2011-03-01から1ヶ月間の記事一覧
- ひとたび教育学が、その妥当な範囲をふみこえて、経験にとって代わろうとし、教師が機械的に適用さえすればよいレディーメイドの処方箋を定めようとすれば、それはまったく勝手なでっちあげに堕してしまう。だが他方、経験が教育学的反省をまったく無視し…
千葉の短大へ新年度の学事説明会議へ出席。その折りの数ショット。1.JR西船橋駅 節電のため、仄暗い構内。 2.大学のエレベーターは停止。 節電と計画停電での事故を避けるため。 3.(自宅近所ですが)茶番の都知事選、オオモノ候補のポスターがだい…
- 人間の生命は幸福への志向であり、その志向するものは人間に与えられているのである。死や苦しみという形であらわれる悪が人間に見えるのは、人間が自分の肉体的な動物的生存を自己の生命の法則と思いこむ場合だけである。人間が、人間でありながら、同b…
- ……然らば即ち何事を指して文明と名るや。いわく、文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするをいうなり、衣食を穣(ゆたか)にして人品を貴くするをいうなり。あるいは身の安楽のみを以て文明といわんか。人生の目的は衣食のみにあらず。もし衣食のみを以…
2008年9月にココログのほうで書いたものですが再掲しておきます。 - 希望がもてるのは、一般の人たちが専門家よりも幅広い見方と「人間らしい」考え方をとりうることが多いことである。現在、彼らはややも無力を思い知らされているが、彼らの力は新しい行動…
- 青年に薦めたい 内村鑑三『後世への最大遺物』 鈴木範久 失意の其処で読み、希望を胸に再起日蓮を最初に世界へ紹介 内村鑑三は、日蓮の人と思想を最初に海外に紹介した人物である。1894年(明治27年)に刊行した英文『代表的日本人』(原題 Japan and …
- 人間がほとんど品物のように見なされ、土地に所属して土地財産の一部を構成し、土地とともにに売り買いされている国において、財産にたいする、偶像崇拝的な観念がすこぶるわずかしか発達していないことは一見すると奇妙なことに思われるかもしれない。わ…
- われわれは地球が丸いということに満足している(二九九)。 −−ウィトゲンシュタイン(黒田亘訳)「確実性の問題」、『ウィトゲンシュタイン全集9』大修館書店、1975年、76頁。 - 政府と東電の発表しかソースが基本的にないから、その数値がどうなのか自…
- 21世紀型ファシズムの始まり 菅氏の行動原理を間近で見てきた菅伸子氏はこう述べる。 歴史小説がほとんど。ですから、菅を「情」で説得してもダメ。理屈で説得されるほうが納得する人です。でも、一般的に女は情でなければ口説けません。だから、女性に…
- フランスの監獄から逃げ出すことは非常にむずかしい。しかるに一囚人が、一八八四年か一八八五年かに、あるフランスの監獄から逃げ出した。非常線が張られて、それに近所の百姓どもまでが捜索に出たが、その囚人はうまく一日蔭れていた。そして翌朝は、小…
[東日本大震災の記録]3月23日。23日、東京都水道局は23日、金町浄水場(葛飾区)から乳児の飲用に適さない濃度の放射性ヨウ素が検出されたことを受け、水道水を乳児の飲用や調乳に使用しないようにと発表。それを受けて、「水」完売。商業施設のネ…
- 高度に発達した豊かな西洋の福祉国家においては、今や二つの問題が生じている。すなわち一方では、「日々のパン」をめぐる争いで、それは他のすべての問題を隅に追いやるほどの重要性と緊急度はない(二十世紀前半あるいは飢餓に脅かされている第三世界と…
- 生即ち浄福である、と私は云つた。それ以外ではあり得ない。何となれば、生は愛であり、生の形式と力とは愛の中に存し、愛より発生するからである。−−かく云ふことによつて私は認識の最高の命題の一つを陳べたのである。但し此の命題は、眞に懸命に集中さ…
- 七二一 〔三四〇〕(524-25) 権力への無能力。この無能力がよそおう偽善と聡明さが、服従(隷属、義務の矜持、道義心・・・)にほかならない。恭順、献身、愛(代償や間接的な自己の引き立てとしての命令者の理想化、神格化)にほかならない。宿命論、諦…
- おお、つねに生きつつ、つねに死につつ おお、つねに生きつつ、つねに死につつ、 おお、過去と現在のわたしの埋葬、 おお、現身(うつしみ)のまま、目に見える姿で、今も変わらず傲慢不遜で、大股で進んでいくわたしの、 おお、今は死んだわたし、かつて…
