覚え書:「日曜に想う 『政教分離』原則の憂鬱 編集委員・大野博人」、『朝日新聞』2017年06月04日(日)付。

Resize7339

        • -

日曜に想う 「政教分離」原則の憂鬱 編集委員・大野博人
2017年6月4日 

「歓迎」 絵・皆川明
 フランスでのイスラム信仰拠点のひとつであるパリ大モスクが「フランスにおけるイスラム宣言」を発表した。

 前文と25の項目からなり、次のような内容が並ぶ。

 「フランスはイスラムの地ではない。複数の宗教の信徒や無神論者らも暮らす地である。すべてのイスラム教徒はフランス共和国の法と価値観を尊重しなければならない。たとえば神への冒涜(ぼうとく)や宗教の戯画も合法だ。傷つけられたと主張はできるが、その禁止を要求したり暴力で反応したりしてはならない」

 「今日の社会では、身体への刑罰や一夫多妻は正当化されない。また、男女の平等は当然のことである」

 出したのはことし3月末。大統領選挙を翌月に控え、イスラム系移民を問題視する右翼政党のマリーヌ・ルペン候補が勢いづいていた。結局、当選はしなかったものの、決選にまで残る闘いぶりだった。相次いだテロなどの影響でイスラムへの警戒感が高まった結果でもある。

 イスラム教徒にとって、やりきれない空気は消えない。それはフランスだけではない。

 「イスラム教徒が少なくなるのは、明らかによいことだ」――

 英国マンチェスターでのテロが起きたあと、イスラムをテロの元凶であるかのように発言する論者が英BBCのテレビ番組に登場。イスラム教団体が抗議文を出した。各地で、信徒にとって憂鬱(ゆううつ)な日々が続いている。

     *

 宣言は画期的との評価もあったが、それ自体の中では「単に、今日の現実の中で教義を明確にするもの」と規定している。何かを大きく変えたわけではない。

 では、今なぜあらためて? 

 「困ったことになったという思いが動機です」と、大モスクの責任者、ダリル・ブバクール師。イスラムとは、聖戦と称してテロを起こす「ジハーディスト」の思想のことだという見方が蔓延(まんえん)し、ルペン氏のような排他的な主張への支持が広がる。いっしょくたにしないでほしい、と訴えるためだったという。「私も原理主義者は嫌い。だから脅されて、警察に守ってもらったことさえあるくらいなのに」

 「宣言」の前文も「政治、メディア、知識人などのあらゆる分野で高まる、イスラム教徒という少数派を悪魔視する姿勢の高まり」に強い懸念を示している。

 イスラム恐怖症あるいは反イスラム神経症などと呼ばれる現象だ。こうした言説を唱える側がしばしば根拠にするのが「政教分離」の原則である。

 たとえば、学校がスカーフ姿のイスラム教の女子生徒に、退学を迫る。スカーフは宗教への帰属をこれ見よがしに示すもの、との考えによる。女性抑圧の象徴という見方もある。

 だが、退学まで持ち出しては、社会を寛容にするための原則が結局、不寛容である言い訳になっているように見える。

     *

 大モスクはパリの学術の中心、カルチエラタンに近接している。その姿は優美で、観光名所でもある。

 建てられたのは1926年。政教分離を定めた法律は、それより20年あまり前に制定されている。にもかかわらず、このモスクの建設には国家が資金を援助し、落成式には大統領も出席した。第1次世界大戦でフランスのために戦い倒れた約7万人ものイスラム教徒をたたえようと、前からあった計画が一気に進んだのだという。政教分離法に触れるのを避けるため特別法さえ制定した。

 イスラム教徒の大半は北アフリカの仏植民地出身者だ。文化や宗教が異なるとしても「同胞」である。植民地政策のひとつとして宗教的なアプローチも欠かせなかったのだろう。

 大原則も都合のいいようにすり抜けたり解釈しなおしたりする政治と、それを支える言論。

 大モスクは大統領選でマクロン候補支持を訴える声明も出した。「私たちのような少数派を保護するのは国家の役割のはず。大統領になった彼にそれを期待します」とブバクール師は話していた。
    −−「日曜に想う 『政教分離』原則の憂鬱 編集委員・大野博人」、『朝日新聞』2017年06月04日(日)付。

        • -






http://www.asahi.com/articles/DA3S12971563.html


Resize7327


Resize6901

覚え書:「明治乙女物語 [著]滝沢志郎/政略結婚 [著]高殿円 [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞』2017年08月20日(日)付。

Resize7340


        • -

明治乙女物語 [著]滝沢志郎/政略結婚 [著]高殿円
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)
[掲載]2017年08月20日
[ジャンル]文芸
 
