覚え書:「世界揺るがした社会主義 ロシア革命100年」、『朝日新聞』2017年11月04日(土)付。


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世界揺るがした社会主義 ロシア革命100年
2017年11月4日

写真・図版
グラフィック・高山裕也

 かつてソ連という国があった。ロシア革命により史上初の社会主義国として生まれ、一時は米国と覇を争う超大国となったが、20世紀末に崩壊した。革命の掲げた理念と、共産党独裁の現実との差はあまりにも大きく、歴史的評価をめぐって論争がある。今月7日に100年を迎えるそのロシア革命十月革命)の意味を、国際社会への影響という視点から読み解く。

 ■共産主義「国家敵」と団結 アメリ

 ロシア革命の現状を詳しく世界に伝えたのは、第1次世界大戦で従軍記者として活躍した米国のジョン・リードだった。

 ロシアは混迷を深めていた。軍は敗北を重ね、食糧危機は深刻化。大規模なストやデモが広がり、皇帝は退位に追い込まれた。自由主義者たちが臨時政府をつくった1917年3月の「二月革命」(当時のロシア暦)である。リードはこれには間に合わなかったが、レーニンらが権力を奪取した11月の「十月革命」(同)は現地で目撃した。

 「蜂起だ!我々はもう待てないのだ」「国家権力を軍事革命委員会の手に」

 街頭ビラから兵士や労働者の会話まで詳細に記録したルポルタージュ「世界をゆるがした十日間」は広く読まれ、レーニンは「この書を世界の労働者たちに無条件で推薦する」と序文を寄せた。

 だが、リードの祖国米国は、革命思想に対して激しく反応した。もともと戦時体制下で急進的な労働運動への弾圧はあたりまえだった。そこに来たロシア革命のニュースは、米政府内に恐怖心を引き起こした。19年11月から20年1月にかけて、活動家ら4千人以上を逮捕。多くは正規の司法手続きを無視した「赤狩り」だった。リードは20年にモスクワで病死し、赤の広場に埋葬された。

 第2次世界大戦後、米国はソ連との冷戦に突入する。米国は「自由世界の指導者」として、軍事力とイデオロギーの両面でソ連と全面対決した。89年末まで続いたこの冷戦は、米国とは何かというアイデンティティーを深いところで規定していた。

 「共産主義は、米国にとっての『国家敵』であり、ソ連の存在が米国の内部を団結させた面がある」と米政治外交史が専門の古矢旬・北海商科大教授は指摘する。

 「共産主義に対抗するものとして、米国は自由を掲げ、少数意見の尊重を重視した。冷戦が超党派の挙国一致の外交を可能にしたのです。ソ連の消滅後は、そのような『国家敵』は存在しなくなり、対外政策の焦点が定まらなくなった。民主主義といった価値ではなく、『ディール(取引)』を前面に打ち出すトランプ外交は、その混乱を象徴しているのです」

 ■マルクス主義、今も基盤に 中国

 ロシア十月革命の6年前の1911年、中国では辛亥(しんがい)革命が起きた。清朝が倒され、中華民国ができたものの、軍閥の割拠で国家統一は進まない。そういう中でのロシア革命の成功に、辛亥革命の指導者孫文は勇気づけられ、レーニンに祝電を送ったという。

 孫文中国国民党を結成した後、もう一つの党も生まれた。「一発の砲声が我々にマルクス・レーニン主義を贈ってくれた。十月革命は中国の先進分子を助けた」。中国共産党の創立メンバー毛沢東の言葉だ。

 後に苛烈(かれつ)な戦いに陥る両党はロシアの共産党から学ぼうと、ともに留学生を送った。孫文の後継者の蒋介石ソ連を長期視察。息子の蒋経国ソ連留学が縁でロシア人と結婚した。

 抗日戦争で両党は「合作」したが、日本の敗戦で対立は再燃。49年に中国共産党中華人民共和国を樹立すると、社会主義圏の団結を示すかのように中ソ友好同盟相互援助条約が結ばれた。

 だが、現実の両国関係は悪化していく。中国共産党内では、ソ連に留学した都市出身の指導者のほとんどが農村出身の毛沢東との権力闘争に敗れ、失脚。フルシチョフスターリン批判を行うと、毛沢東ソ連を「修正主義」と非難した。

 毛沢東は急激な社会主義化政策である「大躍進」を指示し、さらに新たな革命運動をよびかける「文化大革命」を発動した。深刻な社会混乱で中国は疲弊した。中ソ関係の正常化は、89年のゴルバチョフ訪中を待たねばならなかった。

 中国共産党は今日、ロシア革命がなければ今の中国はなかったと評価する。ソ連の消滅には「共産党が指導をやめ、国家をコントロールできなくなった」(9月の十月革命理論検討会)との見解をとっている。

 そのため、トウ小平以来の改革開放政策は続くが、政治的民主化は拒絶。習近平総書記が第19回党大会で強調したのは「マルクス主義の中国化」だった。

 権力維持が最高目的とする思想、少数のエリートによる意思決定、目的のためには手段を選ばない政策。中国がソ連から学びとったものはいまも重く残る。

 ■侵略の原型、シベリア出兵 日本

 「露内閣倒る」

 大阪朝日新聞は、1917年11月9日発行(10日付)の夕刊でロシア革命の発生を報じた。

 「『戦争の即時停止』『単独講和』『土地平等分配』等を標榜(ひょうぼう)せる過激派が露国の政権を把握したりとせば……幾多の紛乱を生ずべく露国の暗雲愈(いよいよ)深しといふべきなり」

