覚え書:「耕論 「コト消費」の時代 塩谷薫さん、小川聡子さん、阿久津聡さん」、『朝日新聞』2017年11月18日(水)付。

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耕論 「コト消費」の時代 塩谷薫さん、小川聡子さん、阿久津聡さん
2017年11月18日


写真・図版
イラスト・野口哲平

 個人消費は伸び悩むが、体験を楽しむ「コト消費」は盛況だ。体験を写真で伝えることも広まり、「インスタ映え」は流行語にもなった。消費の「いま」から、浮かび上がるものとは。

 

#「インスタ映え」狙うなら
 ■手軽に確実に、非日常求め 塩谷薫さん(CanCam編集長)

 今年、夜営業するナイトプールが注目されました。ライトアップされた雰囲気のあるプールで、たくさんの若い女性たちが自分の写真を撮って、インスタグラムに載せました。

 CanCamは、16年からナイトプールのプロデュースを始めました。準備中に海外のセレブが、動物の形をした浮輪に乗った姿をインスタにアップしているのに気付き、「乗って楽しんでもらおう」と同じような浮輪を浮かせました。すると、日本の一般客も、「かわいい」と、自撮り写真をインスタに載せ始めたのです。予想外でした。

 当初は来場者が1日14人の時もありましたが、インスタで知られるようになり、昨年は66日間で7500人。より「インスタ映え」がする東京タワーに近いホテルに場所を移した今年は71日間で約2万人が訪れました。9割は女性です。ちょっとした非日常を体験できる手軽な場所なのでしょう。日焼けをしないし、暗いから体形を気にしなくていいのも魅力のようです。

 滞在時間は平均2時間。泳がず、自撮り棒などを使って、ずっとスマホで写真を撮り、インスタにアップしている。プールを見た評論家の常見陽平さんは「インスタスタジオ」と表現していました。

 ソーシャルメディアが発達し、若い女性の承認欲求も高まっています。自身の写真をアップし、「いいね!」をもらうことが生活のモチベーションになっている人も多い。女性はかわいくて、流行しているものに興味を持つので、インスタに前向き。雑誌やアパレルは不況とされていますが、音楽ライブにも若い人は積極的に行く。楽しい体験にはお金を惜しみません。

 高価な靴を若い女性は買わないと言われますが、それは素敵(すてき)な彼氏を見つけ、高級レストランにその靴を履いて行くような「いいこと」があると思えないからです。でも、プールやライブは、一定の楽しさは保証されています。非日常の心地良さを、確実に積み重ねたいのでしょう。

 若者はキラキラする場所にいたり、楽しい思い出を作ったりしたい一方、車やブランド品の所有欲は薄れています。生まれた時から不況で、今日より明日がいいと思えない中で、刹那(せつな)的になり、手っ取り早く楽しくなれる「体験」を重視するようになったのだと感じます。

 これだけ流行して、「かわいい」写真をアップするために、時間と労力をかけ過ぎた「インスタ疲れ」も増えているとの指摘もあります。ですが、今はスマホなしには生きていけない時代。スマホと写真は、ご飯とみそ汁のようなものです。動画が主流になることはあっても、撮ってアップすることはやめない。まだまだ、流行は続くと思います。(聞き手・岩田智博)

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 しおのやかおる 73年生まれ。「プチセブン」「CanCam」など女性ファッション誌の編集に携わり、2015年から現職。

 

 ■「偶然で特別」豊かさ実感 小川聡子さん(ななつ星トレインマネージャー)

 ななつ星は出発する駅も到着する駅も同じで、「乗ること自体を楽しむ」列車です。列車の豪華さに加え、人を感じられることが魅力。料理は様々なシェフが入れ代わり立ち代わり、九州各地の四季折々の食材を提供します。車窓からは、列車に向けて手を振る沿線の人々が見えます。

 今は全体管理などが本業ですが、クルーのまとめ役のトレインマネージャーとして乗務も続けています。

 以前は、日本航空の客室乗務員でした。飛行機は点と点を結ぶ移動手段。国際線では、「休める空間」を用意するために、できるだけ、お客様が静かにゆっくりできるようなサービスに努めてきました。

 佐賀県の田舎で育ちました。時差に追われ無機質な飛行機の中で働くうちに、四季を感じられる自然の中で心の豊かさを養いたいと感じ、夫婦で熊本・阿蘇に移住。貸別荘を営んだり、シイタケを栽培したりしていました。そこでななつ星の乗務員募集を知った。「新たな人生にめぐり逢(あ)う、旅」というコンセプトと「世界一のサービス」で九州の魅力を発信するとの理念に共鳴しました。列車も結ぶのは点と点ですが、飛行機とは違い、窓を超えて地域につながることができる、そう思いました。

