2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

真理を探究するには、生涯に一度はすべてのことについて、できるかぎり疑うべきである。

- 一 (真理を探究するには、生涯に一度はすべてのことについて、できるかぎり疑うべきである。) 我々は幼年のとき、自分の理性を全面的に使用することなく、むしろまず感覚的な事物についてさまざまな判断をしていたので、多くの先入見によって真の認識か…

「人間のために」って言ってしまえば、要するに誰もそれを否定することができないんですよ。

- ポワリエ 他人はみなそれぞれかけがえのないものですけれども、私たちは全員をひとしく愛することができません…… レヴィナス まさしく、それゆえに、私たちは、私が倫理的秩序あるいは聖性の秩序あるいは慈悲の秩序あるいは愛の秩序あるいは慈愛の秩序と呼…

かつ官とは何ぞや、本これ人民のために設くるものにあらずや

- かつ官とは何ぞや、本これ人民のために設くるものにあらずや、今や乃ち官吏のために設くるものの如し、謬れるの甚しといふべし。人民出願し及び請求することあるに方り、これを却下する時はあたかも過挙あるものを懲すが如く、これを許可する時はあたかも…

「ザ・特集:「原発難民」となって−−元宇宙飛行士・秋山豊寛さん」、『毎日新聞』2011年7月28日(木)付。

- ザ・特集:「原発難民」となって−−元宇宙飛行士・秋山豊寛さん 日本人初の宇宙飛行士として、90年に旧ソ連(現ロシア)のソユーズ宇宙船に搭乗したジャーナリストの秋山豊寛さん(69)。その後、福島県旧滝根町(現田村市)に移住、有機農業に取り組ん…

旨いもの・酒巡礼記:東京都・国分寺市編「もつやき処 い志井」

- 我々は右のごとき学の事実に代えて、日常的実践的なる経験の事実を捕らえようとする。かかる経験は、単に観照的なる対象の認識ではなくして、実践的行為的なる連関そのものの内に与えられている。だからそこでは対象は常に人間存在の表現である。たとえば…

自由に関しては、心を留めておくべき大切なことは、自由とは外面的な行動の無拘束状態というよりむしろ精神的態度を指すということ

- 真の個人主義は、信念の規範としての慣習や伝統の権威の支配のゆるみから生じた産物である。ギリシャ思想の最盛期のような、散発的事例は別として、それはわりに近代的な現象なのである。さまざまの個人の多様性がつねに存在していたことはたしかだが、保…

幸福に達し幸福を考へるのに、地位や頭脳を必要としない。

- 自然の道に従つて妄想を去るがよい。 幸福に達し幸福を考へるのに、地位や頭脳を必要としない。 その恵みは明白で、極端なところにはない。 正しく考え、善意を持つのみで足りるのだ。 天与の多寡を嘆くのは勝手だが、 尋常の判断力と生活は何人も平等に享…

Ma sensation d'inexactitude à fin de la radiodiffusion de l'analogue par gouvernement

La radiodiffusion analogique (télé) a terminé le 24 juillet. Dans le général, la radiodiffusion terrestre numérique est louée comme victoire de l'amélioration technique.Cependant, j'ai le sens d'incompatibilité dans la révolution numérique…

自省の一能の存否は、これ正に精神の健全なると否とを徴すべき証拠である?

- 自省の能とは、己が今ま何を為しつつある、何を言ひつつある、何を考へつつあるかを自省するの能を言ふのである。 自省の一能の存否は、これ正に精神の健全なると否とを徴すべき証拠である。即ち日常の事に徴しても、酒人が杯を挙げながら「大変に酔ふた」…

「今週の本棚 辻原登 評 江戸の思想史−−人物・方法・連環 田尻祐一郎(中公新書・840円)」、『毎日新聞』2011年7月17日(日)付

- 今週の本棚 辻原登 評 江戸の思想史−−人物・方法・連環 田尻祐一郎(中公新書・840円)日本語で問い詰められた「ルネサンス」 江戸文化−−美術、工芸、文芸、演劇、芸能−−どの分野でもたのしむ人が多い。おまけにエコまで! では、江戸の思想はどうか、…

どうかくれぐれも警戒を怠らず、諸君の思い、諸君のおこないの一つ一つが、自由の護持・享受であってください!

