【覚え書】従来の思考と行動のカテゴリーやパターンに全くあてはまらないような社会の変貌


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 高度に発達した豊かな西洋の福祉国家においては、今や二つの問題が生じている。すなわち一方では、「日々のパン」をめぐる争いで、それは他のすべての問題を隅に追いやるほどの重要性と緊急度はない(二十世紀前半あるいは飢餓に脅かされている第三世界との比較で言えばそれほどではない)。多くの人間にとって飢餓の代わりに登場したのが、もう一つの「飽食」にかかわる「諸問題」である(「新たな貧困」の問題については第三章四参照)。このため近代化の過程は、今まで貧困との闘いを正当化していた基盤を失った。つまり、かつては貧困が明白であれば、貧困と闘う場合にどのように多くの予期せぬ副作用が生じても、それを(すべてではないとしても)甘んじて受けたのである。
 これと並行して、もう一つの問題として、富の源泉が、増大する「副作用の危険」によって「けがされて」いるという認識が広がってきた。この認識は決して新しいものではない。貧困を克服しようと努力していたため長いこと気づかれなかっただけである。この陰の面はさらに、生産力の過度の発展により重大性を帯びてきた。そして近代化の過程により、人間の想像力をも超えるほどの破壊力が生じるようになった。以上の二つの問題を背景として、大衆による近代化批判が高まり、厳しさを増してきた。
 体系的に言えばこうである。社会が発達すると遅かれ早かれ、近代化過程の延長という形で、「富を分配する」社会の状況とそこで争いに加えて、新たに「危険を分配する」社会の状況とそこでの争いが発生する。西ドイツでは、−−これが私の命題(テーゼ)であるのであるが−−遅くとも七〇年代の初めから、このような移行がはじまった。その意味するところは、われわれの社会が当面する課題とそこでの争いが二重になっているということである。われわれは危険社会にまだ生きてはいない。だが、もはや貧困社会の分配闘争だけに身をおいているのでもない。この移行が完遂されたあとに実際に来るものは、従来の思考と行動のカテゴリーやパターンに全くあてはまらないような社会の変貌である。
    ウルリッヒ・ベック(東廉・伊藤美登里訳)『危険社会 新しい近代化への道』法政大学出版局、1998年。

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社会紛争の焦点が富の分配からリスクの分配へと変化しつつある現状を説得的に論じたベック(Ulrich Beck,1944−)の一冊。

久しぶりに読み直しておりますが、「従来の思考と行動のカテゴリーやパターンに全くあてはまらない」事態が進行していることだけは深く理解できる今日・このごろ。





⇒ ココログ版 【覚え書】従来の思考と行動のカテゴリーやパターンに全くあてはまらないような社会の変貌: Essais d'herméneutique


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