2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧
- 一九四五年(昭和二十年)八月十五日、『文藝春秋』がどれほど悪あがきをしようと、来るべきものは、その日まちがいなくやってきた。 ポツダム宣言の受諾−−つまり、天皇が降伏をきめた理由は、「これ以上の惨害を避ける」ということであった、と、一般には…
- 半世紀も前の終戦直後のことである。 焼け残った神田書店街の神保町の交差点に近い岩波書店の小売部の前に、「生活は低く理想は高く」という標語の看板が掲げられていた。新刊の文庫が発刊される日には、早朝から学生の長蛇の列ができていた。 学生たちは…
- 断食についての問答 そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむこ…
- 本気で始めるとは、みずからを不可分に保有しながら始めることである。したがって後戻りができないということである。船に乗り込み、もやい綱を切ることである。そうなったらとことん冒険を続けなければならない。ほんとうに始まってしまったものを中断す…
- 1 言葉(パロール)の出来事という概念の正当化 まず次の点を第一に決定したい。すなわち、ことばの出来事という概念は、どの平面で、どのような探究によって正当化されるか、である。それに対する答えは、現代の言語学によって与えられる。言語(ラング…
- 指導というものは関係である。それは一方的なことでなく、そこにはつねに指導する者と指導される者とがなければならない。即ち指導者は応えられなければならない。応えられない者は天才であり得ても指導者ではないのである。 リーダーシップは関係として道…
- 私は、教育学者として、この道徳教育の講義を始めようとしているのであるから、冒頭において、教育学とは何であるかを規定しておく必要があると考える。まずはじめに、教育学は科学ではない、ということをことわっておきたい。それは、教育の科学が成立不…
- ……西洋のと東洋や日本の伝統思想とではどこがちがうのだろうか。まさにそのことを問題にして橋本峰雄(「形而上学を支える原理」、岩波講座『哲学』第十八巻「日本の哲学」一九六九年、所収)は次のように書いたことがある。 すなわち、《明治以前のわが国…
- 独我論者と我々が呼ぶ人、そしてただ自分の経験のみが本当のものだと言う人、その人は何もそれで実際的な事実問題について我々と食い違いがあるわけではない。我々が痛みを訴える時、ただそのふりをしているだけだとは彼は言わないし、他の誰にも劣らず気…
- 新聞にしろ、週刊誌にしろ、テレビにしろ、ラジオにしろ、それらにあふれている論調は、ノーベル賞の変質を憂うだの、平和の意味の多面性だの、佐藤栄作の受賞工作を暴露するだの、それはそれなりのものだろうが、栄作の笑顔の後からついてきた批判ばかり…
- 体験という言葉の空しさ。体験とは実験ではない。それは人為的にひき起こすこともできぬ。ひとはただ、それに服するのみだ。それは体験というより、むしろ忍耐だ。ぼくらは我慢する−−よいうよりむしろ堪え忍ぶのだ。 あらゆる実践。ひとたび経験を積むと、…
- 知覚のなかに、ひとつの世界が与えられる。音や色や言葉は、それがなんらかのかたちで覆っている対象を指示している。音はある対象の立てる物音であり、色は個体の表面に付着しており、言葉は意味を宿し対象に名を付ける。そして知覚は、その客観的意味を…
- 永遠の哲学 哲学は単純で生きた思想の形態においては、あらゆる人間を、否、子供さえをも、感動させるものであるにもかかわらず、哲学を意識的に完成することは一つの課題であって、しかもそれはけっして完結することなく、たえず繰返され、一個の現在的な…
- 私が知っている短い期間でも、「良い趣味」という旗印の下に男性の髪や髭がいろいろと変化するのを見てきた。男がテーラーの喜劇に出てくる、あの滑稽なダンドリアリ卿のように長い頬髯を生やすのが流行した時があった。その次には、「マトン・チョップ」…
- かうした事情は西洋の先進国とまつたく反対です。そこでは錦の御旗はつねに保守派にあつた。革新派はひよつとすると追放されるかもしれません。危険を冒しながら革新をやらうとしてゐるのだ、さういう意識が革新家自身を暗〃裡に支配してゐました。進歩と…
- 前に我々が直ぐにヨオロッパというものと結び付けるのが政治と科学であると書いたが、その政治と科学が今日の我々が知っている形をとったのは確かに十九世紀に入ってからのヨオロッパだった。我々にとっての政治は何かの意味での代議制度とそれに附随する…