 第1次世界大戦で、ロシアは英仏とともにドイツ・オーストリアと戦っていた。革命政府はこの戦争から手を引く方針だった。

 ロシアが離脱すれば、ドイツは英仏との戦争に兵力を集中できる。勝利を危ぶんだ英仏は日本に出兵を求めた。

 国内では「ロシアと和を結んだドイツが極東に兵力を送って日本を脅かす」とみる学者らが自衛策としてシベリア出兵を主張した。

 一方、歌人与謝野晶子は「『積極的自衛策』の口実に幻惑されてはなりません」とこれを批判した。

 日本政府は18年8月、ロシアに残されたチェコスロバキア軍団を救出するという米国提案を受け入れる形で、シベリア出兵を宣言した。日米同数7千人の派兵で米国と合意していたが、実際には日本はピーク時、約7万2千人を動員した。

 革命勢力を武力で放逐して親日政権を立て、バイカル湖以東を日本の勢力下におく――。それが陸軍参謀本部などのねらいだった。

 日本軍は苦闘した。福岡県から出征した松尾勝造は、日記にこう書いた。

 「(負傷兵は)手や足が凍傷に罹(かか)り、赤色、紫色、黒色と皮膚が変色してゐる。……錐(きり)で揉まれるやうな痛さに、足を擦り手を抱へて泣き立てる。慰めやうもない」(19年2月11日)

 日本軍を襲うパルチザンと一般の農民は外見上、区別がつかない。松尾は、民家に侵入して「手当たり次第撃ち殺す、突殺(つきころ)すの阿修羅」(2月13日)を見た。

 衛生兵だった黒島伝治は、帰国後に発表した小説「橇(そり)」で問いかける。

 「どうして、ロシア人を殺しにこんな雪の曠野(こうや)にまで乗り出して来なければならなかつたか?」

 19年半ば以降、英仏米はシベリアから撤兵した。しかし、日本は植民地朝鮮への革命思想の流入防止などを理由に駐兵を続けた。

 この間に、ロシア革命と大戦終結に動かされて、民族自決を求める声が世界にあがった。

 19年3月、朝鮮で独立運動が起き、インドでは4月、ガンジー宗主国英国に対する非暴力抵抗運動を始めた。5月には中国・山東省のドイツ権益を日本が継承することに抗議する「五・四運動」が北京で起こった。

 25年になって日本はソ連と国交を結ぶ一方、治安維持法を成立させて共産主義運動・思想の防圧を図る。サハリン北部を最後に日本軍が撤退したのもこの年だった。

 6年後の31年9月、日本軍は中国東北部・柳条湖で南満州鉄道線を爆破、中国への武力侵攻を開始する。シベリア出兵というロシア革命への対応は、その後の大陸侵略の原型であった。

 ■白系ロシア人、日本に足跡 革命受け入れず、世界へ

 革命の影響は日本国内にも及んだ。1922年に日本共産党が結成され、マルクス主義思想は出版や学問の世界でひとつの潮流となる。

 一方、革命を受け入れず、世界中に散らばったロシア人たちがおり、彼らが日本社会に意外な影響を残している。共産党赤軍に対抗し、旧帝政ロシアの白衛軍を支持した彼らは「白系ロシア人」と呼ばれた。総数は革命後の数年間で200万人に上る。一時は日本国内に5千〜1万人が暮らしていたという。

 革命から逃げたのに、ソ連と関連する敵性外国人と見なされ、警察の厳しい監視下に置かれた。埼玉大の澤田和彦教授(日ロ関係史)は「外事警察が残した膨大な監視記録が皮肉にも、名もなき白系ロシア人の姿を知る貴重な史料になっている」と語る。

 それでも、彼らは日本に様々な足跡を残した。たとえば、洋服の材料となる毛織物の行商だ。全国を売り歩き、日本人の洋装化を促した。バレエやピアノ、バイオリン教師などで活躍した人も多い。日本プロ野球で初の300勝投手となったスタルヒン氏や、「神戸モロゾフ製菓」(現モロゾフ)を創業したモロゾフ氏なども知られる。

 谷崎潤一郎の「細雪」などの小説にも、日本社会に溶け込む白系ロシア人が描かれた。1970年代の少女漫画「はいからさんが通る」では、シベリア出兵で死んだはずの主人公の婚約者が、ロシア貴族となって日本に亡命する、という意表を突く展開が読者を引きつけた。単行本の累計発行部数は1200万部を超え、11月には新たな劇場版アニメが公開される。

 ◇この特集は、石橋亮介、上丸洋一、藤原秀人、三浦俊章が担当しました。
    −−「世界揺るがした社会主義 ロシア革命100年」、『朝日新聞』2017年11月04日(土)付。

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世界揺るがした社会主義 ロシア革命100年:朝日新聞デジタル