日記:社会や政府が負うべき責任が個人の責任へとすり替えられてはいけない。


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 筆者自身、トイレ、入浴、着がえ、身支度、仕事など、生活のあらゆる場面において、二四時間介助者の支援を受け続けることなしには、立ち行かない暮らしをしている。そのような状況では、介助者との関係は潜在的に緊張感をはらんだものとなる。介助者は人間であるから、当然、機嫌の悪いときもあれば、思わず暴力的な言動をしてしまうようなこともあるだろう。そのようなときに、我々障害者が、人権を侵害されることのない暮らしを営むには、どうすればよいのか。
 障害者運動が出した答えの一つは、「不特定多数に依存先を分散する」という戦略だった。家族にしか介助を頼めなければ、家族に暴力を振るわれたときに逃げられなくなる。施設にしか介助が得られなければ、施設内の暴力から逃げられない。地域全体、日本全体、世界中から介助者を調達できる仕組みを実現することは、重度障害者にとって死活問題なのだ。
(中略)
 確かに、依存先を広げられるか否かに関して、個人の身体的・社会経済的・経験的な諸条件の差異が影響することは間違いない。しかし同時に、「依存先を分散すべきだ」という主張の宛先が、個人ではなく、社会や政府であるという点を強調しなくてはならない。依存先を分散する責任は個人に課せられるのではなく、個人はこれを権利として持つべきであって、その責任は政府が負うものであると私は考えている。
    −−熊谷晋一郎「宛先はどこなのか」、岩波書店編集部『私にとっての憲法岩波書店、2017年、94−96頁。

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私にとっての憲法
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岩波書店
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覚え書:「書評:ポピュリズムと「民意」の政治学 3・11以後の民主主義 木下ちがや 著」、『東京新聞』2017年10月01日(日)付。

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ポピュリズムと「民意」の政治学 3・11以後の民主主義 木下ちがや 著

2017年10月1日

◆同質化に抗う運動に未来
[評者]田仲康博=国際基督教大教授
 「ポピュリズム」という言葉には、どこかネガティブな響きがつきまとう。ヨーロッパで極右政党が台頭し、アメリカではトランプ政権が誕生して以降、それは概(おおむ)ね民主主義の衰退を表すキーワードとして使われてきた。そこにあるのは思考停止のままデマゴーグに付き従う無力な大衆のイメージだが、本書の新しさはもう一つの「ポピュリズム」に光をあてたことにある。
 本書は、個々人の自発的な意思にもとづいた「直接行動的社会運動」としてポピュリズムを位置づける。著者によると、いま世界の各地で起きている運動は、既存の政治勢力や党派による動員ではなく、各自それぞれの思いを抱いて自発的に集まり、ともに声を上げるという点において、これまでの大衆行動とは一線を画する。
 もともと国民を統合する原理をもたない新自由主義は、特定の層への富の集中をめざすために、新保守主義を味方につけて国民を説得する手段に訴える。運動する側としては、新自由主義による社会の「分裂」に抗(あらが)いつつ、同時に新保守主義がめざす社会の「同質性」にも対抗する必要があるわけだ。
 著者は、自律を指向することがそのまま国家の側に引き寄せられてしまう危険があることを指摘する。「同質性」の罠(わな)に搦(から)め捕られないためには、したがって運動もまた変化を強いられる。興味深いのは、著者が「予測不能で、非決定的で、偶然的なままである」未来においては、個々人の「自由の領域」が広がると考えていることだ。
 二〇一一年の震災と原発事故はこの国の政治と社会を攪乱(かくらん)した。旧態依然とした「秩序」に対抗する運動が、縦(過去の運動の記憶と経験)と横(他の地域の運動)につながり、人びとの間に民主主義的経験を蓄積させてきた。「分散的」かつ「ネットワーク型」の運動は空間を占有し、自らを「可視化」することで、「民意」をまとめ上げていく。本書が描き出す希望の源泉はあくまでも運動の現場にある。
(大月書店・2592円)
<きのした・ちがや> 1971年生まれ。政治学者。著書『国家と治安』など。
◆もう1冊
 水島治郎著『ポピュリズムとは何か』(中公新書)。南北アメリカ、西欧から日本まで、世界各地の現状を分析し、その本質に迫る。
    −−「書評:ポピュリズムと「民意」の政治学 3・11以後の民主主義 木下ちがや 著」、『東京新聞』2017年10月01日(日)付。