- 日本の知識人が好む表現の一つに〈××の終焉〉というのがある。昨今はそれが特に著しい。曰く、欧米の思想家の口真似でしかない〈歴史の終焉〉、〈人間の終焉〉、〈自然の終焉〉、そして一九八九年のちゅうごくの天安門事件やベルリンの壁の撤去、東欧・ソ…
鶏もも肉、乃至はむね肉をテキトーな大きさに切って、タマネギと一緒に豚生姜焼きをつくるように炒めてみましょう。生姜焼きのタレは市販のものでもかまいません。 ただし、生姜はチューブで結構ですので少し多めに、そしてつゆも少し多めに「鶏」生姜焼きを…
- 非情な問い 私はテレビが大好きだ。テレビを見ていると勉強も仕事も捗らないことは重々、わかっているけれども、やっぱり家にいる時はチャンネルをまわしてしまう。 朝食の時は、さいわい勤めをしていない身なので各局のモーニング・ショーを見る。夜には…
- 門前の小僧習わぬ経を読むという歌留多を読んで、孟子の母は三度その居を移したという。村の有志家は何時でも、ソンナものを学校の近所に置いては学生のためにならないといって、遊郭や兵営や、待合や芸妓屋の設置に反対する。人は到底環境の支配を免れ得…
『大辞泉』によると「七不思議」とは「ある地域で不思議な現象としている七つの事柄。自然現象に関するものが多い。『麻布の―』」ということらしいのですが、地域や自然現象に関するものでなくても「七不思議」というものはどうやら存在するようです。そのひ…
- 民族はいかにして形成されるか。この問いに対する「出エジプト記」の答に曖昧なところはない。歴史的には国家が民族に先行し、民族なるものは国家の鋳型の中で成長してくる。民族という存在は国家による民衆の強制的な訓練や教育の予期せぬ所産である。民…
- After You've Gone (Henry Creamer/ Turner Layton) After you've gone and left me crying After you've gone there's no denying You'll feel blue, You'll feel sad You'll miss the dearest pal you've ever had There'll come a time, now don't forg…
- 梅が枝に きゐるうぐひす 春かけて 鳴けども今だ 雪は降りつつ 読人知らず −−「巻一 春歌上 005」、佐伯梅友校注『古今和歌集』岩波文庫、1981年。 - 2月14日、東京は大雪。大変なことが招来されることは承知の助なれど、やはり冬は雪がふると様になり…
- 反射鏡 大逆事件100年と「検察の暴走」 論説委員 伊藤正志 明治天皇の暗殺を計画したとして、幸徳秋水ら社会主義者、無政府主義者24人に死刑が言い渡され、12人の刑が執行されたのは1911年1月のことだ。 日本近代史の暗部とも評される「大逆事件」から今…
- 文明はわれわれをそこない、迷わせる。それはわれわれを他人およびわれわれ自身にたいする重荷と化せしめ、怠惰な、無益な、気まぐれな人間とする。それはわれわれを風変わりの状態から放蕩にまでおしやる。われわれの財産、心、青春を惜しみなく浪費させ…
- 人間は一人一人にちがつた肉体と、ちがつた神経とをもつて居る。我のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。 人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。 原始以来、神は幾億万人といふ人間を造つた。…
- 新しい国家生活において最も必要な具体的な政策とは何か――。吉野によれば即ちそれは「人間の能力を自由に開展さすること」にほかならない。吉野はこの政策を総称して「デモクラシー」ないしは「民本主義」と定義する。そしてそれは「純政治的要求」と「社…
- 一五七 この世界の事物は、絶えず流れているので、同じ状態に止っているものは全くない。そこで、人民も、冨も、商業も、権力も、その位置を変え、繁栄した強大な都市は亡び、時を経て、人に捨てられた、寂しい土地となるとともに、他方、他の、人の訪れぬ…
- そのほかに大酒したのは、太平洋戦争中に、私の出征がせまり、これも名古屋で、何年かぶりで父と会い、大須の宿屋の二階で、やはり三升ほどのんだことがある。酒は、父が工面してきてくれた。 このとき、父から、 「お前さんが四つのとき、台所にあった一…