覚え書:「自由、平等こそ「明治の精神」 維新150年、苅部直・東京大学教授に聞く」、『朝日新聞』2017年12月27日(水)付。


        • -

自由、平等こそ「明治の精神」 維新150年、苅部直東京大学教授に聞く
2017年12月27日

写真・図版
苅部直東京大学教授

 来年が明治元年(1868年)から150年にあたることで、政府は記念施策の準備を進めている。施策の目的とされるのは「明治の精神」に学ぶこと。「和魂洋才」などが例とされている。今、明治の何に注目すべきなのか。明治維新前後の人々の思想に詳しい苅部直(かるべただし)・東京大学教授(日本政治思想史)に聞いた。

 首相官邸のホームページは「明治150年」施策の狙いとして「明治の精神に学び、日本の強みを再認識すること」を挙げる。国のイベントに明治150年を冠したり、「明治期に活躍した若者、女性及び外国人」を取りあげて「そのよりどころとなった精神」を広報したりするという。

 今年発表した著書『「維新革命」への道』で苅部さんは、明治維新の思想的な意味に新しい光を当てた。

 なぜ維新のプロセスは、幕府から朝廷への大政奉還という政権交代だけにとどまらず、武士身分の解体にまで突き進んだのか。そして西洋の「文明」は、なぜ日本社会に定着したのか。

 苅部さんは江戸から明治にかけての知識人や商人らの記述を幅広く検討。伝統的なイメージのある儒学思想などの中から、為政者の世襲や身分制秩序を批判する思考がくみ上げられ、江戸後期の日本社会に浸透していく道筋を探り出した。

 「江戸期の終盤、日本列島には、身分支配への批判が充満していたと私は見ます。生家に恵まれるかどうかで人生が決まってしまうことへの不満でした」

 そこへ、西洋近代に関する情報が入ってきた。

 「西洋には、より自由・平等で福祉の整った社会があった。人々は徳川時代に培われていた価値観に基づいて、人間の生きる社会としてまっとうな面が西洋諸国の中にあると評価し、自分たちもそうなりたいと願った。だからこそ文明開化は日本社会に定着した」

 明治期の事件として、武士が世襲によって統治を担う体制が終わった廃藩置県(1871年)を重視するよう勧める。「武士身分の解体を象徴する事件だからです」。もちろん、廃藩置県で「生まれや育ちに縛られない社会」が一気に実現したわけではない。苅部さんは「150年間」の折り返し地点にも注目を促す。今から約70年前、「戦後」改革の中で進められた財閥解体と農地解放(改革)だ。

 「人々を縛りから解放するという点で、廃藩置県と共通性のある動きです。150年を振り返るのなら、戦前と戦後を貫く流れにも目配りした方がいい」

 政府が今「明治の精神」や「日本の強み」を掲げる背景には何があるのか。

 グローバル化が加速し、頼みだった経済力で中国に抜かれる中、保守派の中に「日本の精神の軸が失われてしまう」との危機感があると苅部さんは語る。何を指すかが不明確な「明治の精神」という言葉でひそかに目指されているのはナショナリズムの高揚だろう、とも。

 他方、政府自身が「明治の精神」として掲げるポイントは、機会の平等、チャレンジ精神、和魂洋才だ。一般に和魂洋才とは、思想や道徳を含めた総体としてではなく、技術的な面に限って西洋文化を受容しようとする精神態度だとされる。

 「技術は採り入れたがモラルの根本は失わなかったと言いたいのでしょう。しかし実際には人々は、西洋の才だけでなく魂にも価値を見いだしていた。和魂洋才という言葉は、その事実を見えにくくさせてしまう」

 誰もが生まれや育ちに関係なく仕事を選べ、努力をすれば社会的地位を上昇させられる社会に近づくこと。それは人類普遍の願いだ、と苅部さんは言う。

 「維新期の人々は、国境で仕切られた文化の違いを超えて共有される、人類の普遍的な価値を追求した。グローバル化の現代に教訓とすべきは、そうした精神の働きなのでは」(編集委員塩倉裕

 ■「明治150年」の歩み

 <1867年> 大政奉還王政復古の大号令

 <1868年> 明治元年/五箇条の誓文

 <1871年> 廃藩置県

 <1890年> 大日本帝国憲法施行

 <1905年> 日露戦争に勝利

 <1945年> 敗戦/財閥解体、農地改革始まる

 <1947年> 日本国憲法施行

 <2018年> 政府が「明治150年」記念施策(予定)

    −−「自由、平等こそ「明治の精神」 維新150年、苅部直東京大学教授に聞く」、『朝日新聞』2017年12月27日(水)付。

        • -


自由、平等こそ「明治の精神」 維新150年、苅部直・東京大学教授に聞く:朝日新聞デジタル