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覚え書:「【書く人】はしごで深まる学問 『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』 編著者 首都大東京教授・谷口功一さん(44)」、『東京新聞』2017年10月08日(日)付。

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【書く人】

はしごで深まる学問 『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』 編著者 首都大東京教授・谷口功一さん(44)

2017年10月8日


 どんな地方でも、夜のちまたにそのネオン看板はきっとある。行ったことがなくとも、見たことがない人はいないだろう。ところがこれまでは全国に何軒あるのかさえ不明だった。そんなスナックの「本邦初の学術的研究本」である。
 大分・別府の生まれ。自営業の父が地域の会合で出かけていたのがスナックだった。三十歳を過ぎて自分も通うようになり、ふと疑問に思った。「お酒を飲むところなのにどうしてスナック(軽食)なんだろう」
 調べてみたが分からない。そもそも関連の本自体がほとんどない。「それなら自分でと。学者だからやっぱり調べちゃうんですね」。専門は法哲学。傍ら、二〇一五年には知り合いの学者九人に声をかけ「スナック研究会」を結成。サントリー文化財団の助成を受け研究を進めた。
 月に一度の会合は行き着けの店で。メンバーは政治学行政学、政治思想史など一線の学者だが、スナック愛好家というわけではなかった。その様は本書「序章」の言葉を借りれば、「一流アスリートを集めて、まだ誰もやったことのない競技のルールを口頭で説明し、おのおの理解した限りの自己流で、その競技をやってみ(る)」。時にママの助言を受けながらできあがった一冊は「ここまで調べるかという本になった」。
 「スナック」が生まれたのは一九六四年東京五輪のころだった。世界的イベントを前に、酒だけを出す深夜営業の店は規制の対象に。対抗策として「軽食」を出すことで「スナックバー」を名乗るようになったのが始まりらしい。その数は全国約十万軒。「田舎ではスナックが多いほど犯罪が少ない」という興味深いデータも明らかになった。
 スナックは酒を飲むだけの場所ではない。カウンターにママがいて、そう広くない店内で客同士肩寄せ合う。飲めない人でも楽しいのは、年齢や職業を超えたおしゃべりがあるからだ。「ぐたぐだでもみんなで集まって、何だかよく分からないけど話し合って合意したりする。イギリスのコーヒーハウスとも違う、日本独自のコミュニティーの場じゃないでしょうか」
 本書を学術書と強調したのには訳がある。「スナックとはこんな立派な研究の対象になるんだと誇りたかったんです」。研究を兼ね、出張の際は一晩で三軒のはしごを自らに課す。余技のつもりはない。二冊目の準備も進めている。白水社・二〇五二円。 (森本智之)
    −−「【書く人】はしごで深まる学問 『日本の夜の公共圏 スナック研究序説』 編著者 首都大東京教授・谷口功一さん(44)」、『東京新聞』2017年10月08日(日)付。

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日本の夜の公共圏:スナック研究序説
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覚え書:「【東京エンタメ堂書店】宮崎駿監督の絵だから…ジャケ買い!」、『東京新聞』2017年11月06日(月)付。

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【東京エンタメ堂書店】

宮崎駿監督の絵だから…ジャケ買い

2017年11月6日


 本って表紙を見て、つい手に取ってしまうことありませんか。思わぬ有名人が描いているなら、なおさらです。今回は中身というより、装丁が主役の話。新作長編アニメの制作を発表した宮崎駿監督(76)が表紙絵を描いている三冊をご紹介します。 (運動部長・谷野哲郎)
ナウシカみたい!?

