はじめに……
アカデミズム底辺で生きる流しのヘタレ神学研究者・氏家法雄による神學、宗教學、倫理學、哲學の噺とか、人の生と世の中を解釈する。思想と現実の対話。
2010年11月25日より「はてな」に雑文を移項いたしますので、今後ともどうぞ宜しくお願いします。
ついでですのでひとつ。
絶賛求職ちう。
過去(2007年8月28日〜2010年11月24日)の雑文は以下のURLより閲覧できます。
引っ越しがうまくいけばこちらへ完全移行の予定。
当分はココログと併用いたします。
氏家法雄のブクログは以下のURLから閲覧できます。
ujikenorioの本棚 (ujikenorio) - ブクログ
覚え書:「折々のことば:978 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年12月31日(日)付。
-
-
-
- -
-
-
折々のことば:978 鷲田清一
2017年12月31日
うたかたの仮の浮世の、はかない人間の一生を、何に託してみたところで、大なる差違はない
(江戸川乱歩)
◇
探偵小説のパイオニアは、「誰も面白がらない」ものをと、探偵小説と同性愛文献を蒐集(しゅうしゅう)してきた。何百とある和綴(と)じのものは、本ごとに桐箱(きりばこ)か手製の厚紙の箱に収めた。生来ずぼらな自分が柄になくここまで几帳面になれたのは、それがあくまで「遊戯としての執着」にすぎなかったからだと、醒めた物言いをする。随想「私の蒐集癖」から。
−−「折々のことば:978 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年12月31日(日)付。
-
-
-
- -
-
-
覚え書:「後藤正文の朝からロック 「本当の日本」を書き記す」、『朝日新聞』2017年12月27日(水)付。
-
-
-
- -
-
-
後藤正文の朝からロック 「本当の日本」を書き記す
2017年12月27日
写真・図版
アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さん
今年の夏に、ロック雑誌で連載していた短編小説をまとめて、『YOROZU〜妄想の民俗史〜』という本を作った。
ロックと民俗史がどうつながるのかという疑問を持つ人が多いと思うけれど、教科書に載ることの少ない庶民の歴史と、ロックなどの大衆音楽には共通項があるのではないかと感じる。
民俗史について書いログイン前の続きてみようと思ったのは、網野善彦や宮本常一らの著書を読むようになったことがきっかけだった。
学校の社会科や日本史の授業で取り上げられるのは、権力者についての歴史であることが多い。
歴史資料も同じように、権力者についての古文書はたくさん残っているけれど、庶民の風習や文化については、あまり文献が残されていないそうだ。
ところが、そうした少ない文献を元に編まれた民俗史の本を読むと、僕たちが学校で教わった「日本」がガラガラと崩れるような、本当の「日本」の端っこに触れたような気分になる。
教科書に書かれた太文字の見出しや年号の後ろには、書き残されなかった庶民の歴史が無言のまま、堆(うずたか)く積みあがっている。
前線で命を落とした名もなき足軽の思いは、想像する以外に方法がない。今を生きる市民の思いも、書かなければ消えてしまう。
歴史小説の執筆は、書き記すことの政治性について考える機会でもあった。(ミュージシャン)
ーー「後藤正文の朝からロック 「本当の日本」を書き記す」、『朝日新聞』2017年12月27日(水)付。
-
-
-
- -
-
-
(後藤正文の朝からロック)「本当の日本」を書き記す:朝日新聞デジタル
覚え書:「自由、平等こそ「明治の精神」 維新150年、苅部直・東京大学教授に聞く」、『朝日新聞』2017年12月27日(水)付。
-
-
-
- -
-
-
自由、平等こそ「明治の精神」 維新150年、苅部直・東京大学教授に聞く
2017年12月27日
写真・図版
苅部直・東京大学教授
