覚え書:「耕論 若者の恋愛ばなれ? 牛窪恵さん、トミヤマユキコさん、山田舜也さん」、『朝日新聞』2017年12月12日(火)付。


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耕論 若者の恋愛ばなれ? 牛窪恵さん、トミヤマユキコさん、山田舜也さん
2017年12月12日

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20、30代の恋人がいない未婚者への内閣府調査<グラフィック・荻野史杜>

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 街角にクリスマスソングが流れる季節。かつて、当日、誰と過ごすかで盛り上がったが、いまは若者の恋愛への熱意が薄れてきたという。それって本当なの?

 ■割に合わない嗜好品に 牛窪恵さん(世代・トレンド評論家)

 若者の恋愛観を、実際に当事者に話を聞きながら調べ続けてきました。今の20〜30代は、恋愛を必需品ではなくて嗜好(しこう)品と捉えており、手間やリスクを考えると割に合わないもの、と考える人が多くなっていると感じます。

 21世紀に入り、まず変わったのが男性の恋愛観です。景気低迷と将来不安の高まりから、無用な消費を嫌がり、わざわざ恋をしてお金や時間を使いたくない。初めから男女平等の教育を受けており「男が引っ張る」感覚も弱い。

 それでも、少し前まで女性には恋愛願望がみられましたが、最近は男女を問わず「恋愛は面倒」という声が多くなりました。おそらく最大の理由は、常にスマホでネットや人とつながっている「超情報化社会」になったことです。

 まず、満たされやすくなっています。私の大学時代は、授業以外はサークルかバイト、あとはデートぐらいしか楽しみがなかった。でも今は無料の動画やゲームも多く、友人とも常時つながっている。恋をしなくても、いくらでも楽しく過ごせます。性愛への関心も、今はスマホで満たせる。困り事も、助けてくれた誰かにときめく前にスマホが解決してしまい、ロマンチックな瞬間が訪れにくい。

 職場ではハラスメント扱いされるのが心配で誘いにくいし、やっと告白しても、内容を転送されて恥をかいたり。付き合えば、行動がスマホ上で筒抜けで束縛されやすく、別れれば、相手のスマホに自分のデータや画像が残っているからストーカーやリベンジポルノも怖い。これだけの面倒やリスクを背負ってまで、特定の人と深い関係になる必然性が薄れているのです。

 だから、上の世代は「恋愛しない方がおかしい」と自分たちの感覚で見ず、そうした現代的な難しさを理解した上でサポートする必要があります。当の若者には、パートナーを見つける動物的本能を取り戻すため、時々は「スマホ断ち」も大切だと伝えたい。ネットと切れた状態で、「あの人に会いたい」といった自分の自然な感情に、静かに耳を傾ける時間も必要です。

 もともと、昔の日本は西欧型の大恋愛ではなく、一緒に暮らしてから情が移っていくタイプの文化でした。トレンディードラマが全盛だったバブル前後が、むしろ例外的だったのかもしれず、恋愛より情愛を重視するのは決して悪いことではありません。

 ただ、私の経験上も、結婚後に「思っていたのと違う」という瞬間は必ずある。その時、「あれだけ好きになった人だから仕方がない」という割りきりも支えになります。今の若者は賢く先読みしがちですが、人生を納得させるためにも、一度は後先考えずに「燃え上がる恋」をするのも悪くないと思うのですが。(聞き手・吉川啓一郎)

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 うしくぼめぐみ 68年生まれ。出版社勤務を経て、マーケティング会社社長。著書に「恋愛しない若者たち」など。

 ■失敗を恐れ「イタイ」回避 トミヤマユキコさん(早稲田大学助教

 大学で少女漫画を研究していて、毎年、学生に1990年代に安野モヨコさんが描いた「ハッピー・マニア」を読ませています。恋愛至上主義者のカヨコが主人公で、すぐ男を好きになり、すぐ相手と寝て、「この人じゃなかった」と後悔する。恋愛で失敗ばかりしています。

 私の世代では恋愛のバイブルみたいな漫画でした。7、8年前の学生たちは「イタイけど気持ちはわかる」「この学ばなさ、わかる」といった感想でした。自分は彼女とは違うにせよ、「共感できる」と感じる学生がいました。

 ところが最近の学生の感想は違います。「この人、結局何がしたいんですか」「こんな失敗繰り返ししていたら独居老人になるだけ」と、主人公の後先見ない恋愛に、腹を立てたり、説教モードに入ったりするんです。彼らにとっての恋愛が、以前のものとは全く違っているからです。

 とくに女子は保守的で、「成功したい」ではなく「失敗したくない」が基本。就職で社会への出方でつまずいてしまう危険があるように、恋愛も失敗するとレールをはずれ、いずれ「社会的死」につながるものと考えています。彼女たちには「恋愛に全てをかけた結果、失敗してもゼロに戻ればいい」という選択肢がないようなのです。