 「ジャケ買い」という言葉をご存じですか? CDやDVDをパッケージ(ジャケット)のデザインで買うことを言うのですが、筆者は本でもたまにジャケ買いします。<1>『惑星カレスの魔女』(ジェイムズ・H・シュミッツ著、創元SF文庫、九五〇円)もその一つ。宮崎駿さんのイラストに惹(ひ)かれました。
 主人公たちの宇宙船はまるで「風の谷のナウシカ」に出てくる飛空艇(ひくうてい)のよう。羽のように見える翼は「天空の城ラピュタ」のロボット兵では!? 表紙を見ているだけで想像が膨らみます。
 宇宙に人類が進出した遠い未来。宇宙船の船長パウサートはある日、惑星カレス出身の三姉妹を助けます。不思議な能力を使う彼女らは魔女と呼ばれており、銀河を巻き込む大騒動に巻き込まれることに。おてんばな魔法少女が引き起こす、古き良き時代のスペースオペラです。
◆ロマンス×推理小説

 読書家としても有名な宮崎さん。<2>『幽霊塔』(江戸川乱歩著、岩波書店、二一六〇円)は子どものころに貸本で読んだ面白さがずっと忘れられなかったという本。
 この作品は元々、英国の作家ウィリアムスンが発表した「灰色の女」をある日本人作家が翻訳し、それをさらに江戸川乱歩が書き直したものです。財宝伝説の残る古びた時計塔、左手を手袋で隠す美女。そして、起きる謎の殺人事件。ロマンスと推理小説の見事な融合といえます。
 宮崎さんはこの作品をヒントに「ルパン三世 カリオストロの城」を作ったのだそうです。読み終わると、ああ、なるほどと思えるはず。「もし、自分がこの映画を作ったなら」と添えてある絵コンテも読み応えがありました。
◆「星の王子さま」作者の傑作

 最後は、飛行機好きな宮崎さんらしい一冊。<3>『人間の土地』(サン=テグジュペリ著、新潮文庫、五九四円)は、今から九十年近く前、まともな計器も技術もない時代に命懸けで郵便飛行機を飛ばした人々の話。サン=テグジュペリというと、『星の王子さま』を連想しますが、筆者はこの作品が彼の最高傑作だと思っています。
 アルゼンチンの雪山に不時着した僚友のこと、サハラ砂漠に墜落した自身の体験談など。訳者は詩人の堀口大学氏で「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」と、死と隣り合わせの極限状態が詩のように美しく綴(つづ)られています。「紅の豚」や「風立ちぬ」にさぞ影響を与えたことでしょう。
 それにしても、宮崎さんの書籍好きには驚かされます。引退を撤回して臨む次回作のタイトルが「君たちはどう生きるか」になると明かされましたが、これは児童文学者の吉野源三郎さんの名著から取ったものとか。今からどんな内容になるのか楽しみです。
 人の趣味嗜好(しこう)というのは、意外に変わらないものです。今回はアニメ映画の巨匠を例に紹介しましたが、たまには全く別の視点で本を選んでみるのもいいのでは。読書ライフを豊かにするジャケ買い。ぜひ、お勧めします。
    −−「【東京エンタメ堂書店】宮崎駿監督の絵だから…ジャケ買い!」、『東京新聞』2017年11月06日(月)付。

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覚え書:「耕論 暴走する忖度 千宗屋さん、ヴィルヘルム・フォッセさん、金田一秀穂さん」、『朝日新聞』2017年07月07日(金)付。

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耕論 暴走する忖度 千宗屋さん、ヴィルヘルム・フォッセさん、金田一秀穂さん
2017年7月7日

グラフィック・荻野史杜

 美徳のはずが、森友学園加計学園問題で、悪役となってしまった「忖度(そんたく)」。なぜ日本人は忖度するのか。相手の気持ちを推し量ることが、なぜ暴走するのか。忖度社会を考える。

特集:「忖度」って何のこと?
 ■相手推し量る、本来は美徳 千宗屋さん(武者小路〈むしゃこうじ〉千家家元後嗣)

 相手のことを推し量る忖度は、本来、日ログイン前の続き本人の美徳です。ひだのある深い心遣いのはずで、最近の使われ方には違和感があります。

 茶の湯は、忖度の連続と言えます。この言葉をことさら使いはしませんが、互いに心を推し量り合う。江戸後期の松江藩主で茶人の松平不昧(ふまい)に「客の心になりて亭主せよ、亭主の心になりて客いたせ」という言葉があります。お互いに相手の立場に立ち、自分がされてうれしいことをしよう、と。それがお茶の極意だというのです。

