覚え書:「【考える広場】アートフェス、芸術と社会の関係」、『東京新聞』2017年10月14日(土)付。

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【考える広場】

アートフェス、芸術と社会の関係

2017年10月14日


 芸術の秋−。近年、全国各地で芸術祭(アートフェスティバル)が開かれるようになってきた。現代美術の魅力を伝え、地域おこしにもつながると注目される。芸術と社会の関係は今どうなっているのか。
 <芸術祭> 現代美術の最前線として開かれる国際的な美術展。2年に1度のものをビエンナーレ、3年に1度のものをトリエンナーレと呼ぶ。日本では2000年以降、開催が急増。世界で最も盛んな国との見方もある。今年も「北アルプス国際芸術祭」(6〜7月・長野県大町市)、「奥能登国際芸術祭」(9〜10月・石川県珠洲市)など、大きな芸術祭が新たに四つも開催。最近では「芸術祭が地域活性化の道具に堕している」との批判も出ている。

◆美術界活性化に貢献 アートディレクター・北川フラムさん
北川フラムさん
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 僕の手掛ける芸術祭の定義は「田舎で行われる、現代アートが中心のお祭り」です。日本社会が政治的、経済的に迷走する中で、地方の衰退が著しい。その解決策として芸術祭を開いてきました。地域で積み上げられてきた先人の知恵とものづくりの伝統を生かすために、美術の力を役に立てたいのです。
 出発点は、新潟県の越後妻有(つまり)地域。十日町市津南町という山あいの過疎の農村です。三年に一度の「大地の芸術祭」を中心に地域づくりプロジェクトに関わり二十年。当初は反対ばかりで、「ありがとう」と言われるまで十年かかりました。
 高齢化、過疎化した地域に、アートは「効く」んです。二〇一〇年にスタートした「瀬戸内国際芸術祭」の総合ディレクターもしていますが、毎回百万人が訪れる世界的にも珍しい芸術祭になりました。瀬戸内海の男木(おぎ)島では休校の小学校が復活し、小豆島には近年、年間でおよそ四百人が移住しています。
 地元だけで地域を再生するのは限界です。さまざまな国籍のアーティストが地域の魅力を発見すると、住民には「厳しいだけの現実」が新たな価値を持ち始めます。海外の人も含めた芸術祭の「サポーター」がボランティアで地域に入り、地元の人と交流が生まれる。地元で資材を調達し、住民の協力で生まれた作品は「みんなの作品」になる。美術館を飛び出して地域に展示されることで、その場所の魅力が「人を呼ぶ力」になり、住民の「誇り」になる。
 僕の芸術祭は、基本的に行政と組んでやる。手間暇かかるし大変だけど、反対者も巻き込めて持続可能性が出てくるから。地域再生の鍵にと、台湾や中国からも視察が相次いでいます。
 芸術祭は美術界も活性化させています。美術関係者だけで閉ざされていないから。観客の数が桁違いなので世界的に高名になるアーティストも出てきた。芸術祭の乱立だと批判する人もいますが、社会の大きな流れを見てほしいと思います。
 需要がなければこんなに続きません。越後妻有も瀬戸内もリピーターが四割。単に作品を見るだけじゃなくて、その土地を歩くから楽しい。美術に「旅」の要素を入れたわけ。都市は刺激と興奮に満ちているけど、人間らしく生きるのが難しいでしょう。社会のリアルの中で、美術が役割を果たし始めているんです。
 (聞き手・出田阿生)
 <きたがわ・ふらむ> 1946年、新潟県生まれ。アートフロントギャラリー主宰。多くの芸術祭の総合ディレクターを務め、今年は北アルプス国際芸術祭、奥能登国際芸術祭をスタートさせた。

