日記:僕は二度と飢えた親の顔を見たくない


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五木 これも前に書きましたが、亡くなった野坂昭如さんが選挙に出たとき、応援演説に行ったことがあるんです。
 彼が「二度と飢えた子供の顔は見たくない。戦争に反対だ」というのを選挙のスローガンにしていた。僕は応援演説に行って、彼(野坂)はこんなことを言っているけど、僕は全然、反対だと。僕は二度と飢えた親の顔を見たくないと言った。
本田 うーん。
五木 それは、三十八度線を越えてケソン(開城)という所で収容されて難民キャンプに入っていたときに、食う者も食わず、妹と弟と、鉄条網のところに突っ立っていたら、通りがかかりの朝鮮人のオモニ、おばさんが芋をひとつ鉄条網越しに渡してくれたんですよ。子供が飢えて可哀想だと思ったのでしょう。そうしたら、どーんと突き飛ばされた。日本人の大人の男が、弟が持っている芋をかっさらって逃げて行ったんです。
本田 ふう……。
五木 だから、二度と飢えた子供の顔じゃなくて大人の顔をみたくない。二度と飢えた子供なんて甘っちょろいこと言うなよ、と思ったんですけどね。
そんな中で、自分を守るということより、僕の場合には母親が終戦直後に亡くなっていましたから、弟と赤ん坊の妹は、長男である僕の責任だ。自分だけならともかく、その二人を守らなきゃいけないでしょう。そのためには、ほんとうにもう、人殺ししてでも生きていかなきゃならない。それはもう悪人とか善人とか……善と悪との区別って相対的なものなのです。
本田 そうですね。そういうことなのですね。
五木 そういう状況を越えて来ている多くの人たちは、引き揚げ体験者以外にも、第二次世界大戦の体験者には、たとえばユダヤ人、アウシュヴィッツ(収容所)の人たちとか、山のようにいるでしょう。
 そんなかたに、戦中・戦後体験を語れ、なんて言うけど、ほんとうの体験なんて語られていませんよ。
 戦争の体験は、じつにいろいろなものが冷凍庫に入れられて扉を閉めて、ほんとうのことは誰も言わない。そういう欺瞞の飢えに成り立っているのが今のこの国の状況ですし、昔もそうあったのではないかと思ってしまうわけです。
    −−五木寛之・本田哲郎『聖書と歎異抄』東京書籍、2017年、62−63頁。。

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