覚え書:「特集ワイド 投票前に読み直してみる 遠のく憲法前文の理想」、『毎日新聞』2017年10月20日(金)付夕刊。


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特集ワイド

投票前に読み直してみる 遠のく憲法前文の理想

毎日新聞2017年10月20日 東京夕刊

終戦直後、永田町の焼け跡から国会議事堂を望む=1945年9月23日撮影

 衆院選も大詰めだ。争点の一つが、戦後日本の柱である憲法を変えるかどうか、という議論である。1票を投じる前に改めて見つめ直してはいかがだろう。憲法の原点とは何か、その前文に記された理想とは何だったのか−−。【吉井理記】

 秋の東京・永田町にいる。いつもなら臨時国会が開かれているのだが、今年は冒頭解散で選挙戦に突入した。議員がいない国会議事堂は静かである。

 議事堂を望みつつ、国会図書館で1冊の古書を読み返した。現憲法が施行された1947年、旧文部省が中学生向けに作った教科書「あたらしい憲法のはなし」である。「みなさん、あたらしい憲法ができました」という一文で始まり、憲法の考えを説く。

 冒頭に、こんな一節があった。「(憲法の)前文というものは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです……もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです」

「誓い」実現の努力してきたか
 「手びき」たる前文に、憲法の理想や価値観が凝縮していることに異論はないだろう。あれから70年。あるいは「この憲法をかえるとき」を迎えるのであれば、先人たちがどんな国を目指したのか、問い直すのも有権者の務めではないか。

 「憲法制定は僕が小学校に入学した年です。いわば僕らは戦後民主主義の最初の世代。学校で先生がまず黒板に『ミンシュシュギ』と書いて……」と振り返るのは、昭和史など近現代史を掘り起こしてきた作家、保阪正康さん(77)だ。

 「僕らの世代は、周囲の価値観の変化に敏感なんです。小学校の作文の授業で『将来の夢』を書かせられたんだけど、級友が『陸軍大将』と書いて教師に叱られた。つい数年前なら『よく書いた』と激賞されただろうに、ね。子どもながら『戦争がなければこの憲法はなかった』ということを実感した世代です。前文も、小学校の授業で読んだっけ」

 その保阪さん、自身を「改憲派でもないし、護憲派でもない」との言い回しで評した。一部の改憲論者が説くような、復古調の改憲論には反対だが、憲法は絶対に変えてはならない、といったタイプの硬直した護憲論にも批判の目を向けてきた。

 「前文に『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し……』とありますね。『きれいごとだ』とか『中学生の作文だ』という批判もある。その通りかもしれない。でも目標を掲げる時、きれいごとになるのは当然ですよ。悪いことじゃない。一方で、この憲法を『平和憲法』と呼ぶ人たちにも不満です」

 理想を掲げた前文があり、理想を条文にした9条がある。でも、これだけでは「平和憲法」ではなく「非軍事憲法」だ、と説く。

 「平和の実現には努力や忍耐、知恵がいるんです。でもそうした努力を、私たちは払ってきたか。『護憲』を唱えるだけでは『平和憲法』にはならないんです。前文などの理念を強めるよう、9条をもっと明瞭にしたり、ドイツがナチス時代の価値観の復活を基本法で禁じたような条文を加えたり。憲法の理念を守るならばこそ、柔軟に考えねば」

 政治哲学の専門家にも聞いてみたい。成蹊大名誉教授の加藤節(たかし)さん(73)である。開口一番、「情けない国になりましたねえ」と言葉に力がない。

 「前文は、日本が国際社会で『名誉ある地位を占め』るために目指すべき理念が書かれています。『恒久の平和を念願』する国民になることと、『他国を無視』せず『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会』に連なることに、国の名誉や誇りを見いだす、ということです。それは『自国のことのみに専念』し、戦力をよりどころとする自愛的ナショナリズムと対極のはずだが、現実はそうじゃない」

