覚え書:「文化の扉 歴史編 異説あり 「天草四郎」は幻か 普通の少年、信者統合のため仕立てた?」、『朝日新聞』2017年11月12日(日)付。

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文化の扉 歴史編 異説あり 「天草四郎」は幻か 普通の少年、信者統合のため仕立てた?
2017年11月12日
 
写真・図版
グラフィック・永井芳
 3万7千人が蜂起した日本最大の農民一揆「島原・天草の乱」を率い、カリスマ的な指導力を発揮したといわれる天草四郎。しかし近年、そうした人物が本当にいたのか、乱の実態は農民主体だったのか、などの疑問が提起されている。

 謎の多い天草四郎だが、知られる生涯は以下の通りだ。

 四郎は1620年代に生まれた。父親は肥後の戦国武将・小西行長の家臣だった益田甚兵衛。火の気のないところに火をともし、海上を歩くなどの奇跡を起こしたといわれる。

 やがて37(寛永14)年10月下旬、キリシタンへの弾圧や圧政・重税などに憤った農民たちが天草・島原周辺で一揆を起こす際、その指導者に推戴(すいたい)された。

 11月、天草で唐津藩の軍勢などを破り、富岡城を包囲したものの攻略できずに撤退。12月、島原の原城に入る。翌年1月、幕府軍の上使・松平信綱と籠城(ろうじょう)の理由を書いた矢文を交わすなどしたが、2月に原城が落城。一揆勢は皆殺しにされ、四郎も捕らえられて首をとられた。

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 これらの通説は再検討すべきだと考える専門家もいる。

 『火の国と不知火(しらぬい)海』などの編著がある熊本大学名誉教授の吉村豊雄さん(日本近世史)もその一人。今月発売の『百姓たちの戦争』で、四郎らしき人物の存在を最初に伝える史料は、熊本藩細川家の家臣が37年10月に送った報告だと指摘する。

 記録は、島原城近くの一揆勢が「四郎殿と申して、十七、八歳の人が天より降りてこられた。(略)やがて信者をお迎えにこられるので、忝(かたじけ)なく思うように」と触れ回っていると伝える。このように、四郎と名乗る人物は、実際はほとんど表に姿を現すことがなかったらしい。

 にもかかわらず、四郎のものとされる首は複数存在した。落城後、幕府軍の大名は皆「一番乗り」を主張し、証拠として上使・松平信綱のもとに討ち取った四郎の首を差し出した。その数、十数に及んだといわれる。

 結果的に熊本藩細川家の首が四郎のものとみなされるが、「四郎の周囲には、同じようないでたちをした16〜17歳の若衆が複数いたことが記録に残っている。提出された首の多くは彼らのものだったのでは」。

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 乱が純粋な農民一揆だったかどうかについても異論が。

 吉村さんによると、一揆の中核を担ったのは、1633年と36年に、島原藩松倉家と天草を治める唐津藩寺沢家から集団で退去した数十人の家臣だった。藩内でのキリシタン迫害に不満を抱いていたと推測される。

 原城の陥落後に助命された一揆勢の幹部は、天草に潜んだ浪人が、33年ごろからキリシタン復活のための活動を始めていたと証言する。「信仰の復活には、柱が必要だった。信者を統合し、象徴となる人物。それが『四郎殿』だった」。そのため、普通の少年が天草四郎という存在に仕立てあげられた。

 四郎の周辺にいた少年は松倉家や寺沢家の旧家臣とみられ、彼らは四郎に仕えつつ、時に分身となり、村々を巡って一揆の組織化を図った。「要は少年宣教オルグ集団。彼らは村を越えて活動し、原城に籠(こ)もった後は、同じいでたちで本丸に詰めた。いわば、彼らのすべてが天草四郎だったと言っていい」

 記録によると、籠城(ろうじょう)中の原城で四郎を実際に見た人間はほとんどいない。「それだけ存在が秘匿され、同時に尊敬を集めていた」。四郎が「城中の神」のごとき存在となることで、結束はより強まったとみられる。

 当初、一揆勢がキリシタン復活の象徴として担ぎ出した四郎は、落城後は細川家が手柄を誇るための材料とされたようだ。

 吉村さんは語る。「細川家は首の提出後、当時の状況や四郎の生涯について、幕府や原城攻略に関わった各大名家に説明を行っている。その過程で四郎に関する情報が集められ、当初あいまいだった存在が補強されていった。それらしい人物はいたかもしれないが、限りなく創作に近い人物と考えられます」

 (編集委員・宮代栄一)

 ■松平信綱、乱きっかけに権力固め

 吉村氏は歴史ルポ『原城の戦争と松平信綱』で、島原・天草の乱は後に「知恵伊豆(知恵者の伊豆)」と呼ばれた松平伊豆守信綱が政界トップへ駆け上るきっかけになったと指摘する。

 1638年、信綱は原城総攻撃で抜け駆けした佐賀藩鍋島勝茂を弾劾(だんがい)。彼の軍功を称賛していた幕府年寄筆頭の土井利勝らを暗に批判する。同年11月には土井を年寄の座から追い落とし、家光子飼いの側近たちを中心とする政治体制を確立した。

 <読む> 島原・天草の乱の経緯などを斬新な視点で論じたのが、吉村豊雄氏の「歴史ルポルタージュ 島原天草の乱」シリーズ(清文堂)。『百姓たちの戦争』など3巻からなる。天草四郎については同氏『天草四郎の正体』(歴史新書y)でも詳述されている。
    −−「文化の扉 歴史編 異説あり 「天草四郎」は幻か 普通の少年、信者統合のため仕立てた?」、『朝日新聞』2017年11月12日(日)付。

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(文化の扉 歴史編)異説あり 「天草四郎」は幻か 普通の少年、信者統合のため仕立てた?:朝日新聞デジタル