- 自由はいまこそ諸君のもとに還ってきました。自由がどれほど甘美なものか、どれほど望ましいものかは、それを失ってみてはじめてよくわかることです。多少の経験により自由の貴重さを身をもって知る諸君よ、いまこそ自由を享受してください。心たのしく、…

芸術とは無用な美的なものであり、ほとんど犯罪に類するような反時代性を持った個人主義的無為徒食であると看做したくはありませんしネ

- 私はきびしい社会的行動主義を信奉している者ではありません。そういう主義に同調して、芸術とは無用な美的なものであり、ほとんど犯罪に類するような反時代性を持った個人主義的無為徒食であると看做したくはありません。シラーが「純粋な遊戯」を人間の…

自己の運命を自ら開拓し、世界人生の謎を自ら解決すべく、雄々しく現実にたちむかう「我」

- こうして前七世紀から六世紀に及ぶギリシアの二百年は、実に顕著な矛盾的性格を示すのである。すなわち、それは一方に於いては清新な自由のパトスと奔湧する野心の情熱との灼熱的時代であるとともに、他方に於いては暗澹たる壊滅と動乱と絶望の瘴癘の気に…

「現実生活の上で国家的忠誠が決定的に優位に立ったのは、ようやく十九世紀以後」のこと

- 今日世界中において「ネーション」は忠誠市場における、たとえ独占体ではなくも、少なくとも寡占体として公認されている。しかし人類史の長い発展過程から見れば、これはきわめて新しい現象であって、人間の忠誠対象はむしろ宗教上の絶対者(またはその代…

大学とは、常に現実政策に追随してチンドン屋を勤める事ではない

- 大学令第一条には大学の使命を規定して学術の蘊奥並にその応用を研究し、且つ教授すること、人格を陶冶すること、国家思想を涵養することの三つ挙げて居る。この中最も直接に大学の本質たるものは学問である。勿論学問の研究は実行家の実行を問題とし、殊…

「君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ」……といわれても

- 人間すべてに共通なものは、性質というようなものではなく、条件、即ち、限界と、制限の集りである。どうしても死なねばならぬとか、生きるためには働かねばならぬとか、既に他の人間達が住んでいる世界に後から存在せねばならぬとかいう必然性である。こ…

【覚え書】「反射鏡 岡本太郎と原発と『途方もない生命力』 論説委員長 冠木雅夫」、『毎日新聞』2011年7月17日(日)付。

- 反射鏡 「岡本太郎と原発と『途方もない生命力』」 論説委員長 冠木雅夫 大震災から1カ月ほどして東京国立近代美術館で「生誕100年 岡本太郎展」を見た。あれほど有名なのに国立美術館で個展は初めてという。異端の作家ゆえだろう。会場に若い人が多い…

あれかこれかの議論よりも「科学的忠実」と「自己にある特殊性の認識」の緊張関係に立つこと

- 日本人は、哲学的国民ではないが、しかし科学的国民で、世界的に出来上つた公式には甚だ忠実であるが、それと自分自身の現実との対比、すなわち自己にある特殊性の認識に粗略であるから、その科学的忠実も徹底しないのである。更に他の特殊性の認識に熱心…

【覚え書】「こんな光景があった! パンを食べる人が急増」、『毎日新聞』2011年7月16日(土)付。

- こんな光景があった! パンを食べる人が急増 長山靖生 民衆が「パンがない」と騒いでいると聞いて、「パンがなければ、ケーキを食べてればいいでしょう」といったのはマリー・アントワネットだったが、米騒動は日本人の食生活を揺さぶるものとなった。 外…

法を設けて人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり。これを御恩と言うべからず

- そもそも御国恩とは何事を指すや。百姓町人らが安穏に家業を営み盗賊ひとごろしの心配もなくして渡世するを、政府の御恩と言うことなるべし。固よりかく安穏に渡世するは政府の法あるがためなれど、法を設けて人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然…