 料金は2人60万〜190万円と高額ながら、乗るための抽選の倍率は約20倍。ななつ星に関わる人にまた会いたいという方も多く、12%が繰り返し応募しています。情報だけならインターネットでも見られる時代に「ここでしかないもの」を提供し、体験してもらっています。

 説明は、パソコンやタブレットではなくクルーがすべてする。こうした現代では少なくなったアナログな世界は、主に60代以上の客層の「回帰志向」にも合っているのでしょう。お客様に接して、家や車などに満ち足り、海外旅行にも繰り返し行った富裕層が、「空間、時間の過ごし方」に重きを置きつつあるな、と実感します。

 今年はJR各社による新たな豪華寝台列車、「トランスイート四季島」「トワイライトエクスプレス瑞風」の運行も始まりました。寝台でなくても、「乗ることを楽しむ」観光列車は全国で誕生しています。

 こうした列車を楽しむ人の嗜好(しこう)に合うものは他にもあると思います。例えば、すばらしい夕日が見えるスポット。偶然が生み出す自然の美しさには、何物にも代えがたい大きな感動がある。そこに、ちょっとした人の手間が加わることで、ぬくもりや心地良さを感じられる「偶然で特別」な空間になります。個人で訪れても味わうことのできない空間。そんな体験が人の心を動かすのではないでしょうか。(聞き手・岩田智博)

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 おがわさとこ 70年生まれ。客室乗務員として17年間、日本航空に勤務。12年にJR九州入社、クルーズトレイン本部次長。

 

 ■集団で創る新しい楽しさ 阿久津聡さん(一橋大学大学院教授)

 マーケティングに「ドリルを売りたいなら、穴を売れ」という教えがあります。穴を開ける手段であるドリルを売るには、その目的である穴に焦点を当てるのが効果的だということです。基本的にモノは手段に過ぎません。多くの場合、消費の目的はコトです。実はこれ、半世紀ほども前からの教えです。

 ではなぜ今、改めて「モノ消費からコト消費」などと言われているのでしょうか。それは、市場が成熟すると、手段としてのモノがあふれて差別化が難しくなり、目的であるコトを新しく提案することがより有効になるからです。

 最近提案されるコト消費は、個人の体験ではなく、集団が主体になる場合が多いように思います。「集団の消費」を実現する技術革新が、一つの大きな理由でしょう。

 例えば、機器を組み込んだジョギングシューズ。どれだけの距離を、どのくらいの時間で走ったかの走行データを蓄積し、他者と共有して、世界のランナーの中での自分の順位を教えてくれたりします。技術革新の結果、靴というモノを通して練習成果の記録や共有、分析が可能になり、スポーツを楽しんだり上達したりするコト消費を可能にしたのです。

 こんな風に、一人ひとりが自分の情報を集団に提供することで、皆が楽しめるというコト消費が広がってきました。作り手だけでなく、消費者がデータ作りに貢献して、集まった価値を享受する。技術革新で作り手と使い手の双方が参加する「価値の共創」が実現したわけです。

 ナイトプールも、集団で楽しみを共有しますよね。昔ならビジネスとしては成り立ちにくかったでしょうが、インスタグラムの存在を前提にした新しいビジネスです。

 もちろん、集団のコト消費はそうした技術がなくても可能です。豪華列車の旅は個人でも楽しめますが、2人以上で楽しむことが多いのではないでしょうか。電車は居場所が変わる古典的な意味での体験があります。そこで一緒にゆっくり時間を過ごす。しばらく隔離された空間から出られませんから、話にも集中できます。一緒にいる人の間で価値が共有され、共創されるのです。

 近い未来のコト消費として、例えばこんなことも考えられます。

 個人の健康状態を常に測定できる端末が開発されつつあり、個人のDNA解析も可能です。こうした個人データを世界規模で集め、人工知能で解析すれば、一人ひとりに日々を楽しく健康的に過ごすための個別アドバイスを、高い精度で提供できるようになるでしょう。ちょっと怖いようでもありますが、共有・共創によるコト消費が、新しい生活の可能性を切りひらくと思います。(聞き手・山本克哉)

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 あくつさとし 66年生まれ。専門はマーケティング、消費者心理学。共著に「ソーシャルエコノミー 和をしかける経済」など。
    −−「耕論 「コト消費」の時代 塩谷薫さん、小川聡子さん、阿久津聡さん」、『朝日新聞』2017年11月18日(水)付。

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(耕論)「コト消費」の時代 塩谷薫さん、小川聡子さん、阿久津聡さん:朝日新聞デジタル