■理不尽と闘った近代女性たち

 夏休みも残り少なくなったけど、中学生、高校生のみなさんは何か本、読みました? 
 少しだけ背伸びして、日本の近代に取材した歴史小説はどうかしら。あ、歴史小説といってもね、主人公はうら若き乙女だし、史実をからめながらもストーリーは波瀾(はらん)万丈。エキサイティングです、かなり。
 滝沢志郎『明治乙女物語』の舞台は明治20年代の高等師範学校女子部(女高師)だ。
 なんたって鹿鳴館の時代。女高師の講堂でも初代文部大臣・森有礼が主催する舞踏会が開かれていた。女高師の生徒たちには、欧化政策の一端を担うことが期待されていたわけだね。とはいえ、こういう極端な欧化政策が気に入らない国粋主義者たちもいるわけで、その日の舞踏会でも、まさかの爆弾テロ未遂事件が起こる。危機一髪で爆発を食い止めたのは女高師3年の野原咲だった。1年後輩の駒井夏は颯爽(さっそう)とした咲に憧れていたが、次は鹿鳴館を標的にするとの犯行予告が出て……。
 松本清張賞受賞作だからミステリーの要素もあるけれど、この小説のキモはむしろ、明治の男社会を相手にした咲と夏の戦いだ。伊藤博文のエロジジイぶり、先取的な思想の持ち主とされる森有礼の意外な暗部。ここに謎の人力車夫(ちょっとカッコイイのよ、この人が)や唐人お吉までからみ、物語は衝撃的なクライマックスに向かう。
 一方、高殿円『政略結婚』は幕末から昭和までの時代を3人の女性と1枚の九谷焼の大皿に託して描いた大河ロマンだ。3編の主人公は世が世なら「お姫さま」だったはずの人たちで、じゃあ典雅な物語が展開するかと思いきや、さにあらず。
 加賀藩主の娘に生まれた前田勇は加賀の支藩に嫁ぐも長く子宝に恵まれず、家の存続のために奔走する。明治期にカナダから帰国した子爵家の娘・前田万里子は17歳で婚約するも、おりからの第一次大戦で結婚は延期につぐ延期。自分らしい生き方を求めて格闘する。そして昭和恐慌で全財産を失った伯爵家の娘・深草花音子は10歳にしてレビュー小屋の女優となり、復讐(ふくしゅう)を誓う母とともに軍国主義の時代を走りきるのだ。
 『明治乙女物語』は女性の教育の機会と社会進出、『政略結婚』は家と結婚。それぞれの時代背景をていねいに描きつつ、2冊から浮かび上がるのは女性を縛る見えない力と差別の温床ともいうべき階級の問題だ。女はどんだけ理不尽な思いをしてきたかって話よね。
 それでも彼女たちはめげずによく戦った。フィクションだけど描写はリアル。ほんとの戦闘美少女は、こういう人たちのことをいうのだと思うわよ。
    ◇
 たきざわ・しろう 77年、島根県生まれ。2017年、本作で松本清張賞を受け作家デビュー▽たかどの・まどか 76年、兵庫県生まれ。著書に「トッカン」シリーズなど。13年、エキナカ書店大賞。
    −−「明治乙女物語 [著]滝沢志郎/政略結婚 [著]高殿円 [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞』2017年08月20日(日)付。

        • -




http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2017082000004.html



Resize6902


明治乙女物語
明治乙女物語
posted with amazlet at 17.09.30
滝沢 志郎
文藝春秋
売り上げランキング: 68,375

覚え書:「ゲームの支配者―ヨハン・クライフ [著]ディートリッヒ・シュルツェ=マルメリンク [評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)」、『朝日新聞』2017年08月20日(日)付。

Resize7341

        • -

ゲームの支配者―ヨハン・クライフ [著]ディートリッヒ・シュルツェ=マルメリンク
[評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)
[掲載]2017年08月20日
[ジャンル]人文
 
■革新戦術の体現者追う「思想書」

 バスケットの話からしよう。世界最高峰のリーグであるアメリカのNBAは現在、高身長の選手がゴール下でダンクを決める時代から、低身長の選手がコートを縦横無尽に動き回り、3Pシュートを中心に攻撃を組み立てて時間をかけずにシュートを打つという時代になった。今年、チームを優勝に導いたステフィン・カリーはコート中央のハーフラインからでもやすやすと3Pシュートをしずめ、そこを警戒するとゴール下に切り込み、2人がかりで抑えようとすれば変幻自在のパスで相手を翻弄(ほんろう)する。
 そしてカリーのチームはほぼ全員が、おなじような精度でプレーすることができ、試合中は常に動き回ってボールが目まぐるしく展開する。守備も常にカットを狙い、ボールを奪うと素早い速攻で得点を重ねる。ここに、ポジションという概念はほぼ崩壊し、身長の高低はもはやあまり関係がなくなった。
 ボールは人よりも早く動く。人はボールの予言する場所まで動くだけ。この現代バスケットを目の当たりにしたとき、私はバルセロナのサッカーを思い出す。試合の7割近い時間ボールを保持し、激しいポジションチェンジ、というよりは全員がポジションを兼務できるようなハイブリッドな選手たちで、ボールを動かし常に相手の隙をつく。選手たちが自分で考え、ときには楽しそうにさえ見えるサッカー。バルセロナにこのスタイルを持ち込んだ人こそ、「トータルフットボール」の最初の体現者であるクライフであった。
 サッカーの世界では60年代からオランダでプレーし、監督としても秀でたクライフは、もはやひとつの「思想」のレベルにまで到達した人物だ。クライフの思想は、バスケットにまで及びはじめたと私は解釈している。
 昨年他界したクライフの、自伝でも伝記でもない「足跡」を綿密に追った本書を、どうか思想書として読んでもらいたい。
    ◇
 Dietrich Schulze−Marmeling 56年生まれ。ドイツ在住の作家。サッカー史に関する著作が多い。
    −−「ゲームの支配者―ヨハン・クライフ [著]ディートリッヒ・シュルツェ=マルメリンク [評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)」、『朝日新聞』2017年08月20日(日)付。