 例えば北朝鮮問題。北朝鮮は国際社会を無視して核・ミサイル開発に傾倒し、一方の米国のトランプ大統領武力行使をちらつかせて圧力を強める。日本はその米国を「一貫して支持する」と表明している。日米の立場は違っても、対話せず「他国を無視」するような姿勢は共通だ。

 「言葉による説得や交渉で、態度や意見を変えることができるという『人間の可変性』を信じることで政治が成立するんです。現憲法の平和主義の前提も、この政治・人間観です。人類を滅ぼす危険をはらむ核の時代にこそ、対話を前提にする憲法の平和主義が重要なのですが……」

 日本も世界も、この理念に逆行しているように思えてならない、と加藤さんの憂いはいよいよ深い。「私たちは『崇高な理想と目的を達成する』という誓いを、自ら破ってはいないでしょうか。例えば外交。軍事力や日米安全保障にすがるのではなく、各国と多角的な平和条約網を作ることが憲法の精神にかなうのですが、日本人はいつからか、理想の達成を誇りとする志を捨ててしまったようです」

 その日米関係を起点に、戦後日本の解剖を試みた「永続敗戦論」(2013年)で知られる社会思想学者、白井聡さん(40)は衆院選公示日の10日、東京都内で開かれた「自主憲法制定」を掲げる民族派団体「一水会」の勉強会で講演していた。著書のキーワードでもある「戦後日本の対米従属」をどう乗り越えるか、がテーマだ。確かに現憲法を「対米従属の象徴」と否定し、改憲を求める声はある。翌日、改めて白井さんに「憲法の原点」を問うた。

 「あれだけ悲惨な戦争を繰り返さないためにどうするか。そこが日本や世界の出発点でした。だからこそ憲法が『美しい理想』を掲げたことは事実ですが、戦後日本は本当に美しかったでしょうか」

 日米安保に基づいて日本が米国に協力したからこそ、米国はアフガニスタンなどで「対テロ戦争」を行えた。この過程で、誤爆などで多くの罪のない人が死に、今も死につつある。日本は無罪か。まして「戦後日本は平和だ」と言えるのか。問いは日本人全体に向けられている。

 「『現憲法による平和』には欺瞞(ぎまん)が含まれています。それでも現憲法、特に9条が、米国の戦争に無制限に協力することの歯止めにはなってきた。改憲を唱えるなら、その前に日米安保や米国従属の在り方を見直さないと、欺瞞は欺瞞のまま、変わりません」

焼け野原から世界見据え
 再び永田町。国会図書館で現憲法を制定した46年の帝国議会の議事録を見つけた。憲法改正案特別委員会で憲法案の本格審議を前にした7月9日。委員長の芦田均(後の首相)が総括質疑で訴えかけるのだ。

 「この議事堂の窓から眺めてみましても、我々の眼に映るものは何であるか。満目蕭条(まんもくしょうじょう)たる焼け野原であります。そこに横たわっておった数十万の死体、灰じんの中のバラックに朝晩乾くいとまなき孤児と寡婦の涙、その中から新しき日本の憲章は生まれいずべき必然の運命にあった……独り日本ばかりではありませぬ。戦に勝ったイギリスでもウクライナの平野にも、揚子江の柳の陰にも、同じような悲嘆の叫びが聞かれているのであります。この人類の悲嘆と社会の荒廃とを静かに見つめて、我々はそこに人類共通の根本問題が横たわっていることを知り得ると思います」

 芦田の言葉をかみしめ、永田町を歩いた。あの当時、焼け野原だった国会議事堂周辺は、飢えた民衆が土を耕し、カボチャやイモを育てていた。

 保阪さんの言葉を思い出した。「作家の半藤一利さん(87)と言い合うんです。『憲法を100年もたせよう』と。そうすれば、憲法の理念は日本人に根付く。あと30年です。その時は世界が憲法の理念に追いつくだろう、とね」

 私たちは、どんな憲法を求め、新たな国民の代表を国会議事堂に送り出すのだろうか。

日本国憲法 前文
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
    −−「特集ワイド 投票前に読み直してみる 遠のく憲法前文の理想」、『毎日新聞』2017年10月20日(金)付夕刊。

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