【覚え書】新渡戸稲造「真の愛国心」、『実業之日本』一九二五年一月






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 我国には国を愛する人は多くあるが、国を憂うる人は甚だ少ない。しかしてその国を愛するものも盲目的に愛するものがありはせぬかを虞る。かつてハイネの詩の中に、仏人が国家を愛するのは妾を愛するが如く、独逸人は祖母を愛する如く、英国人は正妻を愛するが如くであるというた。目か権威対する愛情は感情に奔ることが多く、可愛い時には無闇に愛するが、ちょっと気に入らぬ時にこれを擲打するに躊躇せぬ。祖母を愛するのは御無理御尤一点張りである。正妻を愛するのは、妻の人格を重んじ、自己の家と子供との利害を合理的に考え合せて愛するので、妻に過ちがあればこれを責めて改悛させるその愛情は一時的の感情に止まらぬのである。世人はよく国際の関係には道徳なく、正義人道が行われないというのもあるが、我輩の見る所では、決してこれらのものが皆無であるということはない。今日はいまだ何事もこれらの標準によりて決せらるるとは言い難いのであるが、しかし早晩国の地位を判断するには正義人道を以てする時が来るのである。近頃は何れの国でもその心事を隠すことが出来ない、国民の考えていること、政府の為したことは、殆ど総て少時間の後に暴露し、列国環視の目的物となる。そこで世界の各国が一国を判断する時には、その言うこと為すことの是非曲直を以て判断する、あるいはまたその代表者が如何なる行動を執ったかによりて判断する、またある国が卑劣であり、姑息であり、陰険であり、または馬鹿げたことをすれば、それは直ちに世界に知れ渡るのである。従てある国が世界のため、人道のために遺憾なる貢献をなしたかは、その国を重くしその威厳を増す理由となる。国がその位置を高めるものは人類一般即ち世界文明のために何を貢献するかという所に帰着する傾向が著しくなりつつある。
    −−新渡戸稲造「真の愛国心」、『実業之日本』一九二五年一月。

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