覚え書:「書評:瀬戸内文化誌 宮本常一 著」、『東京新聞』2018年04月08日(日)付。

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瀬戸内文化誌 宮本常一 著

2018年4月8日

島嶼の変遷に心を寄せる
[評者]神崎宣武民俗学者
 宮本常一にとって、「瀬戸内海」は終生の研究テーマであった。本書は、昭和二十一年から五十三年までに月刊誌や叢書(そうしょ)類に寄稿した十五本の文章を編じたものである。編者の田村善次郎がいう。「宮本先生の方法は、人文地理的な景観と伝承を資料とし、さらに文献をも援用することによって、島嶼(とうしょ)社会の変遷と現状を明らかにしていこうとするものであった」

 かつて、瀬戸内海には、現在(いま)からは想像もつかぬほど頻繁に多くの木造船の往来があった。漁場を求めて漂泊する家船(えぶね)、米・衣料・茶碗(ちゃわん)・テグス(漁糸)などを売る行商船、それに出買(でがい)船(肥(こえ)買船や木綿船など)である。

 そして、船で往来する人たちのうち何人もが島に移住することにもなった。とくに、サツマイモが入ってきてからは、島の暮らしは半農半漁の形態となって安定した。が、実は、そこに至るまでには数えきれないほどの往来と出入りがあったのだ。

 さらに歴史をさかのぼって、古くは海賊船の往来もあった。中世から近世初期にかけて、その一部は定住性をもつことにもなった。だが、海賊船は、明治末ごろまではみられた、という。その襲撃を防ぐため、米穀類や鉄鉱石を運ぶ大型帆船では、常に船内で粥(かゆ)を炊いていたそうである。そして、相手が海賊船であるとわかると、いきなり煮えたぎった粥を彼らの頭からかぶせたのだ。

 航海に必要な「山アテ、星アテ」(位置の確認)は、羅針盤やナビが発達するまでは、どの船にとっても必需というものであった。

 いまでは、昔話としても聞きとりにくくなった、そうした話を、宮本常一は、ごく日常の会話の延長にあるかのごとく、平易に書き記している。そこには、周防(すおう)大島に生まれ育ち、以降も故郷を忘れることのなかった宮本の、やさしくもたしかなまなざしがある。

 もう二度とこのような民俗書は出ないであろう、と脱帽する。

 (八坂書房・3024円)

<みやもと・つねいち> 1907〜81年。民俗学者。著書『忘れられた日本人』など。

◆もう1冊 
 宮本常一著『塩の道』(講談社学術文庫)。表題作と「日本人と食べもの」「暮らしの形と美」…日本人の生きる姿を伝える三作を収録。
    −−「書評:瀬戸内文化誌 宮本常一 著」、『東京新聞』2018年04月08日(日)付。

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