっている現実がある。
こうした状況を打開して、権利がきちんと実現される社会を創っていくには、どうしたらいいのか。まずは、日々の生活の中で辛いと思っていることを、まず口に出してみることが必要だ。その時、辛さを口にした本人も、それを聞いた相手も、「辛いけど、我慢するしかない」と思うことも多いだろう。しかし、そこでもう少しだけ考えてほしい。「本当にそれは我慢すべきことなのだろうか」と。
社会を変えるための行動をとるのは、とてもエネルギーがいる。自分一人のことを考えたら、場合によっては、黙って我慢する方が楽かもしれない。でも、あなたが感じている「辛いこと」は、ほとんどの場合、あなただけの辛さではない。日本中で、世界中で、同じ辛さを感じている人がいる。そこには、より良い社会を創るための鍵がある。
私たちが「子どもだから仕方ない」と思っていることの中には、「仕方ない」で済ませてはならない重大な権利侵害がたくさんあるはずだ。子ども時代に「仕方ない」と我慢せざるを得ない状況が続けば、大人になっても「社会を変えられる」という気にはならないだろう。それでは、いつまでたっても社会は変えられない。
子ども声に耳を傾け、「そこに権利侵害はないか」「大人の責任を果たしているか」と問い続けなければならない。
−−木村草太「序論 子どもの権利 理論と体系」、木村草太編『子どもの人権をまもるために』晶文社、2018年、29−30頁。
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