 千利休にまつわる逸話を紹介しましょう。高名な茶人、津田宗及(そうぎゅう)が雪の夜、急に訪ねてきたときのことです。

 談笑していると、裏口で物音がして利休が席を立った。亭主として家の者にわざわざ名水をくみに行かせていたのです。そこで宗及は、棚から炭斗(すみとり)を出して炉の火を直した。そこに利休が水の入った釜を持って戻ってくる。本当は自分が整えるはずの火が整っている。利休は釜をかけるだけでよい。おもむろに「あなたほどの茶人を迎えてこそ湯を沸かし茶をたてるかいがあります」と言った——。

 宗及が「では火を直しておきましょう」とか言っていたら、おもしろくありません。むしろ好意の押しつけになりかねない。あえて言葉に出さず、気を働かす。すごい緊張感ですが、それで互いの心がぴたっと合うところに茶人の境地があります。

 お茶には型がありますが、必ずしも型どおりがよいわけではありません。マニュアル化できない、高度な頭脳戦、駆け引きがあります。

 気配を察するとか行間を読むとか、表れたことの間に潜んでいるものに本当の価値を見いだすのは、本来、日本人の根源的な考え方です。八百万(やおよろず)の神はどこにでもいるのです。実体のないものの大事さをみんな肌で分かっていて、あえて言わない。日本人の文化観、自然観、宗教観を貫いている感覚だと思います。

 現代はそれが弱っているのではないでしょうか。すべて明文化され、分かりやすい考え方が喜ばれる。表面的な説明に飛びつく時代です。

 森友問題や加計問題には、どういうやりとりがあったのか、よくわからない得体(えたい)のしれなさがあります。それと、忖度という耳にも目にも慣れない、でも妙に存在感のある言葉の音や文字の違和感が一致したんでしょうね。この問題とともに広まったのは、言葉にかわいそうなことです。文書が残るなんて、本来、忖度ではあり得ません。

 お茶の世界に上下関係はありません。亭主と客、そして客の間でも、お茶の前では平等です。年齢差や社会的な立場にこだわると、推し量り合いはなくなります。それは忖度ではなく、一方的なおもねりです。

 (聞き手・村上研志)

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 せんそうおく 75年生まれ。2003年、茶道三千家の一つ、武者小路千家の次期家元が名乗る「宗屋」を襲名。

 ■先回りした服従、悲劇生む ヴィルヘルム・フォッセさん(政治学者)

 ドイツには「フォラウスアイレンダー・ゲホルザム」という言葉があります。忖度と同じように、訳すのは難しいですが、直訳すれば先回りした服従という意味です。なぜ、ホロコーストのような大量虐殺が起きたのかを説明する際によく使われます。

 法律や社会のルールを守り、税金を納める。家庭では、よい息子、よい娘で、ほめられたい。周囲に波風を立てないよい隣人で、異議を唱えようとしない態度が、結果として非人道的な悲劇を生む土壌になったのです。

 日本の政治と社会の研究を30年以上してきました。日本とドイツは似ています。まじめで時間を守り、先回りして自主的に服従します。ドイツの戦後と日本の戦後もある時期までは非常に似た道をたどったと思います。ドイツ人は独裁の被害者として、新しい国の再建に全力をつくしました。保守政権が続き、ドイツ車が世界を走るようになり、1954年にはサッカーのワールドカップで西ドイツが優勝しました。

 自信を取り戻しつつあったドイツ人に大きく影響したのが、68年から世界を覆った若者の反乱でした。きっかけは米国でのベトナム反戦運動です。日本でも、日米安保体制に対する反対や大学制度を見直す運動があり、環境運動などその後の市民運動にも様々な影響を与えました。ドイツでは若者たちが、教授や親の世代が戦争中に何をしていたのかを問いただす運動に発展したのが大きな特徴でした。

 「ガウンの下の千年のホコリ」。第三帝国を「千年王国」と称したナチスとの関係が、大学教授の着るガウンの下に隠れていないか。過去を白日の下にさらそうという動きが、社会全体に大きく影響しました。