 昔は普通のクラスに数組はいたカップルも、一部のサークルは別にしてあまり見ません。別れたら気まずいからです。一方で、卒業後すぐ結婚してくれそうな彼氏をつくろうと考える、主婦願望の強い学生がじわじわ増えてます。

 こんな女子学生の話を聴きました。憧れの先輩がこっちを振り向いてくれず、でも怖いから告白もできない。とりあえず嫌われていない状態で様子を見つつ、余ったエネルギーを出会い系アプリに振り向けている。そこでゲーム感覚で「いいね」をもらえることに喜びを見いだす。かといってそこから関係が進むわけでもない。

 生身の人間相手の重いコミュニケーションは難しいので、アプリを媒介にした軽いコミュニケーションで承認欲求を満たし、二つの関係を行き来しながら自分の気持ちをなだめているのです。

 今までの恋愛を基準にすれば、「恋愛ばなれ」となります。もっとも私は、誰もが恋愛をすべきだとは全く思いません。そもそも恋愛が苦手、興味がないという人は潜在的には多くいるはずです。「恋愛はすべき」という社会的抑圧が強いので恋愛結婚はしたけれど、本音では「恋愛には興味ない」人たちが多く隠れているのではないでしょうか。スポーツに興味がないように恋愛には関心がないけれど、それでいて豊かな人間関係を築いていくことは普通にできるからです。(聞き手・中島鉄郎)

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 79年生まれ。サブカルチャー関連講座を担当。著書に「大学1年生の歩き方」(共著)など。

 ■「どもる」に不寛容な時代 山田舜也さん(東京大学生きづらさの研究会代表)

 中高一貫の男子校から理学部に進み、周辺には母親以外の女性とは話したことがないという学生も多くいました。サークルにもクラスにも、誰かが恋愛関係になるという話はあまりなかったですね。

 「彼女がほしい」と意気込んで入学した学生は、女の子が多いサークルに入って彼女をつくるんです。でも、それって特定の相手に向いた気持ちではなく、「彼女一般」がほしいわけで、ぼくはそういう思いにはなれませんでした。20歳の頃、すごく好きになった女の子がいましたが、思いをうまく伝えられず、とても後悔しました。

 今はネットで、性的な映像に簡単にアクセスできてしまいます。セックスがゴールではありませんが、逆に、性的な関係に至るまでの距離の縮め方や、そもそも「恋人になる」とはどういうことなのかがわからない、という同世代の人も多いと思います。

 ぼくは吃音(きつおん)で、吃音者の立場からコミュニケーションについてよく考えるのですが、ぼくらは比喩的に言えば「どもらない世代」なのかもしれないと思うことがあります。

 誰かを好きになり、関係を結ぼうとする過程には、自分が傷つく可能性、リスクを多く含んでいますよね。だから、最初に相手に告白するときは緊張して、うまく話せず、言いよどんだり、つっかえたりする。つまり「どもる」のが普通だと思うんです。「どもる」からこその真実味、「この人、たどたどしいけれど、私を心から大切に思っているのはわかる」という感覚は、かつてはもっと社会に共有されていたと思います。「どもってしまうこと」も「コミュニケーション力」の一つだったのです。

 でも最近は、シンプルによどみなく話すこと、そつなく、わかりやすく話すことが「コミュニケーション力」として称揚される風潮があります。「うまく話せない」「つっかえる」だけで「コミュ障」(コミュニケーション障害)とされかねない。吃音者に限らず、生きづらい時代なのかもしれません。

 こんなふうに意識が変わってきてしまうと、バリアーが高くなります。告白しようとしても、「どもる」からやめておこう、もういいや、と「方向転換」してしまう。そんな思いで、立ち往生してしまう学生は多いと思います。その結果として、自分の中にある欲望を無視することが習慣化されてしまいます。

 恋愛なんかしなくてもいいと開き直れれば楽です。でも、誰かと付き合えるなら付き合いたい。そのために能動的に動くリスクは年を取るごとに高まります。16歳で恋愛で失敗するのと、40歳で恋愛経験がなく失敗するのでは全く意味が違います。そこまで考えておくべきなのかも知れません。(聞き手・中島鉄郎)

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 やまだしゅんや 91年生まれ。東京大学大学院博士課程1年。吃音者の自助グループ、東大スタタリング創設者。
    −−「耕論 若者の恋愛ばなれ? 牛窪恵さん、トミヤマユキコさん、山田舜也さん」、『朝日新聞』2017年12月12日(火)付。

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(耕論)若者の恋愛ばなれ? 牛窪恵さん、トミヤマユキコさん、山田舜也さん:朝日新聞デジタル