来年が明治元年(1868年)から150年にあたることで、政府は記念施策の準備を進めている。施策の目的とされるのは「明治の精神」に学ぶこと。「和魂洋才」などが例とされている。今、明治の何に注目すべきなのか。明治維新前後の人々の思想に詳しい苅部直(かるべただし)・東京大学教授(日本政治思想史)に聞いた。
首相官邸のホームページは「明治150年」施策の狙いとして「明治の精神に学び、日本の強みを再認識すること」を挙げる。国のイベントに明治150年を冠したり、「明治期に活躍した若者、女性及び外国人」を取りあげて「そのよりどころとなった精神」を広報したりするという。
今年発表した著書『「維新革命」への道』で苅部さんは、明治維新の思想的な意味に新しい光を当てた。
なぜ維新のプロセスは、幕府から朝廷への大政奉還という政権交代だけにとどまらず、武士身分の解体にまで突き進んだのか。そして西洋の「文明」は、なぜ日本社会に定着したのか。
苅部さんは江戸から明治にかけての知識人や商人らの記述を幅広く検討。伝統的なイメージのある儒学思想などの中から、為政者の世襲や身分制秩序を批判する思考がくみ上げられ、江戸後期の日本社会に浸透していく道筋を探り出した。
「江戸期の終盤、日本列島には、身分支配への批判が充満していたと私は見ます。生家に恵まれるかどうかで人生が決まってしまうことへの不満でした」
そこへ、西洋近代に関する情報が入ってきた。
「西洋には、より自由・平等で福祉の整った社会があった。人々は徳川時代に培われていた価値観に基づいて、人間の生きる社会としてまっとうな面が西洋諸国の中にあると評価し、自分たちもそうなりたいと願った。だからこそ文明開化は日本社会に定着した」
明治期の事件として、武士が世襲によって統治を担う体制が終わった廃藩置県(1871年)を重視するよう勧める。「武士身分の解体を象徴する事件だからです」。もちろん、廃藩置県で「生まれや育ちに縛られない社会」が一気に実現したわけではない。苅部さんは「150年間」の折り返し地点にも注目を促す。今から約70年前、「戦後」改革の中で進められた財閥解体と農地解放(改革)だ。
「人々を縛りから解放するという点で、廃藩置県と共通性のある動きです。150年を振り返るのなら、戦前と戦後を貫く流れにも目配りした方がいい」
政府が今「明治の精神」や「日本の強み」を掲げる背景には何があるのか。
グローバル化が加速し、頼みだった経済力で中国に抜かれる中、保守派の中に「日本の精神の軸が失われてしまう」との危機感があると苅部さんは語る。何を指すかが不明確な「明治の精神」という言葉でひそかに目指されているのはナショナリズムの高揚だろう、とも。
他方、政府自身が「明治の精神」として掲げるポイントは、機会の平等、チャレンジ精神、和魂洋才だ。一般に和魂洋才とは、思想や道徳を含めた総体としてではなく、技術的な面に限って西洋文化を受容しようとする精神態度だとされる。
「技術は採り入れたがモラルの根本は失わなかったと言いたいのでしょう。しかし実際には人々は、西洋の才だけでなく魂にも価値を見いだしていた。和魂洋才という言葉は、その事実を見えにくくさせてしまう」
誰もが生まれや育ちに関係なく仕事を選べ、努力をすれば社会的地位を上昇させられる社会に近づくこと。それは人類普遍の願いだ、と苅部さんは言う。
「維新期の人々は、国境で仕切られた文化の違いを超えて共有される、人類の普遍的な価値を追求した。グローバル化の現代に教訓とすべきは、そうした精神の働きなのでは」(編集委員・塩倉裕)
■「明治150年」の歩み
<1868年> 明治元年/五箇条の誓文
<1871年> 廃藩置県
<1890年> 大日本帝国憲法施行
<1905年> 日露戦争に勝利
<1945年> 敗戦/財閥解体、農地改革始まる
<1947年> 日本国憲法施行
<2018年> 政府が「明治150年」記念施策(予定)
−−「自由、平等こそ「明治の精神」 維新150年、苅部直・東京大学教授に聞く」、『朝日新聞』2017年12月27日(水)付。
-
-
-
- -
-
-
自由、平等こそ「明治の精神」 維新150年、苅部直・東京大学教授に聞く:朝日新聞デジタル
日記:ジョン・ロック(下川潔訳)『知性の正しい導き方』ちくま学芸文庫