東日本大震災の記録。灯油売り切れ。 ガソリンをもとめてガソリンスタンドまで渋滞。3月19日。 ⇒ ココログ版 [東日本大震災の記録]3月19日。: Essais d'herméneutique
- 今の世の中はどこかおかしいと、誰もが感じています。政治家もおかしい。経営者もおかしい。役人もおかしい。子供たちもおかしい。どこをどう改革するべきか議論も盛んです。それはそれで大いに必要でしょう。 しかし、社会といっても結局は一人一人の人間…
- そこで我々は、わかり切った日常の事実として、我々が常に何らかの資格において動いていること、その資格は何らかの全体的なるものに規定せられていること、しかもその全体的なるものは一定の資格における我々が作り出すところの間柄であること、などを確…
- そうだ、私は自分の感覚の門を決して閉ざすまい。見たり聞いたり触れたりする歓喜はあなたの歓喜を伝えるであろう。 そうだ、私の幻想はみな燃えて歓喜の照明となって輝き、私の欲求はみな熟して愛の果実となるであろう。 −−渡辺照宏訳『タゴール詩集』岩…
卒業される皆様へ卒業式の中止には驚いております。言葉が出ないのが正直なところですが、言葉は人間を生かすものでもあれば人間を殺すものでもあります。決して「中止」という「言葉」に圧倒されないで欲しい。 それよりも「中止」という言葉から人間を「生…
- 人を恐怖させるのではなく、畏怖させるようなものを、どこに探し求めたらよいのか。この問いは簡単に片付くとは考えられない。それが人間の内心の事柄にかかわっているからで、今日では内面世界の事柄は多くの人々にとってすでに飽きのきた、改めてかかわ…
- ルソーは文明よりも未開の状態が望ましいと語ったが、われわれ人類がこれから登りつめようとしている最後の段階を見逃すならば、これはそれほど間違っていたわけではない。われわれは芸術と科学の力のおかげで高度の文化を所有している。あらゆる種類の社…
- 接触もなく、媒介者もいなくて、いろいろな結果を生みだす可能性が、もし呪術だとすれば、あらゆる権力は、現に生きている呪術だと言ってよいだろう。そこでは事物は、すっかりまたたちまち柔軟なものになってしまう。ところで事物そのものは、別に従順と…
- ところでまったく強制だけによる権力といったものはない。どんなときでも、同意というものがたいせつである。交差点で警官が白い棒を挙げたとする。この場合、車の列を止めたのは、なんだろうか。あきらかに、警官の物理的な力ではない。それならばある必…
昨夜、少しツィートした内容で恐縮ですが、やっぱり大事だと思うので、ブログの方にものこしておきます。自然災害は、まさに「天災」ですから防ぎようがありません。だから、この大地のひとびとは、その情況をうけとめ、ほかのひとと手を取り合いながら、前…
- うわさの渦中の友人には、問いただせ。彼は何もしていなかったのかもしれない。何かしていても二度とはしなくなるだろう。 うわさの渦中の隣人には、問いただせ。彼は何も言わなかったのかもしれない。何か言っていても、二度とは言わないだろう。 うわさ…
- 三月十一日 生活を(肉体的生活をも)、十分健康で力強いものにしたければ、生活に喜びがなくてはならない。だから、なんらかの正しい喜びを持つようにしなさい。けれども、あなたが賢明であるなら、永続的な、つねに得られる喜びを、決して不正でない、つ…
- 寛容こそ、人々をその住地に定着させ、各々の職分において多くのことを達成せしめるために必要な条件である。宗教的迫害行為に赴き易い教条主義や不寛容主義は、国家をしてその住民を根絶させ、貧困ならしめ、かつ無秩序の状態を現出せしめるにいたるであ…
- 奴隷制の一定の黙認が正当化されているか、あるいは多分それよりはましであろうが、その弁明の理由があるという状態を検討してみるならば、これらの状態がかなり特殊な種類のものであることがわかる。おそらく、奴隷制は過去から受け継いだものとして存在…
- それゆえ、真の幸福は徳のなかに存している。この徳は君に何を勧めるであろうか。それは第一に、徳にも悪徳にも関係のないものを善とも悪とも考えてはならない、ということである。次に、悪に対抗するためにも善に従うためにも確固として立ち、それによっ…