 民主的だったワイマール体制がヒトラーの台頭を許してしまったのは、制度の欠陥ではなく、民主的な思考と行動をする市民が足りなかったとの理解が広まったのです。それまで、先回りして服従するのがよい市民だとされてきた考えから、疑問を公的に発する成熟した市民になることが重要だという考えが共有され、意識が変わったのです。

 日本はそうなっていません。この意識は国の発展も左右するでしょう。

 工場で高品質の製品を大量につくるには、波風を立てず、仲間や上司の期待に応えることが役立ちます。それは日本でもドイツでも証明されてきました。

 しかし、世界は新しい価値やそれまでになかったサービスや商品を生み出す大競争の時代に入っています。摩擦や対立を恐れず、多様な意見や価値を認め合う社会的な基盤は民主主義を存続させるだけでなく、経済的な競争の側面からも、求められていると思います。

 (聞き手・池田伸壹)

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 Wilhelm Vosse 63年西ドイツ生まれ。2012年から国際基督教大学教授。英オックスフォード大学客員研究員などを歴任。

 ■「常識」失われ変な方向に 金田一秀穂さん(国語学者

 日本語には、忖度、斟酌(しんしゃく)、「あうんの呼吸」など、言語化されないコミュニケーションを表す言葉がいくつもあります。島国だからか、互いに共有する部分が大きく、言葉にせずにすむものが多い。

 忖度は、下の人が上の人の気持ちを推し量るものです。石田三成が秀吉に3杯のお茶を少しずつ温度を変えて出し、気が利くと認められたという逸話なんかがいい例ですね。下の人がやるだけではだめで、上の人がそれをきちんと感じ取ることで、忖度が成り立つわけです。

 斟酌は、相手の気持ちも含めて、非常に複雑な利害関係を調整し、落としどころを考えていくことです。だから賢くないとできない。

 日本語は状況依存型の言語です。同じ言葉でも、使われる状況や文脈で意味が変わる。「お水、いいですか」だけでは、「水をください」なのか「水はもう必要ないですか」なのかわからない。誰が誰に対して、どんな状況で言っているかがわかって、初めて意味が明確になります。

 言葉にあいまいな部分が大きいので、言語化されない状況や文脈を察するという小さな「忖度」を日常的にやっているわけです。日本語が特殊だからだ、他の言語はそんなことはないという人がいますが、自然言語はあいまいにできているのが普通です。それが成熟した言語なんですね。

 いまの政治の言葉づかいは、安倍晋三さんが典型ですが、わかりやすすぎる。あの人、国会でヤジを飛ばしますよね。ヤジというのはすごくわかりやすい。蓮舫さんも、わかりやすい言葉しか使わないから、すぐ口げんかみたいになってしまう。わかりやすい言葉で政治が語られるのには用心しなきゃいけない。トランプさんの言葉はとってもわかりやすいけれど、すごく危なっかしいでしょう。

 本来、政治家の言葉というのは、解決が難しい問題にかかわるから、あいまいになるはずなんです。安倍さんのような単純な言葉だと、白か黒かになってしまって、複雑な利害が調整できない。

 成熟した言語は、あいまいさを残すことで、複数の価値観を折り合わせるものなんですが、いまの政治の言葉は幼稚になっている。政治家はわかりやすい言葉だけで語り、マスコミはわかりやすい言葉だけを伝え、国民もわかりやすい言葉しか受け付けない。

 むしろ、いまは忖度や斟酌がやりにくい社会になっているんじゃないですか。みんなが共有する常識、コモンセンスのようなものがどんどん失われている。共通の土台がないから、変な方向に忖度をする人が出てきてしまう。

 成熟した言葉を取り戻すには、僕たち国民がもっと大人になって、土台を再建していくしかないんでしょうね。

 (聞き手 編集委員・尾沢智史)

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 きんだいちひでほ 53年生まれ。杏林大学教授。「金田一家、日本語百年のひみつ」など日本語に関する著書多数。
    −−「耕論 暴走する忖度 千宗屋さん、ヴィルヘルム・フォッセさん、金田一秀穂さん」、『朝日新聞』2017年07月07日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S13022878.html





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