◆行政は独自性追求を 評論家・藤田直哉さん
藤田直哉さん
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 「トリエンナーレ」などの自治体主導のアートイベントが次々と誕生している背景には、アートの枠組みの変化があります。「天才のインスピレーションで生まれる新しい表現」というような旧来の一般的な認識と比べると、ずっと広い意味になっている。例えば地域の人が一緒に花を植えるなどの活動が、アートとして語られているのです。中でも地域振興など、社会の課題の解決を志向したアートが増えています。日本でこの傾向が特に目立つようになったのは、東日本大震災の後ですね。
 「アートだと言えば何でもアート」という状況にも見えますから、そもそもアートって何なのかと疑問を抱く人もいるでしょう。僕は、人の感性や世界観を変える力のあるものをそう呼ぶのだと理解しています。アートはこれまでも既存の枠組みを壊しながら発展してきましたが、この点だけはずっと変わらないのではないでしょうか。
 ただ、アートをそう定義したとしても、これだけあちこちでイベントがあると、質の確保は大変です。実際に、新潟・越後妻有の「大地の芸術祭」などの成功例を見て、テンプレート(定型)を持ち込んだだけのようなものもできています。独自の魅力に乏しいんですね。多くの人が訪れ、アートとしても価値があるものになるかどうかは、そのイベントが開かれる必然性、またはオリジナリティーが鍵を握ると思います。
 僕が見た中では、宮城県石巻市の「リボーンアート・フェスティバル」は、東北の文化に根ざした作品が印象的で、震災に芸術で応答しようという切実さを感じました。ほかに愛知県の「あいちトリエンナーレ」は、ジャーナリスティックな方向にかじを切ることで独自性を出そうとしています。
 行政が芸術に予算を割くこと自体は、否定されるものではありません。ただ予算があるからとりあえず使う、という発想ではもったいない。行政マンが陥りがちな事なかれ主義とアートとは、もともと相性が悪いのだと思いますが、企画段階で、もう少し知恵を絞れないでしょうか。社会問題と向き合う作品の中には、行政にとって都合が良くないものも出てくるはずです。それらを受け入れる度量も必要です。多様なアートを尊重し、生かす場として発展していってほしいですね。
 (聞き手・中村陽子)
 <ふじた・なおや> 1983年、北海道生まれ。東京工業大大学院修了。博士(学術)。女子美術大などで非常勤講師。編著に『地域アート 美学/制度/日本』、著書に『シン・ゴジラ論』など。

◆地域の可能性を発掘 現代美術作家、京都造形芸術大教授・ヤノベケンジさん
ヤノベケンジさん
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 現代のアート事情は芸術祭抜きには語れません。アーティストの作品発表の場は、一九九〇年代は画廊やコンペ(公募展)が主でしたが、二〇一〇年ごろから芸術祭に変わりました。特に若手作家にとっては主戦場です。そこで名前が上がると、作品の見本市であるアートフェアで高く売買されるというシステムが出来上がっています。
 芸術祭は何よりも、アートが日常に介入するいい機会です。多くの人に現代美術に触れてもらえる。自治体にとってもコストを抑えて地域おこしができるコンテンツ。どちらにもプラスなので開催が増えている。それ自体は悪いことではないと思っています。現代美術への理解も共感もなく、安易に飛びつく自治体もなくはないですが。
 僕は「アートが社会を変える」を掲げてやってきました。その一環で参加したのが、〇九年に大阪で開かれた「水都大阪」です。メインのプロジェクトとして、ビキニ事件で被ばくした第五福竜丸に想を得た竜の彫刻「ラッキードラゴン(福竜)」を遊覧船に載せて大阪の川に浮かべ、火や水を噴かせました。
 芸術祭をやって、それで終わりではありませんでした。翌年から昨年まで大阪の街頭に作品を発表できる公募展「おおさかカンヴァス」が毎年行われました。アートが地域を開き、その土地が持つ可能性を見つける先進例になったと思います。
 現代美術はちょうど百年前、マルセル・デュシャンの作品から始まりました。作品といっても既製品の便器に「泉」と名付けたもの。そんな出自ゆえ現代美術は知的ゲームと見られ、難解との印象を持たれています。
 しかし、歴史をたどれば、美術は長く宗教美術としてあった。寄り添い、支え、癒やすものでした。芸術祭がそこに住む人と接し、歴史や土地の意味に向き合い、そこにある社会問題を解決する方向に進むなら、宗教美術のようにアートが機能する大きな起源の一つに回帰することになるのかもしれません。3・11以降はなおさらです。
 一三年の瀬戸内国際芸術祭で、僕はビートたけしさんと共に小豆島の限界集落の古井戸に作品を制作しました。その後、住民は作品を保存するためにそこを本当の神社にしたのです。名付けて美井戸(ビート)神社。アートは社会に寄り添いながら、人々と共に生きていく必要があると確信しています。
 (聞き手・大森雅弥)
 <やのべけんじ> 1965年、大阪府生まれ。「リヴァイヴァル」などをテーマに大型機械彫刻を制作。11月23日まで福島県二本松市で開催中の「重陽の芸術祭」に新作「SHIP’S CAT」を出品している。
    −−「【考える広場】アートフェス、芸術と社会の関係」、『東京新聞』2017年10月14日(土)付。

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