日記:文明の歴史は犠牲の内面化の歴史である


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人間が自分自身を自然としてもはや意識しなくなる瞬間に、人間がそのために生きて行くすべての目的、社会の進歩、あらゆる物質的・精神的力の向上、さらには意識そのものさえ、すべては価値を失ってしまう。そして、手段を目的化して王座に即(つ)かせること、それは資本主義の後期においては公然たる狂気の性格を帯びて現れるが、すでに主体性の原史(Urgeschichte)のうちに認められる。人間の自己の根拠をなしている、人間の自分自身に対する支配は、可能性としてはつねに、人間の自己支配がそのもののために行われる当の主体の抹殺である。なぜなら、支配され、抑圧され、いわゆる自己保存によって解体される実体は、もっぱら自己保存の遂行をその本質的機能としている生命体、つまり、保存さるべき当のものに他ならないからである。全体主義的資本主義の反理性−−さまざまの欲求を充足するためのその技術は、対象化され、支配によって限定された形態をとるとき、欲求の充足を不可能にし、人間の根絶へと駆り立てるものであるが−−この反理性は、自分自身を犠牲にすることによって犠牲を免れるヒーローの姿において、原型としてはすでに完成している。文明の歴史は犠牲の内面化の歴史である。
    −−ホルクハイマー,アドルノ(徳永洵訳)『啓蒙の弁証法 哲学的断想』岩波文庫、2007年、118−119頁。

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コラム:弁証法(ヘーゲル)による「進歩」を考えてみる。 | すたぽ-Starting Point-






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