        • -





http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2017082000005.html








Resize6903




ゲームの支配者 ヨハン・クライフ
D.シュルツェ=マルメリンク
洋泉社
売り上げランキング: 96,807

覚え書:「分解するイギリス―民主主義モデルの漂流 [著]近藤康史 [評者]加藤出 (東短リサーチチーフエコノミスト)」、『朝日新聞』2017年08月20日(日)付。

Resize7342

        • -

分解するイギリス―民主主義モデルの漂流 [著]近藤康史
[評者]加藤出 (東短リサーチチーフエコノミスト)
[掲載]2017年08月20日
[ジャンル]政治 社会
 
■「多数決型」の無理が生んだ混沌

 イギリスのEU(欧州連合)離脱を巡る議論は依然としてカオス(混沌〈こんとん〉)の中にある。今月15日、英政府は離脱後の税関での混乱を回避する案を発表したが、EU議会幹部は「ファンタジーだ」と一笑に付した。
 英政界内での非難の応酬も収束しない。虚偽情報で離脱を扇動した主要政治家は刑務所に入るべきだ、と前首相の元スタッフが先日ツイートしたところ、大きな反響が湧き起こった。
 なぜこんな事態になってしまったのか? イギリスは議会制民主主義のモデル(模範)だったはずだ。実際、我が国の近年の政治改革(小選挙区制、「決められる政治」へのシフト、マニフェスト等々)は、同国を参考にしてきたものだ。
 昨年の英国民投票でのEU離脱派の勝利を、世界的なポピュリズム台頭の文脈で解説する見方は一般的に多い。しかし著者は、実はイギリスの民主主義は以前から「分解」し始めていて、そこから「漏れ出し、漂流していた民意」に一挙に着火し、爆発を生じさせたものがEU離脱だった、との解釈を示している。
 イギリスの民主主義は「なるべく多くの人が納得する選択肢」を形成する「コンセンサス型」ではなく、「一人でも多い多数派」の意見をそのまま採用する「多数決型」だ。その方がリーダーシップが安定するという。二大政党制を生む小選挙区制、下院の優越、政府の「執政の優位」等々、制度的パーツは全て多数決型に向くようになっている。
 ところが近年は民意があまりに多様化してしまい、多数決型には無理がある状況が現れた。だがコンセンサス型への転換は難しい。このジレンマが今のカオスにつながったことが分かる。
 時代の変化に伴い民主主義の設計はどう変わるべきか?という問いを本書は提示している。イギリスの政治はモデルではなくなったが、著者が正に指摘するように、日本が学ぶべき材料は多々あるといえる。
    ◇
 こんどう・やすし 73年生まれ。筑波大学教授(比較政治、イギリス政治)。著書に『左派の挑戦』など。
    −−「分解するイギリス―民主主義モデルの漂流 [著]近藤康史 [評者]加藤出 (東短リサーチチーフエコノミスト)」、『朝日新聞』2017年08月20日(日)付。

        • -





http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2017082000006.html


Resize6904





覚え書:「折々のことば:772 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年06月02日(金)付。

Resize7343

        • -

折々のことば:772 鷲田清一
2017年6月2日

 注意を集中し、ただ黙って聞いていてくれるというのは、それだけでも大したことだと思います。

 (松浦寿輝

     ◇

 語りを黙して聞く。それは受け身の行為ではないと、詩人・仏文学者は大学退職時の講演「波打ち際に生きる」で言う。耳を澄ますことが、心地よい波動となって、語る者に返される。昼と夜、意識と無意識など、異質なものの間の「心もとなさ」を愛おしむのが私の仕事だったとの回想がまさに波打ち際として現れた、幸福な別れの辞。
    −−「折々のことば:772 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年06月02日(金)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S12967952.html





Resize7328

Resize6905