「人間が自分自身を導くにあたって最終的に頼ることができるのは、自分の知性です」。ジョン・ロック(下川潔訳)『知性の正しい導き方』ちくま学芸文庫。人間の自由と自主独立を徹底的に考察し、その論理的導き方を説いたジョン・ロック晩年の名著。本書は自分の頭で考えるための教科書といっても過言ではない。
人間の人間らしさの一つが知性だが、外部の権威と内部の偏見や情念に流され易いのも事実である。だからこそ各人が知性を自主独立させ(知性の自由)、真理の探求のために知性を導いていかなければらない。本書は一般向けに書かれたもので、「指導」とはおよそ対極にある「知性」の自立促す良書である。
20節は読書論。ここだけでも拾い読みして欲しい。
「読書は心に知識の素材を提供するだけであり、思考こそが、私たちが読んだものを自分のものにします。私たちは反芻する動物であり、堆積した大きな塊を詰め込むだけでは十分ではありません。何度も噛みなおさなければ、そこから力や栄養を得ることはできません」。
コンビニエンスな時代だからこそ、若い人には一冊の名著と徹底的に格闘する暇を作って欲しい。「最初の困難が克服されると、この方法は喜びをもたらし、その有益さは肌で感じられるようになりますから、心は力強い激励を受け、活性化され、読書にいそしむようになります」。
覚え書:「折々のことば:977 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年12月30日(土)付。
覚え書:「社説 水俣病の認定 公平中立を裏切る漏洩」、『朝日新聞』2017年12月27日(水)付。
-
-
-
- -
-
-
社説 水俣病の認定 公平中立を裏切る漏洩
2017年12月27日
被害者に真摯(しんし)に向きあおうとしない水俣病行政の一端が、明らかになったと見るべきだ。
水俣病と認定されなかった男性の不服申し立てを受けた国の審査会側から、裁決の見通しが環境省側に漏れていたことが、朝日新聞の取材でわかった。
審査会は公害健康被害補償法にもとづき、独立して審査にあたる機関だ。委員の選任には国会の同意が必要で、身分は法律で手厚く保障されている。
その機関が関係する当事者に判断内容を事前に漏らしては、公平性も中立性も期待できない。審査会は大気汚染や石綿被害などについても、個別の認定や補償の当否をチェックする任務を負う。環境行政全般に対する信頼は大きく傷ついた。
きのうの会見で「そういう事実は現時点では確認できなかった」と述べるだけで、詳しい説明を拒んだ。このまま年末年始の休みに入り、うやむやにしようという考えか。審査会の佐脇浩会長が、繰り返しの取材申し込みに一切答えないのも、無責任のそしりを免れまい。
記録によると漏洩(ろうえい)があったのは15年1月。当時、水俣病の認定行政は微妙な段階にあった。
13年春、最高裁が国の基準よりも幅広く患者と認めて救済する判決を言い渡し、審査会もそこで示された考え方を追認。環境省は14年春に要件を一部改めた「通知」を出した。
だがこの通知は、最高裁判決を踏まえたように見せながら、実際は認定のハードルを下げない内容で、患者団体や専門家から厳しい批判が寄せられた。
審査会の次の裁決が、最高裁判決と通知のどちらに沿った判断になるのか、注目が集まるなかで情報漏れがあった。
また、この時までに環境省側から審査会委員への「説明」がたびたび行われたことや、漏洩直後に森本英香官房長(現事務次官)が、熊本県の蒲島郁夫知事に会い、「(裁決は)通知の考え方は踏まえた形にしてくれる。会長が内々に言っている」と伝えたことも、今回の取材で明らかになっている。
水俣病をめぐる混乱は一向に収束せず、最近も新潟水俣病訴訟で、原告9人全員を患者と認定する東京高裁判決が言い渡された。根本にあるのは、司法から何度となく問題を指摘されながら、認定のあり方を改めない行政のかたくなな態度だ。
今も2千人が患者と認めるよう声を上げ、1500人が裁判を続けている。この現実を、政府は直視しなければならない。
ーー「社説 水俣病の認定 公平中立を裏切る漏洩」、『朝日新聞』2017年12月27日(水)付。
-
-
-
- -
-
-
(社説)水俣病の認定 公平中立を裏切る漏洩:朝日新聞デジタル