覚え書:「日曜に想う 「左のナショナリスト」の憂い 編集委員・大野博人」、『朝日新聞』2017年12月10日(日)付。


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日曜に想う 「左のナショナリスト」の憂い 編集委員・大野博人
2017年12月10日
 
写真・図版
「家路の交差点」 絵・皆川明

 「左のナショナリスト」と呼ばれたフランスの老政治家に会いにいった。ジャンピエール・シュベヌマン氏(78)。2000年に一度インタビューしたことがある。強く印象に残る取材だった。

 ナショナリストは「右」というのが通り相場かもしれない。けれども、この人は、フランス社会党の創設にかかわった一人で、左派政権で閣僚も務めた。

 他方で、国家へのこだわりが強い。国境を超えて経済がグローバル化し、欧州でも経済統合が進み、政財界や言論界の大勢がその流れを支持しているときに異論を唱え続けた。

 なぜか。民主主義は国民国家の中でしかうまくいかない仕組みだと考えるからだ。多数決でものごとを決めるときには、フランス人や日本人といった国民としての「私たち」という意識の共有が欠かせない。「私たちみんなでいっしょに決めたのだから」と思えてこそ、少数派も結果を受け入れられる。だから、国という枠を大事にする。その意味でナショナリスト。国を軽んじては民主主義がおかしくなる、と警告していた。

 それから17年。グローバル化した世界で民主主義は迷走を重ねている。

 「これは進歩でしょうか」。自ら代表を務めるシンクタンクのパリ市内の質素な事務所で、前に会ったときと同じ問いかけの言葉が彼の口から出た。「17年前はグローバル化についての幻想への警告でした」。でも今は、懸念が現実になったことへの嘆きに聞こえる。

 憂いは深い。「民主主義国家の礎石となるべき『国民』がずたずた」にされたと思うから。

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 「より持てる者たちが、ほかの者たちから自分を切り離そうとする運動」

 スペインで続くカタルーニャ独立運動について、先日のニューヨーク・タイムズ紙にそう指摘する記事が載った。独立に反対するカタルーニャ出身の野党党首、アルベール・リベラ氏の寄稿だ。収入が多いほど、そしてルーツが深い人ほど独立に傾くという。

 シュベヌマン氏の見方も似ている。

 「あれは金持ちの権利要求です」と切り捨てる。「カタルーニャのように裕福な地方が、自分たちの払う税を自分たちだけに取っておきたい、ほかに回したくないという運動です。欧州で独立を志向する地方には同様の例が多い。ベルギーのフランドル地方、北イタリア……」

 地域エゴとも見える現象が盛り上がる背景に何があるのか。

 「国民国家の危機です。国民という共同体が分断されてしまいました。国民の連帯が失われているのです」

 富める人や地域が、困難を抱える人や地域を支える。それを可能にしてきた国民同士というつながりが崩れてしまったからこんなことが起きるというわけだ。

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 各地で国家への回帰を強調する政治家が次々と登場し、多くの人が引きつけられている。米国では「アメリカ・ファースト」を唱えたトランプ氏が大統領になり、英国は欧州連合(EU)離脱が決まった。困ったことだという声は多い。けれど、グローバル化に振り回されるのを拒み、国という枠組みに戻ろうとする動きは方向としては正しいのだろうか。

 シュベヌマン氏は、英国の人々を非難しない、という。英国民が自分たちで社会の行方を決めようとするのは「民主的」と評価する。「ポピュリズムは危ういかもしれない。しかし理解できることでもあるのです。国民という礎石から再構築せざるをえないと思います」

 グローバル世界では民主主義はなりたたない。かといって、排他的なメッセージを乱発するポピュリストの「国」に戻っても、それで連帯の回復を期待するのは無理だろう。

 日本でも「非国民」「反日」などという言葉が熱を帯びて飛び交う一方、少子高齢化と巨額の財政赤字の負担の議論は遅々として進まない。ナショナリズムは高まっているように見えて、国民の連帯は弱まり続けているのではないのか。

 「左のナショナリスト」の憂いはひとごとではないと思う。
    −−「日曜に想う 「左のナショナリスト」の憂い 編集委員・大野博人」、『朝日新聞』2017年12月10日(日)付。

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(日曜に想う)「左のナショナリスト」の憂い 編集委員・大野博人:朝日新聞デジタル