覚え書:「世界発2017 戦争犯罪、遠い和解 旧ユーゴ国際法廷、24年間の活動終了へ」、『朝日新聞』2017年12月06日(水)付。


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世界発2017 戦争犯罪、遠い和解 旧ユーゴ国際法廷、24年間の活動終了へ
2017年12月6日
 
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国連旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY)の歩みと主な出来事

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 国連旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY、オランダ・ハーグ)が今年末で24年間の活動を終える。戦争犯罪で161人を訴追したが、有罪となった指導者たちが英雄視され、過去を正当化する言動は絶えない。ICTYは民族の和解のために何を残したのか。

 (ハーグ=吉武祐)

 ■服毒自殺?有罪の被告英雄視

 11月29日、ICTYによる最後の判決。クロアチア人勢力幹部6人への上訴審判決で、武装組織を指揮したスロボダン・プラリャク被告(72)は、裁判長から禁錮20年の量刑を聞いた直後、「私は戦争犯罪人ではない」と叫んだ。あごを上げ、右手に持った容器から口に液体を流し込んだ。「毒を飲んだ」と言って、すぐに救急車で運ばれ、病院で死亡した。判決に抗議した服毒自殺とみられる。

 今月1日、オランダ検察当局の予備検視で、液体が青酸カリウムである可能性が示された。拘置中のプラリャク被告がなぜ持ち込めたのかはわかっていない。

 クロアチアのグラバルキタロビッチ大統領はプラリャク被告について「やっていないことで有罪になるより、死を選んだ。クロアチアの人々の心を強く打った」と述べた。クロアチアの首都ザグレブでは、人々が街頭で死を悼んだ。旧ユーゴの国々では政治家がICTYへの批判を繰り返し、有罪となった指導者を英雄視する風潮が続く。

 セルビアの首都ベオグラードでNGO「人道法センター」を運営するナターシャ・カンディッチ氏は、有罪になっても戦争犯罪を認めて反省する者はわずかだと指摘。その象徴がセルビア人勢力の元軍司令官ムラジッチ被告(75)の裁判だという。1995年の「スレブレニツァの虐殺」を主導した罪などに問われた。

 証言した部下たちや警察関係者が明らかに証拠に反して罪を否定し、被告の人格を持ち上げる発言をしたと指摘。「ムラジッチ氏の裁判は、彼らの考えが変わらないことを明確に示した。(民族間の)和解にとってよくない」と話す。

 ■民族対立、判断に不満

 ICTYは東京裁判以来の戦犯法廷で、集団殺害(ジェノサイド)や人道に対する罪、戦時の捕虜や弱者の扱いを定めたジュネーブ諸条約に対する重大違反などを裁いてきた。裁判に向けた捜査で、事実の発掘と犠牲者の特定が進んだ。スレブレニツァなどの虐殺はジェノサイドと呼ぶのが定着した。

 有罪となった指導者らが英雄視される背景には、民族・宗教間の対立の複雑さから、それぞれが司法判断に不満を持っていることがある。特にセルビア第2次大戦時にクロアチア人によって大勢が殺された過去が考慮されず、セルビア人が犠牲になった事件の扱いが少ないとの不満が強い。

 一方、これまでのICTYへの一般の人たちの関心は必ずしも高くなかった。特に90年代は、実績づくりのために下級の被告の起訴、裁判が進むなかで、大物指導者の身柄が確保できなかったことも影響した。

 ICTYとルワンダ国際刑事法廷(ICTR)の口述記録に取り組む米ブランダイス大学のリー・スワイガート博士(人類学)は「なぜこんなに費用がかかるのか、何年もやってこれだけしか裁判にならないのか、人々は理解できなかったと思う」と話し、法廷と一般市民の間に断絶があったと指摘する。

 ■多言語での広報を拡充

 こうした状況を変えようとしたのが、「アウトリーチ」と呼ぶ広報・啓発部門だ。99年、当時のカブリエル・カーク・マクドナルド所長が主導してつくった。英仏2言語だけだった広報にボスニアクロアチアセルビアアルバニアマケドニアの各語を加え、ウェブサイトや出版物を翻訳。地域集会を開いたほか、ICTYの法律家が高校や大学を訪れる授業や見学の受け入れなど、若者の啓発活動もしてきた。

 それでも、次席広報官ラダ・ペイッチスレマックさんは、ICTYへの評価は「肯定的になっていない」。政治家やかつての被告が過去を正当化するような発言をするたびに「被害者や遺族が傷つき、何度も犯行が行われたように感じてつらい状況に置かれている」のも目にしてきた。

 今年末にICTYは活動を終えるが、被告の司法手続きは一部残る。セルビア人勢力元指導者カラジッチ被告(72)の上訴審などが、ICTRなどの機能を引き継いだ「国際刑事法廷のための国連メカニズム」(MICT)に移った。

 ペイッチスレマックさんは今後、紛争について知りたい若者が「出版物やドキュメンタリーなどを情報源として使ってくれることが希望だ」と語る。証拠も公開するウェブサイトの管理はMICTが引き継ぐ。

 ICTYの広報部門の職員は現在6人。MICTでは縮小され、渉外部門の一部になる。旧ユーゴに現在二つある事務所のうちベオグラードは閉鎖となり、サラエボに新たに情報センターが設けられる予定だ。

 ◆キーワード

 <旧ユーゴスラビア紛争> 六つの共和国からなる連邦国家だった旧ユーゴスラビアは1991年に崩壊が始まり、民族や宗教が異なる勢力間の争いに発展した。92〜95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ではセルビア人、クロアチア人、ボシュニャク人の各武装勢力が衝突。一般市民を含む犠牲者は20万人ともされる。自治州だったコソボでも99年、アルバニア系とセルビア人の衝突が激化した。
    −−「世界発2017 戦争犯罪、遠い和解 旧ユーゴ国際法廷、24年間の活動終了へ」、『朝日新聞』2017年12月06日(水)付。

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(世界発2017)戦争犯罪、遠い和解 旧ユーゴ国際法廷、24年間の活動終了へ:朝日新聞デジタル