覚え書:「日曜に想う 核兵器のむごさ、射るまなざし 編集委員・福島申二」、『朝日新聞』2017年11月12日(日)付。
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日曜に想う 核兵器のむごさ、射るまなざし 編集委員・福島申二
2017年11月12日
「詩を読む鳥」 絵・皆川明
表情ゆたかなその顔を、春先からニュースで何度も見た。13歳のときに広島で被爆したカナダ在住のサーロー節子さんである。12月にはノーベル平和賞の授賞式でスピーチをするという。
サーローさんは、今年の平和賞を受ける国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN〈アイキャン〉)の「顔」として国際会議で発言を続けてきた。3月に国連本部で語った証言は忘れがたい。
「広島を思い出すとき、認識不能なまでに黒ずみ、膨らみ、溶けた肉体の塊となり、死が苦しみから解放してくれるまでの間、消え入る声で水を求めていた4歳だったおいの姿が、脳裏に最初によみがえります」。核兵器のむごさをこれほどに訴える言葉があるだろうか。
同僚の記事で読み、かつてどこかで似た言葉と行き会ったように思い、記憶をたぐってたどり着いたのが、林京子さんの小説「祭りの場」の一節だった。長崎原爆のすさまじい体験を、30年の歳月をへて紡いだ芥川賞受賞作には、こうあった。「原爆は即死が一番いい」
「なまじ一、二日生きのびたために苦しまぎれに自分の肉を引きちぎった工員がいた」と文章は続いていく。いったんは助かったと思った者も、急性原爆症に苦しみ抜いて次々に死んでいった。
林さんは14歳で被爆した。「人間を殺すのになぜここまで峻烈(しゅんれつ)な兵器が必要なのか」。むごい描写のなかに挿(さ)しはさまれた言葉には、尊厳をはぎ取られたおびただしい死を見た人の、核兵器の非人道性に向けたまなざしが光る。
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その峻烈きわまる兵器の開発をリードして「原爆の父」と呼ばれたのは、米の物理学者オッペンハイマーだった。
この人には、しかし悔恨があった。戦争が終わってホワイトハウスにトルーマン大統領を訪ねたとき、「自分の手が血に染まっている気分です」と訴えた。大統領はハンカチを取り出して、「拭いたらどうかね」と差し出したという。
この場面の子細は文献によって異なるが、ともあれトルーマンはオッペンハイマーの「良心」が気にくわなかったらしい。のちに国務省の高官にあてた書簡で「泣き虫科学者」とこきおろした。
科学者の葛藤と政治家の冷酷、といった分かりやすい話ではあるまい。立場の違い以上に、ふたりの人間の想像力の違いだったかもしれない。それから時は流れて、いま、このシーンにいやでも重なる人物がトランプ大統領である。
訪日中は上機嫌だったが、笑顔の下からは鎧(よろい)がのぞいている。おそらくは核をも含めた兵器や武器を、自国の雇用を広げ経済をうるおす「金のなる木」と見ているのは記者会見からも明らかだ。
銃問題に対する氏の持論から察するなら、「武器を持つ悪いやつを止められるのは、武器を持つ良いやつしかいない」の論法になるのだろうか。北朝鮮に対して力ずくとなれば、深刻なダメージを受けるのは日本や韓国だが、安倍政権の追従ぶりを見ると大事なときに「ノー」と言えるのか心配になる。トランプ氏への忖度(そんたく)か、この政権は核廃絶への姿勢も被爆地を怒らせるほどに後ろ向きだ。
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長崎への原爆投下の翌日、オッペンハイマーはふさぎ込んで、同僚にこう問いかけた。「広島や長崎を生きのびた人は、死者を羨(うらや)むだろうか」。落とした者の思念と、落とされた者の地獄がここに重なっている。「原爆の父」はキノコ雲の下の非人道を正確に想像していた。
今年の2月18日はオッペンハイマーの没後50年となる命日だった。あくる19日に林京子さんは世を去った。亡くなったあと、文芸評論家の富岡幸一郎さんが本紙への寄稿文で、林さんからお聞きしたという言葉を紹介していた。
「わたくしいつも思うの、わたくしのものを読んでくださる方は、もうすでに読まなくていい人たちなんです。でも、引っ張ってきてでも読ませたい人たちは読んでくれないんですね」
遺(のこ)された言葉は、核兵器をめぐる一つの真実を静かに照らしている。読ませたい人々の顔が心に浮かぶ。核に対するモラルをこの国で緩ませないためにも。
−−「日曜に想う 核兵器のむごさ、射るまなざし 編集委員・福島申二」、『朝日新聞』2017年11月12日(日)付。
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(日曜に想う)核兵器のむごさ、射るまなざし 編集委員・福島申二:朝日新聞デジタル