日記:天国の罪科


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五木 ブッダは死後の世界については、「無記」、つまりイエスともノーとも言わなかった。有るとも無いとも言わなかったといいます。
本田 聖書の世界も実はそうなのです。私たちの子供の頃、日曜学校の先生が一所懸命天国についていろいろ話してくれましたが、聖書にはそんなことは全然書いていない。
五木 今、小学生などが不慮の死を遂げたりすると、大人の人は「天国の何々くんは」とよく言いますね。
本田 そうそう、そう。
五木 その場合、「天国」って、どういうイメージで言っているのでしょうか。僕から見ると「天国」はキリスト教の用語のような気がするのですが……。
本田 キリスト教の用語です。「極楽」でも「浄土」でもない。
五木 イスラム教の「天国」がどんなものかは、はっきりしているじゃないですか。暑さ寒さがなく、美女がいっぱいいて、幸せいっぱい。正しいことをした、ジハード(聖戦)をした人などは天国へ行くし、そうでない人は地獄へ堕ちると、明確に宣言しているのだけれども。
本田 教会などで言う「天国」もそれに似ているような気がしますけれど、聖書に出てくる「天の国」とか「神の国」というのは、そうしたイメージの天国とはまったく関係ない。いわゆる天国のことは、聖書に出て来ないのです。
五木 どうしてそういうイメージになってしまったのでしょうか、キリスト教の「天国」という。
本田 教え導くのに都合がいいからじゃないですか。死んでから楽できるよ、だからいま我慢しなさい、という。宗教って大体、そういう性質を持っているのじゃないですかね。
五木 僕ら学生の頃にね、ひどい替え歌なんかいっぱいうたっていたときに、よくうたった歌がありましてね。
 「牧師が天国を 厳かに語るとき おれたちは腹がへる そこで牧師が猫なで声で がまんせい なんとかせい 死ねば天国で食べられる」
という。
本田 そういう歌をつくったのですか。
五木 いや、その歌はもうあったんです。学生みんながよくうたいました。
本田 そのとおりだな。きっと明治時代以降、そういうインプットをずっとしてきたんじゃないのですか、宣教師たちが。
 アメリカ大陸へ独立前に軍とともに宣教師たちが入って行ったでしょう。あの人たちも結局、アメリカの先住民や奴隷たちに「天国」をちらつかせて、今の隷従・隷属の状態を甘んじて受けましょうと。その結果奴隷制度が広まったし、土着の文化も破壊されていった。ゴスペル・ソングは、ほとんど天国への讃歌ですよ。黒人の虐げられる状態を「いまは我慢して、天国があるから」と。
五木 それが宗教の限界というか、宗教じゃなくて教団のほうかもしれないですが。
本田 教団というほうが正確な表現かも知れませんね。
    −−五木寛之・本田哲郎『聖書と歎異抄』東京書籍、2017年、68−70頁。

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