覚え書:「社説 衆院選 憲法論議 国民主権の深化のために」、『朝日新聞』2017年10月16日(月)付。


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社説 衆院選 憲法論議 国民主権の深化のために
2017年10月16日

 憲法改正の是非が衆院選の焦点のひとつになっている。

 自民党希望の党などが公約に具体的な改憲項目を盛り込んだ。報道各社の情勢調査では、改憲に前向きな政党が、改憲の発議に必要な3分の2以上の議席を占める可能性がある。

 政党レベル、国会議員レベルの改憲志向は高まっている。

 同時に、忘れてはならないことがある。主権者である国民の意識とは、大きなズレがあることだ。

 ■政党と民意の落差

 民意は割れている。

 朝日新聞の今春の世論調査では、憲法を変える必要が「ない」と答えた人は50%、「ある」というのは41%だった。

 自民党は公約に、自衛隊の明記▽教育の無償化・充実強化▽緊急事態対応▽参議院の合区解消の4項目を記した。

 なかでも首相が意欲を見せるのが自衛隊の明記だ。5月の憲法記念日に構想を示し、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。メディアの党首討論で問われれば、多くの憲法学者に残る自衛隊違憲論を拭いたいと語る。

 一方で首相は、街頭演説では改憲を口にしない。訴えるのはもっぱら北朝鮮情勢やアベノミクスの「成果」である。

 首相はこれまでの選挙でも経済を前面に掲げ、そこで得た数の力で、選挙戦で強く訴えなかった特定秘密保護法や安全保障関連法、「共謀罪」法など民意を二分する政策を進めてきた。

 同じ手法で首相が次に狙うのは9条改正だろう。

 だが、改憲には前向きな政党も、首相の狙いに協力するかどうかは分からない。

 希望の党は「9条を含め憲法改正論議を進める」と公約に掲げたが、小池百合子代表は自衛隊明記には「もともと合憲と言ってきた。大いに疑問がある」と距離を置く。

 連立パートナーの公明党は「多くの国民は自衛隊の活動を支持し、憲法違反の存在とは考えていない」と慎重姿勢だ。

 ■必要性と優先順位と

 時代の変化にあわせて、憲法のあり方を問い直す議論は必要だろう。

 ただ、それには前提がある。

 憲法は国家権力の行使を規制し、国民の人権を保障するための規範だ。だからこそ、その改正には普通の法律以上に厳しい手続きが定められている。他の措置ではどうしても対処できない現実があって初めて、改正すべきものだ。

 自衛隊については、安倍内閣を含む歴代内閣が「合憲」と位置づけてきた。教育無償化も、予算措置や立法で対応可能だろう。自民党の公約に並ぶ4項目には、改憲しないと対応できないものは見当たらない。

 少子高齢化をはじめ喫緊の課題が山積するなか、改憲にどの程度の政治エネルギーを割くべきかも重要な論点だ。

 朝日新聞の5月の世論調査で首相に一番力を入れてほしい政策を聞くと、「憲法改正」は5%。29%の「社会保障」や22%の「景気・雇用」に比べて国民の期待は低かった。

 公約全体で改憲にどの程度の優先順位をおくか。各党は立場を明確にすべきだ。

 安倍首相は、なぜ改憲にこだわるのか。

 首相はかつて憲法を「みっともない」と表現した。背景には占領期に米国に押しつけられたとの歴史観がある。

 「われわれの手で新しい憲法をつくっていこう」という精神こそが新しい時代を切り開いていく、と述べたこともある。

 ■最後は国民が決める

 そこには必要性や優先順位の議論はない。首相個人の情念に由来する改憲論だろう。

 憲法を軽んじる首相のふるまいは、そうした持論の反映のように見える。

 象徴的なのは、歴代内閣が「違憲」としてきた集団的自衛権を、一内閣の閣議決定で「合憲」と一変させたことだ。

 今回の解散も、憲法53条に基づいて野党が要求した臨時国会召集要求を3カ月もたなざらしにしたあげく、一切の審議を拒んだまま踏み切った。

 憲法をないがしろにする首相が、変える必要のない条文を変えようとする。しかも自らの首相在任中の施行を視野に、2020年と期限を区切って。改憲を自己目的化する議論に与(くみ)することはできない。

 憲法改正は権力の強化が目的であってはならない。

 必要なのは、国民主権や人権の尊重、民主主義など憲法の原則をより深化させるための議論である。

 その意味で、立憲民主党が公約に、首相による衆院解散権の制約や「知る権利」の論議を掲げたことに注目する。権力を縛るこうした方向性こそ大切にすべきだ。

 改憲は政権の都合や、政党の数合わせでは実現できない。

 その是非に最後に判断を下すのは、私たち国民なのだから。
    −−「社説 衆院選 憲法論議 国民主権の深化のために」、『朝日新聞』2017年10月16日(月)付。

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(社説)衆院選 憲法論議 国民主権の深化のために:朝日新聞デジタル



覚え書:「トレイルズ 「道」と歩くことの哲学 [著]ロバート・ムーア [評者]野矢茂樹(東大教授)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。


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トレイルズ 「道」と歩くことの哲学 [著]ロバート・ムーア
[評者]野矢茂樹(東大教授)
[掲載]2018年03月04日

