中庸は、おもしろくない教義かもしれないが、実に多くの事柄において真実の教義である

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 中庸というのは、おもしろくない教義である。忘れもしない、私も若いときには中庸を軽蔑と憤りをもって退けたものだ。なにしろ、当時、私が賛美したのは英雄的な極端であったのだ。しかし、真理はいつもおもしろいわけでない。一方、おもしろいというだけで信じられているものもたくさんあるが、実際には、おもしろいという以外に有利な証拠はほとんどない。中庸が一つの適例である。つまり、中庸は、おもしろくない教義かもしれないが、実に多くの事柄において真実の教義である。
 中庸を守ることが必要である一つの点は、努力とあきらめのバランスに関してである。どちらの教義も、従来、極端な主唱者がいた。あきらめの教義を説いてきたのは、聖徒や神秘主義者であった。努力の教義を説いてきたのは、生産性向上専門家と筋肉的キリスト教徒であった。これら対立する両派には、それぞれ、一面の真理があったが、全面的な真理はなかった。
    −−バートランド・ラッセル(安藤貞雄訳)『ラッセル幸福論』岩波文庫、1991年、254頁。

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ラッセル卿(Bertrand Arthur William Russell,OM,FRS,1872−1970)曰く「中庸」が大事だけどこれは若い頃にはわからんと。

賛美したのは英雄的な極端。

しかし「中庸は、おもしろくない教義かもしれないが、実に多くの事柄において真実」。

そこで必要なのが努力とあきらめのバランスだとか。

まあシャツの首廻りに指1本はいるぐらいの余裕は必要だろうね。





⇒ ココログ版 中庸は、おもしろくない教義かもしれないが、実に多くの事柄において真実の教義である: Essais d'herméneutique



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