人間の喪失、人間的世界の喪失という深淵におちいるか、いいかえれば、結果として人間的現存在一般の停止を選ぶか−−それとも

- 人間の喪失、人間的世界の喪失という深淵におちいるか、いいかえれば、結果として人間的現存在一般の停止を選ぶか−−それとも、本来的人間への自己変化によって、また予見されえない本来的人間への機会によって、飛躍をなしとげるか、いずれかを選ばなけれ…

しかし、「自分が正しい」と思うことの責任説明は丁寧にやる、そしてその実践的運動においても「みぐるしくない」ことを実践するのは一つの責任だと思う

ツイッターでの連投のまとめで恐縮ですが……、一応、のせておくかw 酔っぱらいの戯れ言です(キリッ「マジメ」であることを決して否定しようとは思わないのですが、「マジメ」であるということは、結局他律的な物差しにおいて測られる価値にしかすぎないから、…

覚え書 道徳的なものの範囲(ニーチェ)

- 道徳的なものの範囲。−−われわれは、われわれめいめいの誠実と正義の程度に応じてやった一切の古い経験の助けをかりて、たちどころに、新しい表象像を組み立てる。感覚知覚の領域にあってさえも道徳的体験とは別ものの体験などは全く存在しない。 −−ニーチ…

絶対的正義の主張は、血と涙に濡れた無用の犠牲を生む

- 絶対的正義の理念は幻想であり、存在するのは利益・利益衝突・闘争や妥協によるその解決のみである。合理性の領域に存在するのは正義でなく平和である。しかしたんなる妥協・たんなる平和に尽きない正義への希求・憧憬、高次の、至高の、絶対的な価値への…

善意の努力を完成してくれるであろうと希望しながら生きる

- 道徳的な神の民を建設するということは、それゆえ、その実施が人間にではなく、神そのものにのみ期待されうる業である。だがそれだからと言って、人間はこの仕事に関して何もしないでよいとされはしないし、また各人はただ自らの道徳的な私事だけに専念す…

宗教と迷信との間の主なる相違は、迷信は無智を基礎とし、宗教は智慧を基礎とする点にあるということ

- 書簡七十三 スピノザからオルデンブルクへ 書簡七十一への返事 次に奇蹟に関して申せば、私は反対に、神の啓示の確実性はその教説の智慧の上にのみ築かれ得るのであって、奇蹟即ち無智の上には築かれ得ないと確信します。これは私が、神学・政治論の第六章…

「政治的生活は、人間の共同生活の唯一の形態ではない」という沃野のあたりで

- プラトンが、「汝自身を知れ」というマキシムを、全く新しい意味に解釈したときは、ギリシャ文化およびギリシャ思想の転回点であった。この解釈は、ソクラテス以前の思想には見られなかったのみでなく、ソクラテスの方法の限界を、はるかに超えた問題を導…

旨いもの・酒巡礼記:東京都・杉並区編「荻窪ワイン食堂 おかげさん2」

- むかし、芝居の仕事をしていたころ、新国劇の島田正吾と名古屋の鮨屋で酒をのんだとき、島田が、 「あんたを一度でいいから、前後不覚に酔わせてみたいな。ほんとにこの人ときたら、ぐでんぐでんに酔っぱらうことがないんだから、つまらない」 と、いった…

個々人が(銘々別々に)本質的に情熱をもって一つのイデーに関係し、それから一致団結してその同じように一つのイデーに本質的に関係する、ということ

- 個々人が(銘々別々に)本質的に情熱をもって一つのイデーに関係し、それから一致団結してその同じように一つのイデーに本質的に関係する場合、その関係は完全であり正常である。その関係は、個人個人で別々である(各人は自分の自己をそれぞれ独立にもっ…

愛はまことに家庭から始まります。私たちは、ことばでではなく、行動で、生活のなかで分かちあい、与えながらお互いを愛さねなければなりません

- 人間というものは神が、神の形に似せてより大きなもの、つまり、愛し、愛されるために創られたわけです。その愛を破壊し、そして人間という命を破壊するということは、それがなんであれまちがったことであり、罪なのです。 それがたとえ核兵器であれ、ある…