■静かに染み込んでくる探求の旅
 
 アパラチア山脈に沿って三千五百キロに及ぶ自然歩道、それがアパラチアン・トレイルである。著者ロバート・ムーアは五カ月かけてその全行程を歩きとおした。そして彼は、「トレイル」というものそのものについて、考え始める。
 トレイル、それは「道」であるが、むしろ何ものかが移動した跡である。ムーアは、昆虫や動物たちのトレイルを調べ、その目で確かめ、体験し、トレイルについて考えていく。そしてアメリカ先住民たちのトレイルへと探求が進むと、トレイルの意味がしだいに明確になってくる。
 場所は意味をもつ。たんなる空間点ではない。場所には物語がある。そこに何があり、何があったのか。そこで何が起こり、何が起こったのか。現在だけでなく、記憶も神話も、場所と結びついている。そうした物語をつなぐものが、人々がそこを行き来した跡--トレイルなのだ。
 だが、そうだとすると、アパラチアン・トレイルとは何なのか。人はそこに手つかずの自然を求める。しかしそれは、人間たちの物語を抜き去った自然という幻想ではないのか。
 ムーアは結論を急がない。自分の中にあるいくつかの考えを、ゆっくりとバランスをとって最も落ち着く位置に置こうとしているように見える。だから、その探求の旅が私たちにも静かに染み込んでくる。
 トレイルとは、過去の人々から私たちが引き継いでいる知恵だ。それは地面の上に形象化されたものだけではない。そう考えると、私は、自分がトレイルを見失いどこに行けばよいのか分からなくなっているようにも感じる。しかしすぐに、いや、なんらかのトレイルを引き受け、いまもそこを歩いているんだ、と思いなおす。
 かつて一人の禅僧が語ってくれた言葉を思い出す。
 離るべきは道にあらず。??くっついたり離れたりできるようなものは道ではありゃせんのです。
    ◇
 Robert Moor ジャーナリスト、ハイカー。カナダ・ブリティッシュコロンビア州在住。本作が初めての著書。
    −−「トレイルズ 「道」と歩くことの哲学 [著]ロバート・ムーア [評者]野矢茂樹(東大教授)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。

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静かに染み込んでくる探求の旅|好書好日




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覚え書:「戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症 [著]中村江里 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。

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戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症 [著]中村江里
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)
[掲載]2018年03月04日

 戦争神経症に対する研究は、現在も充分(じゅうぶん)に行われていない。戦後の精神医学界でも無視されたテーマであった。本書は、この分野にひそむ問題を整理し、戦争の悲劇は時空を超えて存在すると訴えている。
 戦時下では「戦争神経症の存在は注意深く国民の目から隠されていた」。精神疾患による皇軍兵士の抗命や逃亡、命令拒否などが、伝染病の如(ごと)く軍内に広まるのを恐れていたためだ。精神疾患の兵は、差別され排除された。
 本書はデータを引用して詳細な分析を試みている。精神疾患の診察にあたった国府台(こうのだい)陸軍病院の、1937年12月から45年11月までの入院患者8002人の発病地は中国大陸が多く、次いで国内、「満州」で、太平洋・東南アジア地域からの患者は10%に満たない。患者移送(還送)の難しさや途中の戦死も多いためだ。
 従来の研究は戦場と銃後が中心だったが、その間の還送の研究が必要だと著者は説く。注目すべき視点だ。
    −−「戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症 [著]中村江里 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。

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傷病兵士の還送の難|好書好日










覚え書:「現代語訳 銀行業務改善隻語 [著]一瀬粂吉 [評者]加藤出 (東短リサーチチーフエコノミスト)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。

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現代語訳 銀行業務改善隻語 [著]一瀬粂吉
[評者]加藤出 (東短リサーチチーフエコノミスト)
[掲載]2018年03月04日

 昭和2(1927)年の春、預金者が銀行に殺到する取り付け騒ぎが全国で起き、30もの銀行が休業に追い込まれた。
 この昭和金融恐慌の混乱冷めやらぬ中、ある銀行幹部が金融業界の先行きを深く憂い、「金融機関経営のあり方や金融機関で働く人たちの生き方についての警世の言葉」を著した。
 同書は長く業界で読み継がれてきたが、その待望の現代語訳版が本書である。手にとってみると、91年前に書かれたとは思えない、現代に通用する隻語(せきご)(短い言葉)が多数並んでいるのに驚かされる。
 「自分は最後に断言する。今後、もし銀行業に従事する者が失敗することがあるとすれば、それは必ず本冊子のいずれかの項に背反したためであることを」
 現在、日銀の超金融緩和策によって、金融機関は資金繰りに緊張感を持つ必要が全くない状態にある。しかし、歴史は繰り返す。本書の言葉の重みを感じる必要があるだろう。
    −−「現代語訳 銀行業務改善隻語 [著]一瀬粂吉 [評者]加藤出 (東短リサーチチーフエコノミスト)」、『朝日新聞』2018年03月04日(日)付。

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91年前の警世の言葉|好書好日






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覚え書:「折々のことば:902 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年10月14日(土)付。

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折々のことば:902 鷲田清一
2017年10月14日

 都市を……憂うる者の慰安所、また疲れたる者の休息所ともしてみたい。

 (柳田國男

     ◇

 そして農村を「志気(しき)の剛強なる者の国のために、努力しかつ思索する場所としたい」と続く。地方は本来、じかたとして「町方」と分業関係にあった。やがて都市経済が農村に浸潤してゆくにつれ、地方はその自治を解体され、「中央」との依存関係に置かれるようになる。都市生活がいよいよ神経を磨り減らす一方で、農村での生業は痩せ細っていった。民俗学者の『都市と農村』から。
    −−「折々のことば:902 鷲田清一」、『朝日新聞』2017年10月14日(土)付。

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折々のことば:902 鷲田清一:朝日新聞デジタル







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